前説

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人によって色んな価値観がある。

だから、自分が好きなものをディスる人も出てくる。

今回は、そういう話を書いていきたい。

本編

かくいう僕も時たま、知らん人の言葉で殴られる側だからつくづく実感するんだけど、人って面白いほどに価値観がバラバラである。

同じバンドが好きならある程度は価値観って同じなのかなーと思っていてもそんなことはなくて、びっくりするほど「大切にしているもの」や「物の見方」が違っている。

たまにTwitterでアンチはバチバチにブロックしている人もいるが、気持ちはわかる。

生きていくうえで大事なのは、心を平常に保つことだから、そういうことに揺さぶりをかけるものにはフタをする、っていうのは、まあよくわかる。

少し話がそれちゃったけれど、好きなバンドをディスられることってある。

クセが強い人がディスられるならともかく、その純粋な感じが嫌いとか、闇のないその感じが生理的に無理とか、いや、そこ否定されたらどないせいっちゃうねんみたいな言い方をする人もいる。

とはいえ。

こういう価値観は良くないですから去勢しましょうね、という世の中がユートピアかといえば、そんなことはないし、まあ人の数だけ意見や感性が違うこと自体は良いことだと思うのだ。

そう。

人によって感じ方も捉え方も違うわけだ。

で、本題だけど、好きなバンドをディスられたときに思うのは、単純にすげえな!ってことだ。

好きと嫌いは似た感情なんて言葉もあるわけだけど、本来ならその音楽を聴くことなんてないような人たちの関心に入るまで、その音楽が届くってことがすごいことだと僕は思うのだ。

音楽でもブログでも何でもいいけど、誰かの後ろ盾を借りずに、一から初めて人に届けるようになるのは至難の業である。

つまり、自分の音楽を好意的に思っている人に対して届けることすら至難の業なのである。

なのに。

本来なら興味なんて持つ人がない人の感情すら喚起させて、一言喋らずにはいられないほどの刺激を与えるって、すげえじゃん!!と思うのだ。

そして、そういうすげえバンドのファンでいるあなたのセンス、マジで最高じゃん!と思うのだ。

贔屓目抜きに、そう思う。

嫉妬とか妬みを喚起させるっていう、それだけ魅了があることの裏返しだ。

なんかローランドみたいな言い草になってしまったけれど、ここに関しては本気でそう思う。

もちろん、明らかに人様に迷惑をかけたりして、悪い意味でディスられているならちょっと事情は変わるけれど、そうじゃないなら問題ないでしょ。

病む必要なんてない。

むしろ自己肯定マックスにするべき事案だと思う。

話はそれるが

まあ、個人的な意見を言えば、モノの捉え方にこそその人の本質が宿ると思っている。

本来なら喜ぶべき事柄に対しても、嫌味を言うような人は、そういう世界の中で生きている。

苦難があっても前向きな人は、きっとそういう世界に生きていると思うのだ。

じゃあ、自分はどんな物事をどういう眼差しで観ているだろうか?

そういうことを考えたら面白いと思うし、物事の味方を少し変えるだけで、世界って想像以上に素晴らしく見えてくる。

「正しい世界」なんてなくて、「自分の認識したものこそが全て」なのだ。

僕があんまりディスる言葉を吐かずに、なるべく良いところを見つけるようにしているのも、そういう良いところを見つけるクセのある捉え方をしていると、不思議と自分の生きている世界そのものが素敵に見えてくるからだ。

逆に悪いことばかりを見つけるクセをつけちゃうと、どんどんと自分自身が不幸になってくる。

生きる、って案外そういうものだと思うのだ。

もちろん、こういうスタンスをとっていると、八方美人なだけじゃん!みたいな言い方をする人もいる。

それもまたひとつの捉え方だし、それに対して良いも悪いもないし、正解も不正解もない。

でも、自分が捉えたやり方こそが「真実」なのだし、どうせ「真実」を見つけるなら、素敵に生きることができる真実を見つけたいよね!みたいなノリなのである。

なんかどっかのメンタリストみたいな微妙な言葉を述べている気もするが、まあ、たまには良いでしょう。

と思って満員電車に乗ったら、となりのおっさんがめっちゃ臭くてイラッとしました。

人間は感情の生き物。感情をコントロールすることは難しい。

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