前説

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好きな音楽の歌詞が与える効能について、書いてみたい。

どういうことかわからない人はきっと続きを読んでもらえたらわかってもらえると思う。

本編

痛みに寄り添ってくれる

一番よくあるパターンのひとつが“痛みに寄り添ってくれる”というものではないかと思う。

歌詞の中に忍ばされた優しいひとつのフレーズに救われたことがある人も多いのではないだろうか。

個人的に、そういう歌の代表として名前を挙げたいのがBUMP OF CHICKEN「ray」である。

この歌はまさしくそういう痛みすらも肯定するところがある。

痛みすらも肯定してくれるからこそBUMPの歌ってどこまでも優しさを感じるのだろうし、藤原の声はこういう“肯定をする歌”にあまりにもお似合いなのである。

子どもの頃は自分の生きている世界がすべてに思えるからこそ、余計にこういう歌に救われるのである(まあ、「ray」がリリースされた頃は、僕はもう社会人になっていたんだけれども)

つくづく、こういうテイストの歌を歌われるとわりとぐっときてしまうところが多い。

背中を押してくれる

その辺の自己啓発分よりも意識の高い言葉の数々で背中を押してくれるのも、音楽の歌詞が持つ強い魅力だと思う。

音楽自体は無力かもしれないが、音楽にケツを蹴り上げられることで行動をする人は世界を変えることができる。

音楽ってそういう意味で無限の可能性を持っていると思うのだ。

実際、そうやって自分の世界を変えた人をたくさん知っている。

特にロックバンドの歌詞って、シラフで聴いたらクサイセリフでも、不思議と胸に突き刺さってしまうのだ。

どんな言葉もかっこよく歌い上げてしまい、その言葉に勇気をもらうことも多い。

UVERもそういうバンドのひとつだし、個人的にはロットンなんかもそういう類のバンドである。

意識の高い言葉を行動で体現したバンドマンが歌うからこそ、言葉の説得力が増すのかなーと思う。

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自分の奥底に眠っていたアドレナリンを放出しれくれるその1

なんか歌詞の意味そのものというよりも、歌詞とメロディーが共犯者になって、うおおおおおおおおおおってなることが、音楽の場合、あると思うのだ。

メロディーに言葉がのるからこそ、その言葉に強靭な意味がもつことがあると思うのだ。

だからこそ、単なるおーっ!っていう言葉になっていない言葉だけでも、アドレナリンが上がる、みたいなところあるのだ。

歌詞の意味がわからないのに、なぜかその言葉に勇気をもらうこともあるし、アドレナリンがあがって、うおおおおってなることもあると思うのだ。

自分の奥底に眠っていたアドレナリンを放出しれくれるその2

例えばだけど「愛している」というフレーズがあるとする。

そのフレーズは決して、そのボーカルが直接自分に向かって言ったものではないわけだけど、なぜかその言葉は自分に投げられたものであるように感じられて、自分の奥底に眠っていたアドレナリンを放出するきっかけを与えることがある。

よく考えたら自分の「好きな人」が、自分にとって耳障りの良い言葉を、自分の耳元で発してくれるシチュエーションって考えたら、すごいエグいことだよなーと思う。

そんなもの、興奮する余地しかないよなーと思うわけである。

音楽が“合法的に脳内に快楽物質を与えるもの”であるのは、こういうシチュエーションが作用している部分もあると思うのだ。

好きな音楽こそが、半端なく脳内にアドレナリンを放出させる理由は、ここにあるのかなーと思うのだ。

だからこそ、だ。

つくづく思うけれど、音楽においても、用法用量は守らないといかんぜよ、と思うこともある。

せっかく自分に大きな力を与えてくれる音楽も、「使い方」を間違えたことで、廃人になってしまった人を自分もたくさん見てきたから。

廃人になると、その先にあるのは、栄光のオタクロードなのである。

まとめ

音楽は素晴らしい。

そのことを改めて思うのだ。

痛みを癒やしてくれたり、勇気を与えてくれたり、魔法のように力を与えてくれることもあるし、快楽物質を脳に提供してくれることもある。

音楽って凄いのだ。

なんだかんだで、オタクってみんな人生をイキイキと生きてるもんなあ。

推しがいる生活は尊いし、音楽が近くにある生活って素晴らしい。

最終的にはそのことが伝えたい、そういう記事。

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