半ば、ファンですらもう諦めてるんじゃないだろうか?

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サカナクションがニューアルバムをリリースするという未来。

もうこの世界線には、サカナクションがニューアルバムをリリースする未来がないと、薄々感ずついているのではないだろうか?

だってだぜ?

わりと束縛がきついはずのビクターの締め切りをあっさり破るんだぜサカナクションは?

万引き常習犯は幾度も万引きを繰り返してしまうらしいが、サカナクションにおける「締め切りを破る行為」も、それと似た性質を感じる。

だってだぜ?

2018年の春くらいに確か本人たちも言ってたじゃんか?

「そろそろアルバム、リリースするぜ」感のあるMCをしていたじゃんね?

わりと公的な場所で、そういう言葉、発していたよね?

なのに、まるでツイ消しをするかの如く、それがなかったことにされている。

一度出す出す詐欺をしたのに音沙汰が消えてしまったという事実は、もはや絶望に等しい。

そして、ノルマのためだけにリリースされるベストアルバムやコンセプトアルバムの数々。

思う。

僕たちは、もうサカナクションのニューアルバムを聴くことができないんじゃないか、と。

そもそも、よく考えたら前にリリースされたオリジナルアルバムは自身のバンド名だった。

これは、ある意味「最終回」を意味していたのではないだろうか?

それならあのタイトルも納得できるというものだ。

でもね、人間、希望を捨ててしまったらダメだと思うのだ。

どんなに絶望的な状態だって、チラリと希望は見えるはずなのだ。

というわけで、この記事ではどうしたらサカナクションがニューアルバムをリリースしてくれるのかを考えてみたい。

自分が課したハードルを越えられない

そもそもなぜサカナクションは全然ニューアルバムをリリースしないのだろうか?

理由はいくつかあるのだろうが、大きな理由は、納得できるものが作れないから。

これに尽きると思うのだ。

元々山口一郎は完璧主義者なフシがあった。

けれど、あるタイミングまでは、それでもなんとかコンスタントに作品をリリースしていたように思うのだ。

一体なぜそこまでリリースペースが落ちてしまうのか。

クオリティー的に納得できないのか、方向性的に納得できないのか、コンセプト的に納得できないのか。

わからない。

けれど、何かが納得できないからリリースできない。これだけは間違いないわけだ。

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一郎氏の感性に疑問に感じる

たまに思う。

実は、一郎氏の才能が枯渇してしまったのではないか?と。

というのも、なんとなく一郎氏のロックフェスに対するイメージって、電話ズがブイブイ言わせているところらへんで、止まっている気がするのだ。

自身のラジオ番組で、勢いのある若手バンドとしてネクライトーキーを評するとき、こんなコメントを発表していた。

山口「(楽曲を聴いて)ははー……結構好きかも。なんか一個わかってきたな~。ある種、ギターロックっていうフォーマットが、完成形を迎えているんだよね。サビでキーが上がって、四つ打ちになって、(ハイ)ハットが裏に入って。そこまでをどう変化をつけるかっていう。ボカロとかアニソンの手法が、ギターロックっていうフォーマットの中でどう混ぜ合わせるかみたいなのが、結構出てきているのかなって感じがする。

(TOKYO FM「SCHOOL OF LOCK! サカナLOCKS!」1月10日(木)放送分)
https://www.tfm.co.jp/lock/sakana/smartphone/index.php?itemid=12389&catid=17

この後にも、いくつかのバンドに対してコメントを出していたんだけど、トータル的に思ったのは「捉え方、ちょっと古いのでは?」という印象。

いやね、それぞれのバンドの評は正しいと思うし、述べているコメント自体に異論はないんだけど、個人的にはなんかズレを感じたのだ。

確かに、ネクライトーキーの持ち味のひとつはそこにあるとは思う。

でも、シーンとして言葉を語るならば、ポイントは「そこ」ではない気がするのだ。

どちらかというと、一郎氏が述べたようなタイプのフォーマットに落とし込んだギターロックで「ブレイクする」って言われているのが、ネクライトーキーくらいしかいないってことの方が重要だと思うのだ。

言ってしまうと、ネクライトーキーのフォーマットは、もはやシーンにおいて、そこまで定石ではないということ。

どちらかというと、「あえて」に近い立ち位置でああいう音楽を鳴らしている、という捉え方をしないといけないのではないか?ということ。

これは、King Gnuなんかの名前を出さずとも、自明のことように感じるのだ。

一郎氏が分析したフォーマットって、バンドからしたら、もはや「古いもの」で、どちらかといえば、今こういうフォーマットを積極的に使っているのは、Eveとか、ずとまよのようなタイプの人たちではないか?と思ったりするのだ。

で、ネクライトーキーはどちらかというと、こういうタイプの人たちと距離が近いから、あのフォーマットで音楽を鳴らしているし、ウケているのだ、という見立てを持つべきなのでは。

仮に「シーン」として分析するならば。

なーんて、個人的には勝手にそんなことを思ったりするのだ。

でも。

思えば、一郎氏も35を超えたわけで、そりゃあ「若者」に対するアンテナも少しずつ変化していくよなーと。

あんまり人のことは偉そうに言えないけれど、やはり歳をとればとるほど、若者との価値観にズレだって出るしなーなんて思うわけだ。

でね、これは知り合いのクリエイターが言ってた言葉なんだけど、35を過ぎると、びっくりするほど頭の中からアイデアが出なくなるらしいのだ。

いや、出なくなる、というのはちょっと違うかもしれない。

アイデア自体は出るには出るんだけど、新しいものの発明としてのアイデアではなくて、自分の過去のストックからしか、モノを生み出せなくなるらしい。

自分のストックの足し算と引き算のなかから、必死にものを作るようになるらしいのだ。

そういや、名曲「新宝島」をリリースしたときの山口一郎が35歳くらいだったと思うんだけど、そこからモリッとリリースペースが遅くなった。

しかも、リリースする曲も「いまさらテクノ???」とか「いまさらEDM???」みたいな、何かのジャンルをそのまま持ってきて、それをサカナクション流にアレンジしたようなタイプの音楽が増えたように感じるのだ。

これってまさしく、既に思いついているものの足し算なり引き算なりするような音楽は作れるけれど、「新しいものをつくる」ことはできなくなったという兆候なのではないか?なんて勝手に思ってしまうわけだ。

いや、知らんけどね。

で、普通のバンドマンなら、仮にそういう状態にあったとしても、新譜をリリースするんだろうけど、サカナクションは大人の都合を破ってしまう不思議な力があるので、永遠とリリースをしないというループに入る。

そんな状態が続いているのではないか?と勝手に想像するわけだ。

まとめ

なーんてことを書いたら、いや、そんなわけないでしょ????と死ぬほど突っ込まれそうだし、単純に「前回を超えたい欲」が強すぎるから、作っては壊して作っては壊して、を繰り返しているんだろうなーなんて思うことにする。

このループを壊すためには、今ってもっと音楽、自由になってるんですよ?と一郎氏に伝えることなのではないか?と思うのだ。

少なくとも、2013年からこの5年で、一郎氏が想像する以上にシーンの空気や音楽のトレンドが変わっているということに気づけば、その空気を読んだ作品をプリッとリリースするのではないか?

そんなことを思ったりするのだ。

いずれにしても。

そろそろ新譜を聴きたいんです!

それは間違いないので、大人しく新譜リリースしてください!!!

ほんと期待してますので!!!

超期待してますので!!!

今年こそ聴かせてください!!!!

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