BUMP OF CHICKEN「aurora arc」の感想とレビュー

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このアルバムが凄いなーと思ったのは、収録楽曲のほとんどがタイアップソングであり、それぞれ別の動機で作られているはずの作品群に、明確な繋がりがあることだ。

別個に生まれた曲が曲順という文脈を作り、アルバムとしてまとまめられたとき、それは一つの大きな物語となる。

それぞれの楽曲で散りばめられた伏線は、ラスト本編の最後の楽曲となる「流れ星の正体」で回収されて、やがて一つのメッセージ浮き彫りにさせる。

太陽が忘れた路地裏に 心を殺した教室の窓に
逃げ込んだ毛布の内側に 全ての力で輝け 流れ星

お互いに あの頃と違っていても 必ず探し出せる 僕らには関係ない事
飛んでいけ 君の空まで 生まれた全ての力で輝け

このフレーズは「長い星の正体」の最後の大サビのフレーズである。

先に言ってしまうと、このアルバムの全体のメッセージは、ここに集約されているように感じた。

流れ星の正体とは?

「太陽が忘れた路地裏」「心を殺した教室の窓」「逃げ込んだ毛布の内側」

色んな言葉で形容しているが、全て同じことのように感じる。

簡単に言えば、これは心とか内面の話だと思う。

夢とか希望とか不安とか失望とか、そういう心の中にある感情の言葉と置き換えてもいいかもしれない。

そういう内にあるものを目に見える形で比喩化する。

それに対して、流れ星は全力で輝いてほしいというのだ。

つまり、流れ星とは心に作用するものであることがわかる。

「お互いあの頃と違っても」は文字通りの意味だろう。

問題は「僕ら」って、誰なのかということだ。

本当なら色んなものを代入することが可能だとは思うが、ここでは、僕=BUMP OF CHICKNであり、君=BUMP OF CHICKENの音楽を聴いていた全てのリスナー、とあえて断言する。(それは話をブらせたくないからだ)

そしてこれは「今」のリスナーだけじゃなくて、それこそ「天体観測」の頃は熱中して聴いていたけれど、今はもうBUMPを聴かなくなってしまったリスナーも含めてのことだと感じた。

だから、「あの頃と違っても」と言ってみせるのだ。

で。

BUMPが輝かせる星とは何なのかと考えた時、ある一つの推測をすることができる。

星=BUMPの楽曲だ。

そして、「空」は、心とかそういう類の内面世界。

星という曲が、空という君の心に飛んでいき、その曲が何かポジティブな影響を与えたとき、その星は輝くのだ。

そして、その曲が大きな力となり、何かの原動力となったとき、その星はその人の成長とともに消えていく。

まるで、流れ星が願いを叶えて消えていくかのように。

「流れ星の正体」とは、そういう類のものなのだ。(具体的な単語で名言するとなんだか陳腐になるので、あえてこういう言い方をしておく)

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全てのリスナーに届けた手紙

今作、通底するのは、まさしくこの構造なのだ。

空とか宇宙というモチーフが多いのは、それがリスナーの心を表しているから。

もっと言えば、空とはBUMP(の曲)とリスナーを繋げている場所と言い換えてもいいかもしれない。

BUMPはその空に向かって曲を投げかける。

アルバムのトップを飾るのは「aurora arc」だ。

この歌は、まさしくその構図を音で表現している。

この歌は、最初一本のギターのアルペジオから始まり、そっからもう一本ギターのアルペジオが追加されていき、やがて音の波紋が広がるように、キーボード、ドラムの音が追加されていく。

最初は藤原基央の心の中にだけ生まれたひとりぼっちの星=曲が、メンバーを通して形になっていき、やがてたくさんのリスナーの空に向けて放たれていき、そこで大きな輝きを見せる。

そんな一連の流れを表現しているように感じる。

また、今作の特徴は時間軸を意識したものが多いことだ。

おそらくそれは、「今」のリスナーだけではなく、今まで出会ったことのある、今はもう自分たちのことを聴かなくなったリスナーに向けても言葉を投げかけているからだ。

特に「アリア」「話がしたいよ」は、その性質が強い歌のように感じる。

「シリウス」なんかは一度離れたけど、ふとしたタイミングでまた出会うことになったリスナーへの言葉のように感じた。

とにかく言えるのは、自分たちが作った曲が、リスナーに向けて届くこと。

これがベースになっているというこだ。

だから、アルバム全体の歌詞において、音が届くことが重要な要素として描かれることが多いし、メロディーという単語がポイントポイントで登場するのだ。

さらに、過去と未来の時間軸が楽曲のベースにあるのは、生まれた楽曲は時間を超えて届くことを知っているからだし、空や宇宙、あるいは鏡なんかのメタファーを使うのは、自分の曲とリスナーが出会う場所=心とか内面を丁寧に描くためである。

普通のバンドは、言葉で届けたい内容だけをメッセージにする。

だから、そこには意味しか宿ることはない。

けれど、BUMPの歌は「その歌が心の中に届く過程」までも丁寧に描き、本当に伝えたいメッセージは一つのセンテンスにぎゅっと集約させる。

この「心の中に届く過程」を丁寧に描いてみせるから、リスナーの心の奥深くまでメッセージが刺さるのだと思う。

ちなみにBUMPが本当に届けたいセンテンスは例えば、「Aurora」だったら

もう一度 もう一度 クレヨンで 好きなように
もう一度 さあどうぞ 好きな色で 透明に
もう一度 もう一度 クレヨンで この世界に
今こそ さあどうぞ 魔法に変えられる

「シリウス」だったら、

やっと やっと 見つけたよ
ちゃんと ちゃんと 聴こえたよ
どこから いつからも
ただいま おかえり

ここに集約されているように感じた。

「流れ星の正体」もラストセンテンスにぎゅっとメッセージが込められているし、これは意図的な構図なのだと僕は考える。

まとめ

このアルバムの特徴は基本的に同じモチーフを繰り返しているとのということだ。

だから、聴く人が聴く人がつまらないと感じるのかもしれない。

けれど、タイアップソングだらけのアルバムでありながら、一つの物語を紡ぎ、長いスパンかけて、その物語を完成させたことはシンプルに賞賛に値すると思う。

なにより。

これだけバンドのスケールが大きくなっても、本気でリスナー一人一人に言葉を届けようとする姿勢がすごい。

話ができなくなったリスナーがいることをシンプルに悲しみ、再び曲を届けることができたリスナーを喜び、ずっと聴いてくれないるリスナーにベイビーアイラブユーと言いきってみせるその姿勢が、すごい。

仮に今はその曲が届かなくても、時間を経て、いつか輝くことを願いながら、その想いを曲に託す、そんなピュアネスこそが、このアルバムの最大の魅力なのだと僕は感じた。

楽曲によっては文句を言うこともあるが、僕が今、こんな駄文まみらの記事を今必死に書いてしまっているのも、自分の空に、BUMPの歌が輝いたからなのかなーなんて、そんなことをふと思う。

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