バンドがアイドル化している、という話をよく耳にする。

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わかる。確かに。

そう感じることはよくあるから。

しかし、「アイドル化」すると一口に言っても色んなパターンがある。

前回、このような記事を書いたのだが、この記事の感想を辿ってみると、読み手によって、「アイドル化」するというニュアンスがまったく違うことがわかった。

つまりここでいう「アイドル化」というのは、複数の意味が宿るというわけである。

そして、先ほど紹介した前回記事では「アイドル」とは3パターンあると述べたが、本当はバンドのことを「アイドル」と形容する場合には、もう少し複雑な意味合いが込められていることを感じた。

そこで、今回の記事では、もう少しこのことを掘り下げて考えていきたいと思う。

バンドがアイドル化しているというときの「アイドル化」とはどういう意味か?

ここでいう「アイドル化」とはどういう意味だろうか?

中高生なんかが、この言葉を「今の流行りのバンド」に向かって使うとき、少し侮蔑のニュアンスを含んで使用していることが多いように感じる。

ただし、これはバンドそのものを侮蔑するというよりも、バンドを需要するファンの態度を揶揄する言葉のように感じる。

バンドのメンバーを、まるでアイドルグループのメンバーを応援かのするようなノリで消費したり、「本当にこの人たち、このバンドの音楽を聴いてファンになったのかな???」と疑問を呈したくなるような、過剰なバンド信仰をするリスナーが増えてくると、「そのバンドはアイドル化した」なんて言うことが増えるように感じるわけだ。

よくMステに出ると、顔ファンが増えちゃうと心配する人がいるが、顔ファン=音楽をちゃんと聴かず、そのバンドのビジュアルだけでそのバンドを応援するファン、というニュアンスがあるからだ。

だから、顔ファンの増加を嫌悪する人が一定数いるのである。

どんな現場であれ、観客の質がライブの良さや幸福度を大きく影響させるわけで、自分の趣向とは違うタイプのファンが増えることを好ましく思わない人は多いわけだ。

どうしても、同じファンだとしても「声の大きいファン」が「声の小さいファン」を抑圧する傾向がある。

過度にアイドル視するファンやダイブ中毒者は「声の大きいファン」の代表格であり、そういうファンがライブの空気を大きく変えてしまうことはよくある。だから、そういうファン層の増加にいちいち危機感を覚える人がいるわけだ。

ところで、ポイントとなるのは、そういうファンをバンド側が意図的に増やそうとしているのか、していないのかというところだと思う。

というのも、「バンドがアイドル化してきた」という言葉は、二つのニュアンスが込められているように思う。

ひとつは、バンドのことをアイドル視するファンの増加を指す言葉。

アイドル視するファンと言っても本来は色々あると思うが、基本的には音楽作品そのものよりもビジュアルを重視したファンのことであり、音楽作品そのものよりも音楽作品以外の要素でバンドのことを楽しむ層を指すものとして考えることが多い。

もうひとつは、バンド側が意図的にそういうタイプのファンを増やそうとしている行動を指す言葉。

バンドがアイドル視するファンを増やそうとしている行動が目につくようになると、より一層「このバンドはアイドル化した」というふうに捉えるわけである。

やたらとビジュアルを推してきたり、音楽以外のことに力を入れ出していると、そういうファンを囲おうとしているのだと考えられ、そのバンドは「アイドル化」してきたと判断するわけである。

つまり、①客層②バンドの仕事の取り組み方、この2点を加味して、このバンドはアイドル化してきた、と評価をくだすわけである。

ただ、本人が希望しているかどうかはともかくとして、基本的に「売れること」を志向しているバンドにとって、アイドルを応援するかのようにバンドを応援してくれるファンの存在はとても大きく、ある程度はそういうファンを作るようにバンドを魅せていく必要がある。

なぜなら、そういうファンは単純に金払いが良いし、良い言葉を積極的にかけてくれるし、他の人にも積極的に良い口コミしてくれるありがたい存在であることが多いからだ。

少なくとも、僕のようなタイプの音楽好きはお金はあんまり落とさないし、すぐにネガティヴなことを言うし、あまりバンド側からしたら旨味のない人間であることは間違いないわけで。

ただ、なんとなくロックシーンにおいては、客に不用意に媚を売ることはロックじゃないみたいな風習もあり、音楽以外の部分で過剰なるファンサービスをするバンドは「アイドル的」という烙印を押すことが多い。

バンドなら音で、ライブで魅力しろということなのだろう。

だから、「バンドのアイドル化」を嘆く層は一定数いるし、「バンドのライブがアイドルの現場」のような空気になれば落胆する層は一定数いるわけだ。

ただ、その一方で、たまたまボーカルの容姿が優れているから、バンド側はまったくそういうつもりがないのに、勝手にバンドのことをアイドル視するファンが増えていく例もあり、その辺りが問題をより複雑化していたりはする。

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そもそもバンドは昔からアイドル的だった

前述でいうアイドルという言葉には、魅力が実力を優っている存在を「アイドル」と評している印象がある。

ここでいう魅力とは、容姿や年齢のことであり、実力というのは演奏技術やライブパフォーマンスなどのことになる。

よくアイドルを指して「このアイドルはアイドルの枠を超えた」と表現するが、それはアイドルというのは実力よりも魅力が勝る存在である、という意見が含意されているからな気がする。

つまり、このアイドルは魅力だけでなく実力もすごい、だからこのアイドルはアイドルの枠を超えた、みたいなことを言っちゃうのではないか?と。

そこには、アイドルというのは一人前の表現者でない、というイメージすら含まれているような気がしてならない。

バンドのアイドル化、というのも、多少なりともそういうイメージを込めて揶揄しているケースがあるように思う。

ところで、バンドのアイドル的扱いというもの自体はここ最近生じたものではなく、昔からあった価値観だったように思う。

ロックシーンを遡れば、古くはビートルズやプレスリーのようなロックの祖みたいな扱いをされている人たちだって、最初は相当アイドル的扱いをされていた。

日本のシーンでいっても、サザンやミスチルを始め、色んなバンドが「アイドル的扱い」をされてきた。

長い間、ロックシーンでその名を轟かせているバンドをみると、ほぼ例外なくどのバンドもアイドル的扱いを受けているし、本人たちは乗り気だったのかはともかく、ある程度はアイドル的な需要をされるプロモーションを行なってきた過去もあるように思う。

さて、ここで問題。

サザンであれミスチルであれ、アイドル的扱いをされてきたバンドはたくさんいるが、バンドがアイドルを扱いされたり、ある程度はアイドルであることを受け入れて振舞ってきたバンドの音楽のクオリティが低かっただろうか。

好き嫌いはともかく、少なくとも、今の地平から語れば、ほとんどの音楽好きは「そんなことはない」と答えるのではないかと思う。(まあ、サザンなんかは特にアイドル的扱いをされてきた渦中は音楽的な面でも下に見られることが多かったらしいが)

ただし、一点だけ、今と違うことがある、と答えるかもしれない。

それは、サザンやミスチルはアイドル的扱いを受け入れる頃には、ライブハウスという文化は卒業して、ホールやアリーナで曲を届けていたということであり、他の多くのアイドル的バンドもそうであったということ。

生涯ライブハウス!みたいなノリのバンドは安易に異性に媚を売らず、硬派でバッチバチに音を鳴らしていたぞ、と。

けれど、今は違う。

ライブハウスを生業にしているバンドも、恐れることなくアイドル的に振る舞うことが多い。

昔に、ライブハウスで音を鳴らしているバンドはそんなことなかったのに……。

そういう、違いが生まれているのかもしれない。

そういう人にとっては、ライブハウスで音を鳴らしてるバンドはロックであり、ホールやアリーナで音を鳴らしてるバンドはポップスだ。

そんな区分けをしているのかもしれない。

ポップスバンドがアイドル的に振る舞うのは別にいいが、ライブハウスにいるロックバンドがアイドル的に振る舞うことや、ライブハウスにアイドルファンのようなノリのファンがうじゃうじゃいることは解せない、という考えがあるのかもしれない。

とはいえ、今日でも、アイドル的と揶揄されるバンドの多くは、ホールやアリーナでライブをやっても埋めることができるバンドが多いように感じるし、バンドが大きくなる要素としての「アイドル化」のあり方やレベルは、やはりビートルズからのそれと、そこまで大きく変わっていないように感じる。

確かにライブハウスの位置付け自体は大きく変わったし、ほとんどのバンドは「売れてもなお、ライブハウスでやり続けること」を積極的に選ぶようになった。

でも、それはアイドル化とはまた別の話だ。

この辺りはフェスシーンの盛り上がりとも関係性があるような気がするが、ここを掘り下げるとアイドル化と話がズレていくので、今回は割愛していく。

とりあえず言えるのは、アイドル化していくバンドって色々いるけれど、結局シーンに残るのは、自分たちの音楽を持っていて、ちゃんと自分たちの表現したいことを持っているバンドだということ。

もちろん、仕事という枠組みでバンドをやっていくと、関わっていく大人の相性が悪かったり、そのバンドに対して理解力のない人が舵を切って、間違ったプロモーションをしてしまい、その結果、そのバンドの良さや想像力の芽を摘んでしまう事例はあるが、それは「バンドのアイドル化」とはまた違う話である。

バンドがアイドル化してしまった、というのは、たくさんの人に音楽を届けるうえで必ず発生する通過儀礼のようなものだし、それ自体は今後も繰り返されていくあり方なのではないか?と思うわけだ。

むしろ積極的にアイドルであることを推す人たち

前回、バンドとアイドルにまつわる記事を書いたが、この記事に関してひとつ言い訳をすると、ひとつひとつのバンドの引用の仕方が雑だったなーということはある。

例えば、ユニコーンや怒髪天だってアイドル的な要素はあるし、その要素をうまく活かしながらカッコいい音を届けているという実態もある。

ただ、反応として面白いのは、若手バンドを「アイドル的」ということは、多少なりとも侮蔑の意味が込められることが多いのに対して、ある程度のキャリアを積んだバンドの「アイドル的」には、それがなかったことである。(そして、ファンの方からユニコーンは今でもアイドルだし!とお怒りの声も頂いた笑)

この時感じたのは、若手バンドにおける「アイドル的」と、年配バンドにおける「アイドル的」という言葉では、意味が変わってきているということである。

少なくとも、お叱りを受けた際の「アイドル」という言葉のニュアンスは、実力より魅力が優っていることを指してのものではなかったし、若さを指しての言葉といものではなかった、ということだ。

また、当該記事で、可愛さをみせること=アイドル的という表現もしたが、これも言葉としては早計だったように思う。

ただし、ここに関しては「演じる存在」であるという形式性、そこにあるキャラクター性に魅力を感じてアイドル性を見いだせている、という実態はあるように思う。

バンドというのは、楽曲を通じて、ステージを通じて、何かしらのキャラクターを「演じている」存在であり、そこにアイドル性を見いだせば、それはアイドルになりうるのである。

前回の記事では、かっこいいではなく可愛いを選ぶこと=アイドル性、という言い方をしていた部分もあったが、これは間違いで、色々な振る舞いを通じて生まれるキャラクター性からアイドルを見いだしている、という考えがより近いように思うわけだ。

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存在としてのアイドル

同じバンドでもアイドル的に思う人もいれば、アイドル的に思わない人もいる。

ここはすごくポイントで、少なくともバンドにおいては、何をもってアイドル、という論法は基本存在しないのだ。

バチバチのライブパフォーマンスからアイドル性を見出すこともあれば、特典映像に収録されているオフショットの映像からアイドル性を見出すこともある。

人によってはアイドル性を見出すポイントでも、他の人にとってはその要素は一切アイドル性を見出さない、ということもある。

結局のところ、その人が持っている<アイドルと判断するためのコード>が適用されるかどうかがポイントになるのだ。

どんな人でも「こういうことをする人をアイドル視したくなる」というコードを持っている。

そのコードに合致すれば、その人にとって、そのバンドはアイドルになるのだ。

しかし、そのコードは人によって違う。

若い人若い対象ほど、そのコードはシンプルであることが多く、例えば顔がタイプならアイドル視できる、みたいな分かりやすい話になりやすい。

けれど、アイドル視する人もアイドル視される人も、年配になればなるほど、そのコードがより複雑化していくため、そのバンドをアイドル視する、というプロセスそのものがより複雑になるのである。

ただ言えるのは、そのバンドがアイドルたりえるのは、そのバンドをアイドルと思う人がいるからだということ。

これは、絶対的な条件がある。

それをアイドルと思う受け手が存在してこそ、アイドル的という言葉は意味を持つわけだ。

KEYTALKがアイドル的と言われる場合と、怒髪天がアイドル的と言われる場合では、そこに生じるニュアンスは大きく変わる。

それは、アイドルと感じる受け手がどういうプロセスを得て、そのバンドをアイドルと判断しているのか、というコードが全然違うからだ。

もっと言えば、同じバンドでも、人によって、そのバンドのアイドル性の見出し方は大きく異なってくる。

なぜなら、人によって持ってるコードが違うからである。

まとめ

アイドル化をめぐる話は、バンドごとに大きく変わる、というのが今回の結論。

それでも通底して言えるのは、アイドル化という言葉は、そのバンドとファンの距離感を考えるうえで重要な要素だということ。

アイドル的と思われたくないバンドにとっては、アイドル扱いするファンはちょっと……と感じるだろうし、まんざらでもないバンドにとっては、そういうファンの存在はありがたいことなのだと思う。

ところで、顔面偏差値の高い女性シンガーのライブだと、たまにこういうケースがある。

その女性シンガーは顔面偏差値が高いが故に、自分のファンは顔ファンのおっさんばかりになってしまい、その女性シンガーのライブがアイドル現場のようになってしまい、どんな音を鳴らしても、自分の求めている熱狂とは違う熱狂ばかりが返ってくる。

自分の鳴らす音楽はどうでもよくて、自分のビジュアルが観たくて(自分と少しでも近い距離にいたいためだけに)、この人たちは自分のステージに来ているのだな、ということを実感し、その女性シンガーはやる気をなくしてしまい、女性シンガーであることを辞めてしまうという例があるのである。(現場がオタク化すると、新規のファンも来づらい空気になるため、それがなおやる気の喪失に拍車をかけるのだ)

バンドでもそうだが、顔面偏差値が高いと、自分の意図した形と違う関係性をファンと築くことになりがちで、それにより、演者側が摩耗することはよくある。

演者が望む適切な関係をファンと築けるかどうか。

アイドル的にしろアイドル的でないにしろ、バンドやアーティストにとって重要なのは、そういうことなのかもしれない。

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