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RADWIMPSの「’I’Novel」の歌詞について考察したい。

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この歌は2015年11月25日にリリースされたシングルに収録されている楽曲である。

今回のニューアルバム「人間開花」とどのようにシンクロするのかも考えながら歌詞を考えてみたい。

作詞:野田洋次郎
作曲:野田洋次郎

ずいぶん長らく歩いてきたような
そんな気がしていただけなんだ
小説にしたらせいぜい
まだ三行目あたりのこの人生

野田洋次郎がこの歌をリリースしたのは30歳のときである。

10年で小説1行分だとしたら、この小説はおそらく1ページにも満たない作品になるだろう。

まあ、少しは大人になったかな、と思っても振り返ってみたら全然大したことがない感覚というのは、誰しもが持っているものではなかろう。

ただ時間が長く感じるときというのは、それが辛いことであるときが多いのだから、この30年という人生は周りが思っているほど華々しいものではなく、苦労と苦悩の連続だったのかもしれない、とは想像することができる。

カバーもまだ 題名もまだ
決まらずに書き始めちゃったから
どこでどうしてどうなってって順序よく
収まりつかないや

人生を小説に喩えるフレーズはここでも続く。

まあ、タイトルを日本語訳すると「私という小説」みたいなニュアンスになるのだから当然なのだが。

さて、カバーや題名を決めることは人生のゴールが何かを設定すること、つまり最終的な夢を定めるという話になるわけだが、そこまで具台的な設定しないで、ひとつひとつの日々をガムシャラに駆け抜けたことを示すフレーズとなっている。

野田洋次郎は自分がみんなと「ズレていること」をずっと自覚しながら生きてきた人間であり、その「ズレ」があったからこそバンドを組んで表現ができていることもまた語っており、そういう営みも含めて、人生を改めて振り返っているのではないだろうか。

今日はただただもう
さぁダラダラしようと 物思いにふけてても
早くも僕の胸はもぞもぞと動きだす だって

だって、のあとにどんな言葉が続くのが気になるところである。

次の歌詞をみてみよう。

心臓は脈打ち 何ccかの血を全身へと送りだしを繰り返し
今日も休まず僕は僕を生かし

野田洋次郎はマクロなことを歌っているようにみせかけ、急にミクロなことを歌い出す。

とても遠いもののこと、とても近いもののことを一緒にして語るという想像力がRADの歌詞をセカイ系っぽく感じさせる所以なのだと思うのだが、ここまで人生を小説に喩える話と、心臓が血管を通って身体に血液を送る話を繋げようとしている。

*セカイ系については他の記事でも説明しているので、よかったらご参照ください。

辻褄あわぬストーリーに
ほろ苦い顔で見るストーリー
誇れるほどのものはまだないが
僕だけに光るものはあんだ

小説にすれば3行なのに、それでも既に色々なストーリーが紡がれていることを告白する。

もしかすると、僕の知っている小説とは違って、野田の指す小説は1行がとても長いのかもしれない。

まあ、他の人が見ればくだらないようにみえるストーリーも自分にとっては宝物という話である。

塗りつぶしたい? 破り捨てたい?
過去があろうとも汚れのない
物語など僕は惹かれない
あぁ 一瞬先の自分さえ

嫌な過去は葬り去りたいと考える人は多いけど、むしろ汚れている過去の方が僕は惹かれると野田は言う。

本当にその通りだと僕も思う。

もう待てないよ 今すぐでも会いたいよ
うかうかしてらんないの

さて、ここでふいに君が登場する。

この君は僕にとってどんな人物なのだろうか。

はみ出した君の痛みが
壊れないようにと涙した
ひょっとしたら もしかしたら
それはいつかのあの僕だった

ん?君=僕?

もう少し注意深く歌詞をみていこう。

輝いた朝の光が
水たまりを蹴って飛び散った
あのどれかが今の君なら いいな いいな

君=朝の光

ではないことだけはわかる。

君はモノではなく、ちゃんとした人物である可能性が高くなる。

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続きをみてみよう。

どっかの誰かが勝手に君のことを
あーとかこーとか言ったり
いつのまにか 君のブックの表紙に名前
勝手につけて

君がどういう人物で、僕にとってどんな間柄なのかはわからないけれど、君は誰かに勝手に目標を決められ、生き方を指図されている人間であるようだ。

頭きたよ 頭悪いけど
あんたに言われる筋合いはねぇから
とっとといなくなっとくれ
これ電車賃 受け取っとくれ

僕、激おこである。

ここでふいに登場する電車というモチーフ。

あんたというのは、誰だろうか。

どうにもこうにもいかない時でも
どうにかこうにか
ここまできたんだよ 今自信を持って言えるのは

苦労や苦悩をしつつもここまで生きてきたこと。

そして、そのことを誇りに持っていることを改めて言明する。

僕を乗りこなせんのは こいつの勝手がそうわかんのは
他にゃいないんだ このおいらにゃこのポンコツくらいが丁度いいんだ

乗りこなすというのは何をだろうか?

まあ、比喩ではあるんだけど。

要はここは自分はズレているけど、それでいいんだよ。常識というのはお前さんは向こう行っとけっていう話であろう。

でもあわよくば まぁいつの日か
この僕のこと この僕よりも
より分かって笑ってくれる人と
出逢えるといいな なんて

孤独であることは受け入れつつも、自分を理解してくれる人を望んでしまうのもまた性である。

野田はズレていることを理解しつつも、ずっと愛を歌い続けていたのはこのメンタルが根元なのだろう。

その時まで待てないよ
今すぐ抱きしめたいよ
この手で温めたいよ

早まるな。もう少し待て。

とこのフレーズには言ってあげたい。

飛び出した白い光が
奇跡と合わさって芽を出した
それが僕なら いいさそれなら
いっそ奇跡使い果たすんだ

飛び出した白い光はセイシのようにみえるし、合わさったのはランシで、そこから命を宿した、というフレーズにみえる。

この出会いは奇跡に他ならないわけだけど、その奇跡は誰にでも平等に訪れ、そこで命を宿すわけだ。

この奇跡に納得いこうがいかなかろうが、生まれたからには全力で生きていくというわけだ。

溢れ出した君の涙が
無駄にならぬようにと駆け出した
それを見た僕が胸に抱く気持ち
なんて美しいんだ

君の涙の美しさを実感する前に、その涙止めてあげなさいといってやりたいが、こういうところが野田洋次郎の個性だし、こういうところが前述しているズレの話と繋がるのだろう。

1秒先で輝いて
見えるものだけ追いかけて
「間違いなんてないんだから」
そんな言葉を真に受けて

今までストーリーはこのようにして描かれたのだ。という説明にも近いフレーズである。

ゼロで生まれた僕なのに
今名前を呼ぶ人がいて
当たり前などない脳に
産み落としてくれて ありがとう

ゼロというのは、まさしくセイシランシが出会う前は自分というものはいないのに、そこから自分ができていく奇跡のことを含意しているのだろう。

そこから形になって、名前をつけられ、自分ができていく。

常識のない人間になっちゃったけど、自分をこんな風に産んでくれてありがとうと言っているのだろう。

例え1ページで終わる命も
1000ページに及ぶ命も
比べられるようなもんではない
同じ輝きを放つに違いない

どんな人でも、長かれ短れ、人生には輝きがあって、それぞれ素晴らしいんだよという話。

あいまい 何の気ない
言葉延々紡ぐ暇などない
1ページを生きた少年の
本には誰よりも光る一行が

先ほどと同じことを別の語り口で語っている。

綴られているんだ
そう信じてやまないんだ
もうジタバタしてたいんだ

先ほどの一連のまとめである。

僕もどれだけ遺せんだ
ねぇどれだけ生きれんだ
時間以外の単位で

時間ではなく、ひとつひとつの密度が大切であることをここで述べる。

はみ出した君の痛みが
壊れないようにと涙した
ひょっとしたら もしかしたら
君の優しさの影だった

これまでのまとめのフレーズである。

輝いた朝の光が
水たまりを蹴って飛び散った
あのどれかが今の君なら
いいな いいな いいな

要は今の君の人生が朝の光のように輝きに満ちていたら、いいな、というわけである。

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