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Dragon Ashのおよそ3年ぶりとなる新曲「光の街」。

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ライブでのMCを聴いていると、Kjは新たな境地に立ったことが予感させられるが、それは楽曲にも色濃く現れている。

歌詞をみていきたい。

作詞:降谷健志
作曲:降谷健志

雲払った 小高い丘で誰か
ふと笑った 思い出す様に
It’s a brand new word
It’s a brand new hope
注ぎ出す様に

brand new wordは真新しい世界であり、brand new hopeは真新しい希望という意味になる。

雲は真新しい世界や希望を覆っていた「邪魔者」の比喩であり、雲が邪魔で見えなくても、小高い丘に登ることで、景色がクリアになって、今まで見えなかったものが見えてくる様子が浮かんでくる。

けれども、このフレーズそのものが比喩であることを示すがごとく、末尾は「様に」という言葉で綴られるわけである。

説き伏せる振りをして くり返す日常
はぐらかせやしない 突き上げる意志を

日常は嫌なこともそれなりにあって、色んなことに我慢をしながら、それなりに行儀よく生きている。

それは人がヒトになってしまう行為である。

けれども、それはあくまで「振り」であって、心の奥底では自分のやりたいことや衝動があるわけで、それはどれだけヒトになっている人でも消えないものなわけだ。

要は大人になるということは、色んなことを諦めていくことであるが、それでも大事なことは忘れないし、胸の中に大切に仕舞っているってことだ。

きりがない失望 それでも望むんだ
日々や充実を

先ほど似たようなことを述べている。

現実と理想。
失望と希望。
ヒトになることと人になること。
我慢することとあるがままに生きること。

色んな対比ができるけれど、今をそのまま受け入れることを完全に納得している人は誰もいないし、それを変えてやろうという闘志はどれだけ諦念している人にだってあるということをここでは訴えているわけだ。

我慢しなければならないこともあるけれど、我慢しているだけではダメなことも当然あるはずで、そういうことに対する「譲れないもの」はちゃんと望まないといけないことをここで訴えかけるわけである。

やり方も知らず 子供に生まれて
望む事はそう 喜びだけで
有り余るこの 痛みの先へ
幸へ 走れ 光りの街で
明日を望む

望むことを形に変えるやり方なんて正直なところわからない。

けれど、まずは望み、そして行動に移すことで、それは形になっていくはず。

そういう闘士を具体的に行動に起こさせるためのひとつのツールが音楽になる、とKjは信じているからこそ、ライブでは積極的にMCを行うようになり、「戦うように楽しむ」ことを標榜するようになったのだろう。

それを実感するように至ったのは、東日本大震災と、それにボランティアとして関わっていった一連の流れであろう。

光の街の「街」のモチーフは津波で流されてしまった、あの街のことがモチーフとしてあるはずだ。

すべてが流されてしまったあの街の人たちは、それでも諦めることはなく、現実にひれ伏することなく、ひとつひとつを行動に移すことで「復興」を成し遂げようとしている(もちろん、まだ途中ではあるけれども)。

そういう人の姿に、Kjは希望を見出したのだろう。

だから、この歌のタイトルを「光の街」とすることができたのだろう。

「痛みの先へ 幸へ 走れ 光の街で 明日を望む」とはそんな一連のことを指しているのだろう。

そして、そこで感じたことを、ただ東北の街に還元するだけではなく、もっと敷衍して色んな人にメッセージとして届けたいと感じたからこそ、この歌が作られたのだろう。

この歌が、あえてありきたりな言葉で歌詞を形作っていたのはそういう理由からなのかもしれない。

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2番の歌詞をみてみよう。

とりつくろう様にして 塗り潰す表情
押し殺せやしない 降り続く衝動

語っているモチーフは一番と同じである。

最初のフレーズは、辛い現実を辛いと思いながらも受け入れる現状を描き、次のフレーズでは、それに抗いたい奥底の想いを綴るわけだ。

叶わない切望 それでも望むんだ
華やいだ季節を

自分の望みが「叶わない切望」だとしても、それを本気で夢見るのであれば、やはり行動する意味をKjは訴えるのである。

やり方も知らず 子供に生まれて
望む事はそう 喜びだけで
有り余るこの 痛みの先へ
幸へ 走れ 光りの街で
明日を望む

あえてサビのフレーズは変えないのは、ここがまさしくこの歌のメッセージそのものだからであろう。

続きの歌詞をみていこう。

失って過ぎ去って
また今日が終わりその向こうへ
しがみついていくんだ 望む事で

so we hope

let’ make a new hope
がれきの道を抜け
let’ make a new hope
明日への意志を連れ
don’t let the fire die
don’t let the fire die

let there be light
let there be light
let there be light
be light

やり方も知らず 子供に生まれて
望む事はそう 喜びだけで
有り余るこの 痛みの先へ
幸へ 走れ 光りの街で
明日を望む

このフレーズでも、望むこと、希望を抱くことの大切さを述べる。

let’ make a new hopeは希望を描こうという意味合いになる。

don’t let the fire dieは火を絶やすな、という意味合いになる。

そして、let there be lightは光あれ、という意味合いになる。

がれきの道とは、東日本大震災で被災した街をイメージさせるフレーズである。

この歌はモチーフとして、何度か東日本大震災を登場させているが、そのモチーフはすべて希望を描くためにしか登場させていない。

Kjはお涙頂戴ではなく、あくまでも戦うための希望として描きたいと考えているからである。

Kjはあの震災で見たのは、失望ではなく希望だったからであり、未来に光があることを確かに感じたはずなのだ。

あの街は「光の街」になっていくことを感じたから、こんな歌詞を書いたのだろう。

そして、望んで行動を起こせば、どんな街だって「光の街」になることを実感できたからこそ、こんなメッセージを歌をKjは書いたのではないだろうか

もちろん、その「光」が具体的に何を意味するのか、個々人が考える必要があるが、あえて、この記事でそれは何なのかを言葉にするとしたら、それは「人が笑顔でいられる未来」というふうに言えるのではないだろうか。

「光の街」の意味。あなたはどう解釈しますか?

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