SEKAI NO OWARIが10月5日に新曲をリリースする。

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タイトルは「Hey Ho」。

深瀬とさおりはこの歌にどんな意味を宿したのか、考えてみたい。

作詞:Fukase Saori
作曲:Nakajin

このぼろぼろの思い出とか
ばらばらに壊れた気持ちも
大事にしたから大切になった
初めから大切なものなんてない

どこか遠い世界のことなど
どうでもいいやと呟いた
大事にしないとああ、こんなにも
大切なものなんて無いんだなあ

嵐の海を渡ってく
世間は正義の雨を降らす
汚れた荷物、笑えるくらいゴミみたい
でもどうしようもなく 大切で

Hey Ho Stormy Seas!
誰かからのSOS
ずっと耳を塞いできたこの僕に

Hey Ho Stormy Seas!
誰かからのScream Of Silence
この嵐の中、船を出す勇気なんて僕にあるのかい

例えば君がテレビから流れてくる
悲しいニュースを見ても心が動かなくても
それは普通なことなんだと思う
誰かを助ける事は
義務じやないと僕は思うんだ
笑顔を見れる権利なんだ
自分のためなんだ

君が誰かに手を差し伸べる時は
イマじゃないかもしれない
いつかその時がくるまで それでいい

Hey Ho stormy seas
誰かからのSOS
きっとこのまま「誰か」のまま放っておけば
忘れてしまうだろう

Hey Ho stormy seas
また聞こえるSOS
この嵐の中、船を出す勇気なんて僕にあるのかい

Hey Ho stormy seas
誰かからのSOS
ずっと耳を塞いできたこの僕に
Hey Ho stormy seas
誰かからのScream Of Silence
この嵐の中、船を出す勇気なんて僕にあるのかい

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この楽曲は動物殺処分ゼロプロジェクト「ブレーメン」の支援シングルであり、今作で生じる収益をこの活動の支援に充てていくということである。

というわけで、歌詞全体もそのプロジェクトあるいは動物殺処分についてなぞらえたものとして読み取ることもできるとともに、サビのフレーズはセカオワの代表作である「RPG」の続編ともいえるものになっている。

RPGの歌詞は「海を目指して歩いていく主人公」のことを歌ったものであり、今作は「嵐の海に向かっていくこと」をサビで歌っているものになっている。

冒頭のフレーズで「大事にしたから大切になった。初めから大切なものなんてない」というのは、先のことなどあまりよく考えずに安直に「欲しい」という理由だけで動物買ってそれをペットにしてしまい、やがてペットを育てることの大変さ、めんどくささを痛感し、そもそもペットを飼うことに飽きてしまい、まるでモノを捨てるような感覚でそのペットを保健所に持っていき、捨ててしまうような人のことを揶揄しているようにみえる。

もちろん、保健所に持っていったペットのほとんどが、最終的に殺処分されてしまう。

すぐに「捨てる」なんて選択はしないで、とりあえず一緒に暮らそうよ、大事にするから大切になるんだから、というメッセージを、動物を安易に捨てようとする人に向けて送っているように感じる。

サビで出てくる「誰かからのSOS」とは、捨てられた動物、そして嫌々ながらもペットを殺処分せざるをえない人たちの悲鳴であるように感じる。

見えないところで命が捨てられているから「ペットを殺したこと」に実感がないだけであって、現実としては「捨てる」という選択は殺したことと同義なのである。

そして実際に、たくさんの動物たちが人間のエゴによって殺処分されているのだ。

環境自然環境局の発表によると、平成26年度の犬の殺処分数は21,593匹、猫は79,745匹とのことである。

犬猫だけでも10万以上の命が葬られているなんて、あなたは知っていたでしょうか?

ペットを捨てた人ほど、自分がペットを捨てた後にそのペットがどうなるかなんて考えていないわけであり、まさしくサビのフレーズにある「ずっと耳を塞いできた」と同義であるように感じる。

そこからの発展として、2番の最初のフレーズでは「テレビから流れてくる悲しいニュースを見ても心が動かなくてもそれは普通のこと」であるというフレーズが歌詞に出てくる。

これは、先ほど明記した殺処分されている動物ことを事実として知り、それを数字では認知したとしても、本当の意味で心を痛める人なんてマレであり、何も思わない人の方が「普通」というわけである。

そしてそれとともに、「誰かを助けることは義務じゃない」と歌詞では言い放つのである。

つまり、この楽曲では支援プロジェクトをしているわけだが、決して「みんなも一緒にボランティアをしよう」とか「動物のことをもっと考えよう」とかそんなことが言いたいわけではないというわけである。

では、何が言いたいのだろうか。

2番のBメロがそのメッセージを明かす。

読んでもらえればわかるが、それがこの歌の本質的なメッセージであるように思うわけだ。

つまり、この歌は動物の殺処分のことを歌った歌であるような装いをしておきつつも、それが「本質」ではないということでもあるわけだ。

誰にでも当てはまる、普遍的なことを、この歌はテーマにしているのだ。

言ってしまえば、動物の殺処分はこの歌詞においてはひとつの「例え」というわけである。

ペットなら捨てれば殺処分される。

これがもし「人間」ならどうだ?というわけだ。

人間なら「捨てたら消えていなくなる」なんてことはありえず、どんな人もその人なりの続きの人生を歩むわけである。

それこそ世界の終わりにでもならないかぎり、みんな命の限り生きていくわけであり、苦しいならばSOSをだしたりして、なんとか這いつくばって生きていくしかないわけである。

みんながそれぞれの悲しみや苦しみを抱え込んでいるこの世界は、まるで嵐のような凄惨なものだけれど、それに関わることを拒否してしまっていいのだろうかと言うわけである。

ひきこもるようなこと、耳を塞ぐようなことは止めて、嵐の中に船を出すべきなんじゃないのか、と歌うわけである。

セカオワの深瀬は決してリア充とはほど遠い境遇で生きてきた人間だった。

だからこそ、歌詞に出てくる主人公や君は暗い闇を抱え、ひきこもりになりそうな弱い人間になっている。

でも、深瀬はあるタイミングで耳を塞ぐ側であることを止めて、嵐の中に船を出すことを決心した。

だからこそ、今のような栄光を勝ち取り、色んな人に出会い、こうやってセカオワを不動のものにすることができたわけだ。

そして、今作では不思議な縁で「動物殺処分ゼロ」を支援するキャンペーンソングを歌うことになったのだ。

船を出したからできたことである。

耳を塞いで、SOSを無視していたら、できなかったことである。

そういう大切さを知っているからこそ、こんなメッセージを歌にした。

そんなふうに僕は思う。

ちなみに歌詞に出てくるStormy Seasは嵐の海という意味であり、
Scream Of Silenceは沈黙の悲鳴という意味である。

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