藤原さくらが3月のライオンの主題歌としてカバーしたことでも話題のスピッツ「春の歌」。

今回はこの「春の歌」の歌詞について書いてみたい。

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作詞:草野正宗
作曲:草野正宗

重い足で歩く〜全てを食べた

「重い足」という言葉から、この主人公が疲労困憊でここまでやってきた感じが伝わってくる。

ぬかるむ道とトゲのある藪。

夢を目指す上での障害であることはよくわかる。

けれど、僕はそれを乗り越えてやって来た。

それどころか、僕は壁を乗り越える作業を経験値にして、自分のレベルをアップさせたわけだ。

逃げるのではなく、立ち向かったわけである。

それが「食べられそうな全てを食べた」という歌詞に集約される。

長いトンネルを通った〜とこだった

そういう壁=長いトンネルとし、そこをくぐり抜けたことでこの歌の物語は始まる。

何かになりたいと夢を目指すには、それになるまでが大変なわけだが、それになれたからといって夢が終わるわけではなく、むしろそこからが始まりとなる。

このフレーズでは、そのことについて歌われている。

「どうでもいい」とか〜心 今放て

夢を目指す道のりは果てしなくて、時に「どうでもいい」と愚痴るときもある。

けれど、ひとつのステップを登ったことは間違いないわけで、ここで心を開いて希望を胸いっぱいに吸い込んで、もういっちょやったれ!って感じになればいいんだ、と草野は優しく背中を押す。

春の歌を歌う〜映る君にも

ここでふいに出てくる遠い空に映る君、という存在。

一体おまえはどこからやってきたのだ?という疑問もあるだろうが、とりあえず歌詞の続きをみてみよう。

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2番の歌詞である。

平気な顔で〜されていく

要は見えないところで努力してたよね、という話であり、見えないところでの努力はいつか報われ、光を浴びるんだよという話。

忘れかけた〜をなぞる

ここでまた登場する「君」という人物。

忘れかけたけど、忘れたくない名前ってどういうことなんだよ、という話であり、おまえは一体何者だというところに話が集約される。

が、ここでそれについて考えるほはまだ早いので、とりあえず、歌詞の続きをみてみよう。

春の歌〜この道を

マサムネが人生についてここまでポジティブな言葉を並べるのは珍しいが、「遮るな、この道を」と言われたらやるしかないなって感じになる。

まだ愛も希望もつくり始めた段階であり、まだしっかりと形になったわけではないから不安になることもあるけれど、遮らなければその先は少しずつ見えて、夢はきっと叶うよ、というわけである。

歩いていく〜いく

サルというのは、本能だけで動く人間の比喩であろう。

夢を目指す本気度をいっているわけであり、あれこれ頭で考えるんじゃなくてまずは動け、というわけだ。

そういうことをあえて「サル」と表現している。

ちなみに孤りを「独り」と表記せず、「孤り」と表記したのには理由がある。

孤りというのは環境的な意味におけるひとりというニュアンスなのだ。

つまり、夢を諦めて地元に戻れば孤りじゃなくなるということだ。(もし、独りという表記なら環境は関係なしで独りという意味合いになり、どこにいっても孤独であるというニュアンスが強くなるわけだ)。

幻じゃなく、というのは妄想でも頭の中の話でもなく、現実として歩いているんだよ、というニュアンスを強めるためである。

春の歌〜この道を

ところで、最後まで宙ぶらりんにしている「君」とはいう言葉。

これは何者なのだろうか。

そもそもこいつは人なのか?という疑問が生まれてくる。

おそらくであるが、君というのは僕の夢のことなのだろうと思う。

だから、名前を忘れかけて、でも忘れたくないのだ。

遠い空に映るの君、というのも、要は君という夢はまだ遠いところにあるよという意味合いであり、僕はそこを目指してこんなにも一生懸命になって目指している、というわけなのだ。

君=夢(という比喩)。

これが結論だ。

だから、僕が君に出会うまでこの物語は続くし、君と出会うための応援歌として「春の歌」は存在しているという、そんな個人的解釈。

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