スピッツの名曲中の名曲、「チェリー」の歌詞について一度、考察をしてみたいと思う。
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失恋の歌であり、卒業式なんかでも使われることのある不朽の名作である。
が、メロディーもコードもすごくシンプルで、マサムネ氏が自転車をこぎながら、ふとメロディーを思いつき、さっと曲にしちゃった!みたいな単純な曲なのである。
マサムネ氏の歌詞にしては意味もわかりやすく、考察なんて不要ではないか?そんな疑惑もあったりするけど、だからこそあえて考察する面白さもあるので、考えてみたい。
作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
君を忘れない〜黄色い砂
君を忘れないということは、その前に別れがあったことがわかる。
どういう別れをしたのか、僕と君との間柄がどんなものなのか、この時点でははっきりしないのでひとまず置いておこう。
曲がりくねった道を行く、というのはこの先も色んなことが待ち構えていて、そんなドキドキワクワクな未来に歩を進めていくよ、というニュアンスを込めたフレーズであろう。
太陽が産まれたて、ということはそれまで僕の歩く道は暗かったのだろうか。
君という人が近くにいながらなんてことを言うんだ、と思わなくもない。
夢を渡る黄色い砂、とはどういう比喩だろうか。
黄砂のことでも指しているのだろうか。
しかし、流れを考えると、少し違う気がする。
夜空を走る流れ星の比喩なのだろうか。
流れ星が消える前に願いを3回言えば、夢が叶うという言い伝えがあるので、「夢を渡る黄色い砂」という表現を使ったとすれば、わりとロマンチックなフレーズである。
ここは一度、置いてしまって、先をみよう。
二度と戻れない〜僕を待ってる
太陽が産まれてなかった世界を歩いてきたのだから、さぞかし過去は暗いのかと思われたこの主人公であるが、やはり、「君」がいるときはずいぶん楽しかったようで「くすぐり合って転げた日」だったと回想している。
そして、二人でくすぐり合うような関係なのだから、僕と君は恋人である可能性が高いことを実感するわけである。(なんか男友達同士でくすぐって転げ合うのってちょっと気持ち悪いと思うのだ。なんて書き方をすれば一部の方に失礼な物言いになるし難しいところだが)
ただ、そんな日々はもう戻らないという。
なぜ、戻らないのか気になるところである。
でも、それ以上に騒がしい未来が待っているから、これからも前向きに生きていこうというわけだ。
ここが秀逸なのは今までが「楽しかったのか」、そして、これから「楽しくなるのか」については一切明言していないところである。
僕が過去と未来について「どう感じているのか」は何にも明かさないような表現方法が取られているわけである。
そして、サビに向かう。
“愛してる”の方〜ほど抱きしめて
愛してる、という言葉からも僕と君は恋人である可能性を強めている。
それにしても、「強くなれる」とはどういう状態を指すのだろうか。
想いの強度のことだろうか。
ささやかな喜び=くすぐりあって転げた日という図式が成り立つだろう。
そんな日々を抱きしめるということは、やはり少なからず過去に未練を感じているということである。
でも、未来に目を向ける必要もあるから「つぶそう」としているのかもしれない。
いずれにせよ、僕と君が引き続き恋人の関係でいることはもう叶わぬ願いになってしまったことはよくわかる。
一体、このふたりの身に何が起こったというのか。
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2番の歌詞をみてみよう。
こぼれそうな思い〜欲しいと言ったのに
こぼれそうな思いとは、僕の君に対する気持ちを指しているのだろうか。
僕の手を「汚れた」と書くのが実に草野らしい。
草野は基本的に僕側に卑下な言葉を当てはめ、君に対しては崇高な言葉を並べることが多いから。
そんな過去の恋愛感情を手紙にしているなら、そりゃあ捨てたくもなるものである。
それにしても、このフレーズ、誰に対して言っているものなのか。
僕が君に手紙を捨ててよ、と言っているのだろうか。
あるいは、僕が僕に手紙を捨ててよ、と言っているのだろうか。
考えてみよう。
くすぐり合って転げていたその昔、僕は君に色んな「愛してる」や「好きだよ」という気持ちを込めた手紙を贈ったのだろう。
しかし、何らかの理由で僕と君との恋愛関係は解除された。
心の中にはまだ色んな甘い思い出も残っている。
僕はそんな記憶をひとつひとつ思い出してしまう。
過去の甘酸っぱい思い出を思い出して、僕は「うわあああああ、なに思い出しちゃってるんだよ。恥ずかし!もう、早くこんなこと忘れちゃいたいなのに」みたいな感じになっている。
そんなふうに考えれば、捨ててほしいのに、とはいっているのは、僕が僕に対して言った言葉になる。
つまり、手紙とは記憶という言葉の言い換えである、とここでは考えることができるわけだ。
次のフレーズをみてみよう。
少しだけ眠い〜通り過ぎてく
このフレーズは日々の忙しさを匂わせている。
眠たくても仕事に行かなければならず、冷たい水で顔を洗い、忙しない日々を通り過ぎていくように過ごしているわけだ。
急に現実的なフレーズを忍ばせ、主人公はどこにでもいる会社員(だと思われる)と想像させるのが、草野節なのである。
ファンタジーとリアルをうまく融合させて巧みなフレーズなわけだ。
サビをみてみよう。
“愛してる”の響き〜君とめぐり会いたい
さて、気になるのは別れたはずの君とまためぐり会いたいと言っている部分である。
ここが実にマサムネらしいと思うのだが、「めぐり会う」というのが実に輪廻っぽくないだろうか。
これは復縁を志向したフレーズではなく、生まれ変わったらまたこの場所で会いたいね、みたいなニュアンスを込めているのではなかろうか。
次のフレーズをみてみよう。
どんなに歩いても〜舞う花びらに変えて
心の雪、というからには悲しい気持ちにさせて頬をぬらしたことがわかる。
さて、たどりつけなかったのは心の雪の方なのか、頬をぬらした表情なのかで大きく変わる。
心の雪であれば、このフレーズの意味は「悲しみの理由がわからなかった」というふうに捉えることができるし、頬をぬらした表情であれば、このフレーズは「泣いている姿を一度も見ることはなかった」という捉えることができる。
そもそも、心の雪で頬をぬらしているのは僕か君かもはっきりと書かれていない。
どっちだろうか?
また、悪魔のふりして歌を切り裂く、とはどんなことを指すのか。
これって、歌というのは思い出のことを指しており、思い出を切り裂いて、それを花びらにして君の門出として密かう祝福しているという意味合いに取れないだろうか。
要は過去を引きずることはやめて、未来だけを見据えよう、少なくとも君のことを考えるときには。
そんな感じにとらえることはできないだろうか。
何度もいうが、僕は君に未練があるが、僕は何かしらの理由で君と別れている。
細かい部分は謎だけど、僕はこの別れは極力前向きにとらえようとしているし、少しでも君のいない日々の生活になじもうと努力している様子がみてとれる。
そんな姿勢をより強固にしてるのがこのフレーズというわけだ。
君は僕の元にいて欲しいけど、そういうわけにもいかないから歌を切り裂いて、それを桜にして「この先もがんばれよー」なんてエールを送っているわけだ。
君を忘れない〜とめぐり会いたい
でも、この歌って僕が「強くなれる気がした」だけで実は強くなったわけではないことも告白している。
ズルすることや真面目に生きるということがどういうことを指すのか名言されていないが、要は僕は君抜きで生きていこうとしていることはわかる。
でも、強くなれる気がしただけで、強くなれていない僕は、やっぱり君がいない世界は寂しいわけで、ささやかな喜びをつぶれるほど抱きしめたくなるし、いつかまたこの場所で君とめぐり会いたいと願ってしまう。
いっそのこと喜びをつぶしてしまいたいが、つぶせないあたりも僕の弱さなのかもしれない。
つまり、これは成長しようとするけど、成長できない男の様子が描かれているわけだ。
この歌は僕も君も死別はしていないのである(重要)!
そして、いつまでも子供なままでいちゃう甘えん坊な男の歌だからこそ、この歌のタイトルは「チェリー」になったのだ、というのは少し考えすぎだろうか。
この歌はふたつの意味で「チェリー」なのである。
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