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ドナルドが米国の大統領になった。

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これに対する意見は色々あるだろうし、不利益を被る人だって当然いるだろう。

しかし、決まったことは決まったことである。

民主主義というのは、時に自分には納得のできない結果が選択されるということである。

さて、なぜトランプが勝ったのかについては色々な分析があるけれど、それは終わってからの分析であり、事前にトランプが勝つ可能性があることをしっかり述べているのは、しっかりと世代や地域を超えて色んな人間と対話できていた人物だけだったのは印象的である(マイケル・ムーアがその最たる例であろう)。

米国のマスコミがここまで無残に予想を外したのは、「都会の人間」の意見しか知らず、(マスコミもまた都会の人間である)広い範囲での大衆の意見をしっかりと汲み取れていなかったがゆえなのであろう。

まあ、そーんな分析は色んな人たちがしているだろうから、今更僕が書いてみたところで、価値なんてほとんどないと思うので、僕はもう少し別のことを書いてみたい。

その前に柴さんのブログを紹介したい。

柴さんが自身のブログでこんなことを書かれている。(そのブログはこちら)(そして、柴さんって誰やねんという人には音楽ジャーナリストの方ですとかだけ紹介しておく)

この記事では、クリントン支持者に多いのは「オープンになっていく世界」に生きている人々であり、トランプ支持者に多いのは「閉ざされていく世界」に生きている人々であるとのこと。

この言葉の意味についてはブログをきちんと読んでもらった方がいいと思うが、簡単に言えば田舎を出て都会に出ていき、より広い世界を横断するような生き方をしているか、地元にずっと住み着き、小さなコミュニティや小さな地域に根付くような生き方をしているのかの違いと考えてもらえればいいかと思う。

SNSでいえば、雑多な人たちをフォローするのか、自分の趣味や嗜好が似ている人だけフォローするかの違いであろう。(つまり、SNSではほとんどの人が「閉ざされていく世界」を生きていると言えるのではなかろうか)

さて、世界を閉ざし内にこもる流れが世界的にもきているのは、イギリス国民がEU離脱を選択した例をみても明らかである。

また、我が国を考えても、嫌韓・嫌中の人は多いし、移民なんて認めたら目くじらをたてる人はかなり多いと思うので、似たような状況ではないかとおもう。

確かに地球というレベルで考えれば、移民は認めるべきだし、世界中の人が手を繋ぐようにすべきなのだろうが、そんな考えをするためには、しっかりとした教育を受け、それなりの資本を手にして、色んな文化があることを知っている人間ではないと難しい。

ずっと地元で生きてきた田舎の人間は、世界が平和になることよりも、自分たちの生活の明日が保証されることの方が大事に決まってるし、それがリアルだし、そもそも「世界」って何やねんって考えになるに決まっているわけだ。

同じ国にいても、住んでいる場所・触れてきたものの違いで、見えている景色や未来はまったく異なっていくのだ。

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世界というのは触れるのが難しいのだ。

世界というのをインターネットに例えたら、もう少しクリアに見えるかもしれない。

例えば、僕のサイトに訪れる人のほとんどはキーワード検索でやってくる。

広大なインターネットの世界の中で、それぞれのサイトに訪れることのできる入り口は基本的に「検索」というものしかない。

「検索」と入り口をつかい、でかすぎるインターネットの世界のほんの一部を垣間見るわけである。

ちなみに、こや「検索」というシステムはひとつの言葉で検索をしただけでは、自分の得たい情報に簡単にたどり着けないので、「検索」する言葉を増やしていくことで、少しずつサイトを絞っていく人が多い。

僕のような小さなサイトは、そういう絞り込みの検索を行うことを想定し、こういうことを検索する場合は、こういう言葉もあわせてキーワード検索する可能性が高いはずだと考え、大きなサイトの縫い目をさぐり、こういう検索のされ方なら上位表示されるであろうという穴場を見つけて、記事を書いていくわけである。

まあ、そういうテクニックはどうでもいいけど、僕らが「検索」によって繋がるサイトはでっかいインターネットの世界のほんのほんの一部分ということである。

どれだけの言葉を持ち得たとしても、インターネットの世界を(要は検索結果を全て覗くことは)認識するのが不可能であるということである。

広い視座を持っても、全部の認識なんて不可能であるというわけである。

それなら、自分と自分にもっとも近い人間だけが幸せならそれでいいやん、というそういう考えに陥りやすいというわけである。

そんな想像力を肯定的に描いた作品が「君の名は」だと個人的には思うのだ。

もちろん、あの映画は色んな見方ができるけれども、基本的には瀧と三葉の恋の切なさに涙する作品だと思うし、そこがヒットしている一番の理由である。

そして、あの作品は瀧と三葉がこれほどまでに運命的であるということを表現するために、簡単にたくさんの命を殺したり生かしたりする。

だって、二人の恋愛を成就させるためだけに隕石落下を回避させるわけである。

たまたまあの映画は隕石落下を防ぎ、多くの命を救う流れだったから、「えぐいこと」をしているようには見えなかったけど、あの二人はきっと「救われるはずだったはずの多くの人の命を犠牲にしなければ二人は結ばれない」という選択をしなければならないとしても、同じことをしていたと思うし、あの映画で泣いた人のほとんどは、あの二人がそういう生き残り方を選んだとしても、きっと涙したと思う。

結局のところ、知り合いなんて誰もいない、よくわからない世界の存亡よりも、自分が知っている人のわかりやすい幸せの方がよっぽどリアルだし大切なわけだ。

つまり、あの映画はまさしく外ではなく内をみることを肯定する映画だったわけであり、外あの映画に共感できたということは、そういうことなわけだ。

まあ、日本はたまたま移民もないし、そんなに外国人も多くないから、あまりわかりやすい形で「内に向いた想像力」が開くことはないけれども、おそらく日本だって同じような選挙があればトランプを選んでしまうのではないかと思うのだ。

なんとなく、僕は「君の名は」のヒットとトランプ当選とは同じメンタリティから生まれたものではないかも勝手に思っているという、そういう話。

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