フジファブリックって皆さんにとってどういうバンドだろうか?

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人の数だけ答えがあるとは思うけれど、どうしても「志村がいたバンド」と捉える人は一定多数いると思う。

今も精力的に活動をしているのは知っているし、良い曲を作っているのも知っているけれど、志村がいたあの頃と比べるとどうしても微妙な気持ちになる人って、それなりにいるかと思うのだ。

気持ちはわかる。

僕自身も、フジファブリックは志村がいたからこそ「見つけたバンド」だったし、志村がいなかったら、好きになることはなかったバンドだって思うから。

けれど、ひとつだけ言いたい。

フジファブリックは「過去のバンド」ではないよ、と。

今もなお進化しているバンドだし、新曲を出すたびにフジファブリック、ますます良くなっているよ、っていうのは念を押して言いたいのだ。

つまるところ、昔も良かったけれど、今だって全然いいし、何なら今の方が魅力的な部分だってたくさんあるんだよ、という話。

そこで、この記事ではフジファブリックを「志村のいたバンド」だと思っている人に、今のフジファブリックだってとても素敵なんだよ、よかったら一度聞いてみない?っていうテンションで、自分なりに言葉を紡いでいきたいと思う。

大きなお世話かもしれないが。

そもそもフジファブリックって他のバンドと何が違っていたのか?

初期のフジファブリックの音源を聴くと、今でも他のバンドには独特な感じを受ける。

すごく懐かしい感じがするのにすごく新しく聴こえるし、すごく独特なことをしているのに良い意味でノスタルジックに聴こえるというか。

それは「オルタナティブなのに哀愁がある」とも言い換えられるかもしれないし、サイケデリックなのに情緒がある」とも言い換えられるかもしれないし、「ずらしてるのにポップだし、ポップなのにズレてる」とも言い換えられるかもしれない。

言い方は色々あるにせよ、独特な感じがある。これだけは確か。

なぜ、独自性を感じるのだろうか。

色んな要素があるとは思うが、志村の声による影響は大きいように感じる。

エモーショナルに歌うことで観客の感情を揺さぶることが良しとされるロックミュージックの中において、志村の歌声はどこまでも感情的抑揚が薄い。

また、志村は元々音域が広くないし、音程(ピッチ)は安定しておらず、半音よりちょっと小さいくらいの外し方をしたかと思えば、すぐさま修正している、そんなフラフラな歌い方をする。

音程が広くなく、音程も安定しない。

それだけ聞けばそれってただの下手なんじゃ…?と思うかもしれない。

けれど、志村に限ってはそういう印象は受けず、むしろそれを味と感じるのだ。

なんならそれがあるから、志村のボーカルは引き込まれるのだ、とさえ言える。

志村時代のフジファブリックの曲のメロディーって、独特な動き方をしていることが多い。

普通、Aメロはメロディーの動きを少なくするし、サビは高音にしてメロの動きを大きくしてインパクトを与えようとするし、メロディー終わりの音を高くすることで、気持ち良い終わらせ方をしようとする。

けれど、志村の楽曲はそうならないことが多い。

定石通りにならないメロディーを作るのだ。

代表曲である「夜明けのBEAT」や「銀河」だって、よく聴けばかなり変わったメロディーである。

要は、ヘンテコなメロディーをヘンテコな声が泳いでいくから、フジファブリックの音楽には独特の変態性が宿るのだ。

屋台骨はヘンチクリンなメロディーとボーカルであるはずのに、単なるサイケデリックには陥らないポップさもあるのがフジファブリックの凄さ。

これは、どこまでも季節感が強く哀愁のある歌詞と、技巧派でアレンジの幅が広いバンドサウンドが寄り添ってくれるからだと思う。

ここで改めて述べるまでもないことだが、志村って、風景や景色を通じて、人間の感情の核心を突くようなフレーズを書かせたら天下一品である。

「茜色の夕日」や「若者のすべて」なんかを聴いてもらったらわかることだと思うが。

このソングライティングのセンスと独特の歌声と変態性は、どうあがいても替えがきかないから、未だに志村の喪失を悲しむ人が多いわけである。

だからこそ、新生フジファブリックは悩んでいたはず

志村が亡くなってからは、ボーカルは山内総一郎がとり、3人体制でバンドを動かすことになる。

志村が亡くなったのは2009年12月。

そのおよそ七ヶ月後の2010年7月に、志村が残した曲をもとに「MUSIC」というアルバムをリリースする。

さらにそのおよそ1年後には、新生フジファブリックによる初のオリジナルアルバム「STAR」という作品がリリースされる。

シングルのリリースに関して言えば、けっこうな期間が空いている。

新生フジファブリックとして初めてリリースされたシングルは、2012年5月の「徒然モノクローム」になる。

意外に思うかもしれないが、志村期も含めたフジファのキャリアのなかで、現時点で一番売れたシングルはこの「徒然モノクローム」だったりする。

ここでわかるのは、新生フジファブリックになっても比較的コンスタントに曲を作ったということ。そして、それを引っさげてフェスやライブも精力的に行ったということ。

ただ、活動をすればするほど、おそらくメンバーは下記のようなことを実感したのではないかと想像する。

・志村のような楽曲を作ることはできないし、もちろん、それを超えることはできない
・(フェスシーンなんかは特に)世間一般が自分たちに求めているのは志村時代の曲ばかり

志村の話をすると否が応でもエモい空気になるし、そんなMCの後に志村時代の曲をやると会場は盛り上がりがちだし、逆に新生フジファブリックの曲の盛り上がりはぶっちゃけ微妙であることが多かったし、モテキの主題歌として志村曲の「夜明けのBEAT」が起用されて話題になったこともあり、なおのこと、やっぱりフジファブリック=志村だよな、という空気が根強く残っていたように感じるのだ。当時は。

フジファブリックのメンバーだって、それは実感していたように思う。

だから、考えたはずだ。

志村時代の楽曲が求められがちななかで、どのような新曲を作っていけばいいのか、と。

ある段階までは、新生フジファブリックがリリースする楽曲は「昔のフジファブリックのセルフパロディ」になっている部分があったように思う。

もう少し言えば、志村ならこうしていただろうし、志村がいた頃のフジファブリックならこういう音楽的アプローチをしていただろう、みたいな、志村ありきで考えられた音楽を作っていたんじゃないかなーと思うのだ。

もちろん、志村がいてこそのフジファブリックなんだからそれはそれでいいんだけど、悪い意味で過去の焼き直しのなかで音を鳴らしていた部分はあったのかなーと。

すんごく表層的にフジファブリックの音楽を見ていくと、こういうことが言える。

イントロはわかりやすく覚えやすいギターリフ。

歌詞を大事にするバンドだからしっかり言葉が聞き取れるレベルのスピード感で音を鳴らす。

メロディーはフラフラ。

一音一音は伸ばしがちして、リズムだけはシンプルにすることでポップ性は損なわせない、みたいな。

そういうフジファブリックの表層的部分をキラキラポップスに落とし込んだ曲が「徒然モノクローム」なのではないかなーと思っていて。

まあ、3ピースとなったため、音の起点やイントロのリフはギターではなく、キーボードが担うようになってはいるんだけども。

志村は超えられないけれど、求められるのはそこで、だからこそ、残された自分たちはどういう音楽をやるのか、そういう迷いがあるなかで曲を作っているように感じたわけだ。当時は。

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開花した山内総一郎

新生フジファブリックが新生フジファブリックとして圧倒的な個性を放っている所以は、初期のフジファブリックのMVでは「モブキャラ」でしかなかったギターの山内総一郎が、圧倒的に覚醒したことにある。

ライブを見ていると、MCの能力だけはなかなか向上しないけれど、それ意外の成長具合は本当に凄まじい。

そもそもフジファブリックってギターがすごく難しくてメロディーがヘンテコなバンドであるため、ギターボーカルをやるのは大変なはずなのだ。

しかし、山内はそれをさらっとやってのける。

山内は志村と違ってピッチを狂わさずに歌うし、爽やかで優しい声質なため、フジファブリックの楽曲のポップな部分をより強調させることができる。

このためなのかそうでないのかはわからないが、おかげで、フジファブリックというバンドが全体的に爽やかさと緩さを帯びるようになった。

まあ「爽やかさ」なんて言うと少し安っぽい言葉になるので少し言葉を言い換えるならば、志村では表現できなかった「声の表情」が山内の声にはあり、山内自身も自覚的にそれを魅せるようになったから、あるタイミングでフジファブリックの色がパリッと変わったわけだ。

だから、初期曲を歌っても、良い意味で初期とは違う世界観を作り出せるようになった。

セルフカバーではなく、自分たちの歌としてちゃんと表現できるようになってきたわけだ。(「茜色の夕日」だけはまだそれができないと考えているから、この歌だけはまだ歌わないのではないかと思っている)

フジファブリックの本質にある、ヘンテコなメロディーをポップスに変える、という精神は残しつつも、志村ではなしえなかった「新たなポップス」をちゃんと表現するになってきたわけだ。

この動画をみてほしい。

メロディーもアレンジも変わった感じがすると思う。こういうものをポップにするのがフジファブリックはとても上手いわけだ。

そして、もうひとつ。

なんですか、このダンス。

せっかく爽やかになったし、垢抜けたのに、なんだこれ、このダンス。なんだ、これ。マジでなんだこれ、ダサい。ダサいぞ山内!!!!

そうなのだ。

フジファブリックはせっかく「爽やか」という武器を手に入れたのに、初期からずっと持っていた変態性は手放さなかったのだ。

もっとサブカル寄りになって女子からキャーキャー言われるような路線にいっても良かったはずなのに、それをしなかった。

志村とは違う形で変態性を表現することにしたのだ。

この、ど直球ではあえていかない感じ。

これよ、これ。

志村→山内の移行は、変態性の変化を仕方をみれば、彼らが如何ようにアップデートされてきたかがわかる。

爽やか+変態性。これが今のフジファブリックの強さなのだ。

「LIFE」のような爽やかソングの代表曲のような歌があるかと思えば、「カンヌの休日」のようなキモカッコいい変態ソングもある。

そうよ、これ。

このバンド、アレンジ力とアイデアの引き出しが異常に多いため、多彩な楽曲を作るし、ポップなのに変態的な落とし所を作れちゃうのだ。

爽やかさと変態性という、ふたつの武器を手に入れたフジファブリックはどんどんそこに磨きをかけて、志村時代は成し得なかった新たな音楽を開拓してきたわけである。

しかし、そういう変化をきっちり見せつけつつも、ちゃんと過去とも向き合いながら地続きになる作品を作るところも、フジファブリックの良さであったりする。

「Sugar!!」と繋がる「電光石火」

最新シングル「電光石火」は志村時代の最後にリリースした「Sugar!!」をコンセプトに作った歌である。

両曲とも”J SPORTS STADIUM2018 プロ野球中継テーマ・ソング”なため、山内はそこにチャンネルを合わせて、新曲を作ったのだ。

まあ、聴けばわかる。

そして、これ。

確かに、似ている。

サビも同じように「走れ」をキーワードで言葉を紡いでいるし。

いや、でも、これ、フジファブリックだからこそできる技だよなーって思う。

今のボーカルが昔のボーカルの曲をバトンにして新曲作るなんて、フジファブリックにしかできない。

時間を超えて、こういう形でアンサーソングを作るって単純にエモくないですか?

志村が亡くなっても立ち止まることなく、走り続けてきたフジファブリックだからこそ、どこまでも説得力ある歌詞。

哀愁とはまた違うベクトルで、人の感情に刺さる曲を生み出したわけである。山内は。

ポップなのにどこかひねくれているフジファブリック精神が宿ってるし、フジファブリックにしては珍しく転調しているのもポイントだし、フジファブリックの最新シングルとしても聴きどころが多い。

まとめ

もちろん、そんな言葉を並べたところで、志村時代のフジファブリックと決別できない人だってたくさんいるとは思う。

それならそれでいいと思うのだ。

音楽って記憶に結びついて人の心の中にずっと残るものだし、そういう記憶があるからこそ音楽ってどこまでも美しくその人の心を彩るものだと思うから。

音楽って逃げることはないし、作られた音楽が僕たちを裏切ることはない。これだけは間違いない。

だから、いつか時間が経って、今なら新しいフジファブリックの音楽が聴けるかも、ってなったとき、「Sugar!!」と「電光石火」を重ねながら、「電光石火」の歌詞を読んで聴いてみてほしいのだ。

短い夏が終わっても寂しさばかり感じてしまうあなたが持っているフジファブリックの思い出を重ねながら、聴いてみてほしい。

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