うるせえーっ!誰だよふざけた名前しやがって。

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出てきた最初は、そんなことを思っていた。なんだよ語尾「みょん」って。

語尾が「ょん」な奴は地雷に違いない。出てきた最初はそんなことを思っていた。

浅はかな考えである。

でもね、最初は名前の印象から、きっとドンキホーテとかに足繁く通うような人たち御用達のアーティストなのかと思っていたのだ。

インディーズ時代に発表した作品は、表面的にはイロモノの香りのする歌が多かったこともあって、僕の色メガネのレンズはなおのこと曇ることになる。

けれど、曲がリリースされて、その曲をしっかり聴くたびに思うのである

ええ?こんな歌も作れるの?

こんなアレンジの歌も歌いこなせるの??って。

だって、普通にかっこよくないですか??メロディーもすごく良いし。(まあ、これ読んでる人は知ってるよね)

確かに、デビュー時は過激な歌詞を使っていたし、「愛を伝えたいだとか」は丸の内サディスティック感があって、ポスト椎名林檎??みたいに勝手に思ってしまっていたこともあった。

でも、あいみょんって他の女性アーティストと比べて、甲乙つけるべきアーティストではないし、他のアーティストにはない稀有な才能を持ったアーティストなんだなーと実感することになる。

ほんと2017年にリリースした曲、どれもいいんだよね。歌詞、メロディー、サウンド、ボーカルどれをとっても良い。

んで、アルバム含め、2017年に高いクオリティの音源を連発していたから、流石に今年は勢いを落とすかなーと思っていたけれど、2018年にリリースされる曲も、純粋に推せる曲ばかりを世にリリースするのだ、あいみょんは。

マジで、新曲の「マリーゴールド」もやばくないですか?普通にめちゃくちゃ良いんですけど。

底が見えない

普通、そのアーティストがある程度のコンスタントに音源をリリースして、それを流れるように聴いていくと、そのアーティストの色というか、手グセというか、そういうものが見えてくる。

で、それが見えてくると、そのアーティストの作品の見方って変わってくる。

ふむふむ。今作は+αこういう要素を盛り込んできたな〜とか、前までは○○な部分が拙かったけれど、いつのに間にか○○も磨かれているね!みたいな、そういう成長の視点で作品を見ることが多くなってくる。

けれど、あいみょんにはそれがない。

ないっていうと語弊があるのかもしれないけれど、個人的にはリリースするごとに、新しいものが提供される心地になって、まるで新しいアーティストの音源に接するような気分で、新曲に触れることになる。

これが「あいみょんなんだな!」っていう良いものが、良い意味で見えてこないのだ。

インディーズ含め、シングルとしてリリースされた6曲だけでもそれが言える。

「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」「生きていたんだよな」「愛を伝えたいだとか」「君はロックを聴かない」「満月の夜なら」

そして「マリーゴールド」。

この6曲だけでも似たような歌がない。

しかも、それは枝葉のアレンジだけの話ではなく、歌詞とかメロディーとか、各歌のドキッとさせるポイントも全部違うのだ。

ポイントが違うから、あいみょんの新曲を聴くたびに「おおっ!すげぇって!」って気分になる。

もちろん、アコギの音というかフォーキーなサウンドが楽曲の軸にはあるんだけど、歌詞やサウンドのどれも「こんな歌も作れるし歌いこなせるんだ」という驚きが勝る。

もちろん、ベースにメロディーが良いから何回も聴きたくなる、っていう前提があったうえで。

それって、つまり底が見えないわけだ。

こういう歌があいみょんっぽいとは簡単に言えないわけだ。

その一方で、どの曲もあいみょんだよなーっていう感覚もある。

だから、アルバムを通して聴いてみても「バラバラ」とか「チグハグ感」みたいなものは一切感じない。

全部が全部、あいみょんの歌だなーって思いながら、さらっと聴くことができる。

この「さらっと聴ける」っていうのもポイントで、あいみょんの歌って歌詞がけっこう鋭いんだけど、本質的にはポップなのである。

アレンジも凝ったものが多かったりするんだけど、メロディーがきっちりポップだから、どれもさらっと聴ける。

しかも口ずさめられる。メロディーが耳に残るから。

メロディーが良いからあいみょんの声も効果的に聴けるし、そういう全ての要素が絶妙にマッチしているから、あいみょんの歌はどれも名曲になる。

これって、はっきり言って凄いことだと思う。

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歌詞がすごい

あいみょんって歌詞が凄くいいなーって思うアーティストである。

基本的に、あいみょんの歌詞って妄想で書いた物語のような歌が多いと思うんだけど、あいみょんの歌詞って「描写」がすごく素敵だと思う。

例えば、「君はロックを聴かない」って“君”の描写はあまりしないんだけど、<君はロックを聴かない>というたったワンフレーズで、君という人物を想像させる豊かさを持っている。

どんな人物なのか、どんな性格なのか、どういう容姿なのか、そういう想像をはためかせてくれるし、だから、あいみょんの歌詞って共感されやすいのだ。(仮にされないとしても、きっちり二人の男女の物語を想像させる力は持っている)

こういうキラーフレーズというか、解像度の高い描写をワンフレーズで行うのが、あいみょんの歌詞の魅力のひとつなのである。

なんなら、「君はロックを聴かない」は、僕がどのようなロック好きか、ということを描写してみせることで、僕のことも巧みに描写しているし。

あるいは「満月の夜なら」は冒頭の<君のアイスクリームが溶けた>というたったワンフレーズで、この歌の解像度を一気に高めている。

このフレーズが具体的に何を指すのか、ということは言及されていないけれど、色んな想像力を喚起させる力を持っている。

それは、ある種の心理描写に捉えることもできるし、あるいは、もっと直接的なエロい描写なのかも、と想像することもできる。

ポイントなのは、ひとつのフレーズでどれだけ豊かに色んなもの・ことを描写できているか?ということであり、それが歌詞の面白さのひとつなんだけれど、あいみょんはワンフレーズワンフレーズが効果的に描写され、それが歌の世界の解像度を高めていく。

だから、感情移入もしやすくなるし、仮に感情移入できないとしても「良い歌詞だな〜」と強く推すことができるわけだ。

新曲の「マリーゴールド」だって同じことだ。

この歌は風や雲といったモチーフを鮮やかに描写してみせることで、登場人物たちの心理状態も巧みに描いてみせる。

ポイントのポイントの描写がとても解像度が高いからこそ、(おそらくは本人の意図以上に)深読みされる世界観のあるラブソングになるのだし、だからこそ、そこに描かれた二人の物語はより一層奥深く見えるのである。

そういう意味では、小沢健二やスピッツが書く歌詞世界にも通ずるものがあるのかもしれない。

文学的ともアート的ともちょっと違っていて、かといって共感の押し売りというわけでもなく、想像力という、一番根本的な要素を喚起させるのが、あいみょんの歌詞の魅力なのである。

もちろん、色んなテーマの歌詞を巧みに描くところも魅力であり、それこそシングル曲だけでも様々なテーマを歌っている辺りも、あいみょんの凄さなのである。

声が良い

これは、とても大きい。

あいみょんは確かに歌詞もいいんだけど、あの歌詞にポップなメロディーを載せて、この声で歌うから良い、という最大のポイントがある。

ほんとよくこの歌詞で、このメロディーとサウンドに乗りこなすなーっていう歌が多くて。

この声だから、辛辣な歌詞の歌でも官能的な歌でもハマるのだろうし、なにより、あいみょんの声って、一人称に「僕」が似合う声なんだよなーと思う。

というか、語尾が「〜なのよ」ってい女性感のある歌でも、語尾が「〜なんだぜ」っていう男性感の強い歌でも、しっかりハマるのだ。

変に高くなくて、落ち着いて聞こえる、けれど、しっかり感情が宿るボーカルだからこそなせる技というか。

弾き語りでグッとくることからも分かる通り、ボーカルとしての強さもあるのだ。あいみょんは。

まとめ

要は、走攻守揃ってるから、あいみょんって凄いんだよなーってことだし、まだまだ底知れなさを感じるという話。

今から20年前の1988年って、死ぬほどすげえ歌姫がたくさんデビューした年で、宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみ、aikoなど名だたるアーティストが名を連ねているのが、そのメンツにあいみょんを加えるべきだよなーってくらい、あいみょんのポテンシャルって高いし、無二な個性を持っていると思う。

いや、ほんと、この先もあいみょんもまだまだ期待できるなーって心底思います。

みょんって語尾で色メガネをかけてしまった自分を殴ってやりたいです。マジで。

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