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plentyが解散を報告したナタリーの記事についてるファボ(という言い方が正しいのかは知らないが)は8000を超えていた。

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ナタリーの記事についている、Twitterのリツイート数も3000を超えていたし、Facebookの「いいね」も相当な数になっていた。

それだけplentyの解散に悲しんだ人が多かったということの表れである。

また、ファボリツのようなリアクションをしていなくても、plentyの解散に言及したり、悲しみや驚きの言葉を述べたり、「もっと続けてほしかった」という願いの言葉をつぶやいた人だってたくさんいたのではないかと思う。

それら全てを数にしたらどれくらいになるのかはわからないが、なかなかの量になることは間違いない。

で、そんなplentyは6月から最後の全国ツアーを始める。

当然、こんなにも惜しむ声があるということは、チケットなんて全て即完なのだろうなあ、なんて思っていた。

が、現実は違っていた。

今日ふと、チケットぴあのplentyのライブ情報みてみたのだ。

すると、ソールドアウトしていない公演の方が多いではないか。

ということは、Twitterでは驚きや悲しみや願いを呟いた人の何割かは、ライブに行ってないということになる。

もしかしたら、そんな意思を示した数時間後には、plentyの解散のことなんて忘れてしまい、ツアーが発表されたのをみても「ふぅ〜ん」くらいにしか思わていなかった人もいたのではないかと思う。

SNSでは、さも自分はファンです、なんて言葉を述べるくせに、行動としては何もしない人がそれなりにいるというわけだ。

まあ、どんな人でも、このバンドなら遠征ありとか、何でもすぐに貢いじゃう♡みたいなラインがあるとは思う。

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とはいえ、自分の好きなアーティストに全て等しくお金を貢げるわけではない。

どんな人だってお金に有限があるわけで、このバンドにはお金をかけたいが、このバンドには正直お金をかけてはいられない、というラインがあると思うのだ。

好きか嫌いかでいえば好きだし、レンタルでなら音源はちゃんと聴くし、行きたいイベントにたまたまいたら必ずライブは見るよ、くらいの関わり方ならする、というラインの「好きなバンド」がたくさんいると思うのだ。

けれど、未来の活動に繋がるようなお金の落とし方はできない、というレベルの「好きさ」である。

これって、恋人関係にも少し似ている。

例えるなら、本命とセフレの関係。

一番と二番の間に分け隔てられる大きな壁だ。

貢ぐラインにしてもらえるかしてもらえないか、同じ好きでもそのラインになってくれる人がどれだけいるかによって、バンドの未来は大きく変わるわけである。(まあ、plentyの解散理由が何なのかは知らないが)

結局、解散したり活動を止めるバンドのニュースが流れると「ええ〜!!!!」みたいな呟きはしてみるものの、いきなりセフレから恋人に昇格することはあり得ないように、そのニュースをきいたしても、いきなりこれからはお金落とすぞ!とか、最後くらいはちゃんとライブにいってその勇姿を脳内に焼き付けようとか、そういう上のランクに上がることは難しいわけだ。

良い意味であれ悪い意味であれ、好きと公言する人たちを盲目にさせることができる数が多いのかどうかが、バンドが生き残れるかどうかのポイントなわけだし、それができないバンドは遅かれ早かれ消えていってしまうのだ。

ちなみにファンを盲目的にさせるには、音楽的な魅力を追求するよりも、ビジュアルを追求する方が容易い傾向はある。

だからこそ、どうしてもバンドのアイドル化と、顔ファン増殖計画は避けて通れない道なのである。

バンドを大きくしていくなかでは。

資本主義のなかに音楽を組み込むというのは、こういう世知辛さも受け止めていかねばならないということなのである。

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