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星野源は未だにサブカル好きの女が好きな男性アーティストの代表みたいな存在になっているが、どうみても星野源はもうサブカルではない。

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SAKEROCKでライブしてた頃とか、大人計画の流れからじーみにドラマに出演してた頃は確かに「サブカル」だったけれど、今の彼はどうみてもスターである。

紅白のあの輝きをみれば、わかるだろう。

まだ「サブカル」だった頃の星野源のツイートがリツイートされて波紋を呼んでいるが、要は星野源の一挙手一投足を観察している人の数が増えたということであり、彼がスターになった証左であるともいえる。

もちろん、数が増えるのはファンだけではなくアンチも同じことであり、ゆえにすぐに揚げ足をとり、くだらないことを騒動にする輩が出てくるわけである。

とにかく、星野源はサブカル王子ではなく、スターになってしまったわけだ。

しかし、それでも彼をサブカルにカテゴライズするならば、サブカルの定義を見直す必要が出てくる。

そもそも、フェスシーンとか邦ロックがもはや音楽においてはメインカルチャーとなっているわけで、(一方、音楽そのものはあわゆる文化と相対化させると「サブ」になりつつある印象は拭えないが)そういう界隈で活躍している人のことを「サブカル」ということに無理が出てきている。

もちろん「サブカル好きの女子」と形容するときの「サブカル」とは、本来的な意味でのサブカルチャーとは全く別物であることはわかっている。

けれど、ここにちゃんとした線引きさせたいと僕は思ってしまうのだ。

サブカルという言葉の反乱は、サブカル女子の存在が大きいと思う。

最初はただサブカルチャーが好きな女の子のことを指していたのに、いつしかそれは女の子の属性を指す言葉になってしまったのだ。

これにより、サブカルの意味合いが大きく変容するのである。

ひと昔前は、サブカル女子といえば、量産型木村カエラのことであった。

しかし、今、「サブ」のカルチャーの聖地であるような、数百人しか入らないライブハウスの観客をみても、量産型木村カエラの姿はほとんど確認されない。

量産型木村カエラ型のサブカル女子がトキワの森のピカチュウばりのエンカウント率になってしまったのはどういうわけか。

これはサブカル女子の多様化が進んだことを意味している。

要はファッションだけでもみても、サブカル女子は古着系から、ネネットを愛する族から、ゴスロリ一直線タイプから、ユニクロ固め族から、意外とハイブランドもありよタイプなど、様々なタイプを生み出しているわけだ。

もちろん、「サブ」カルチャーなのだから王道を外れるのが本質なのだろうが、それほど逆にサブカル女子というカテゴライズをされて個性が埋没するので、色んな差別化を図るこまで、己こ個性を少しでも出すよう、サブカル女子も色々考えているのである。

その昔は、ペニス型の髪型きのこ型のボブをしていれば、それだけでサブカル女子の烙印を押されていたわけだが、そんな時代はもう完全に過去のものになってしまったわけだ。

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サブカル女子とはどういうものなのかを参照する際に教科書的役割を果たしていたのが、キュウソネコカミがその昔に作った「サブカル女子」という歌である。

この歌には「サブカル女子」の色んなあるあるが歌詞にされている。

けれど、冷静に歌詞を読めば、この歌は色んなサブカル女子のイメージをごった煮してしまっており、むしろこれはサブカル女子には当てはまらんだろうというネタも含められていることがわかる。

おそらくセイヤの周りにちゃんとしたサブカル女子はいなかったのだと思われる。(理由は察してほしい)

とりあえず、色んなあるあるネタを並べていれば、ひとつくらいは当てはまるでしょ?と言わんばかりの横暴さが見受けられるわけだ。

少なくとも、細美武士が好きなんて言ってるサブカル女子は稀有だと思われる。(関係ないけど、ようぺいんと細美武士は顔の系統が似ている気がする)

カルチャーにサブもクソもなくなりつつあり、サブカル女子だって多様化している昨今、それでも何かに対して「サブカル」というレッテルを貼るのはおかしいよね、というのが、前半のまとめだ。

後半は、それでも「サブカル」をレッテル貼りするならば、どういうものに付けれたら正しいのか、ということを考えてみたい。

後半に続く。

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