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思えば、東日本大震災から6年以上の歳月が経ったわけで、それは、東北ライブ大作戦が決行されてからそれほどの年月が経ったことも意味されるわけだ。

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この6年という歳月は、ライブハウスの人の入れ替わりという観点で考えたら、とても大きい数字であるように思う。

だって、今、高校生としてバリバリのライブキッズをやってる奴らは当時小学生だったわけだし、当時バリバリ高校生のライブキッズをやっていた奴らは社会人になってる奴の方が多いわけで、社会人になって仕事をするようになれば、どうしてもライブハウスに通う頻度が減る人が多くなるだろうし、そもそもライブハウスに通うということすらしなくなる人だってそれなりにいると思う。

要は、ライブハウスの客が入れ替わるというわけだ。

もちろん、バンドごとの違いはあるだろうが、メインの客層が変わっていることはフェスの状況が何よりも雄弁に物語っている。

いわゆる「人気バンド」もこの6年で大きく変わった。

2011年は、WANIMAやSHISHAMOやオーラルは当然まだメインストリームにはいなかったし(面白いことにこの三組とも結成2010年らしい)2011年は大型ライブハウスをパンパンにしていたバンドだったのに今は鳴かず飛ばずになってしまったバンドもいれば、東北ライブハウス大作戦には賛同の名前は残したが今はもう解散したり、活動を休止してしまったバンドもいる。

客の変化とともに、シーンにおいても大きく変化が生まれたというわけだ。

そりゃあ今、ライブハウスに通っているロックキッズの中には「東北ライブハウス大作戦って何?」と思う人だって増えてくるわけである。

まあ、なんとなく「東北ライブハウス大作戦」という名前は聞いたことがあって、なんかあのリストバンド付けたらオシャレだし、あるあるさんの奴とセットで付けとこか、くらいのファッション感覚としての名残は残っているのかもしれない。

でも、この大作戦が意味するものとか目的とかまでをしっかり認知している人が減っていることは間違いないと思う。

「西片明人」とか「SPC」なんて単語を並べても「はあ…」という人も多いと思う。

一応言っておくと、この作戦によって東北に3つのライブハウスが生まれた。

宮古「KLUB COUNTER ACTION MIYAKO」
大船渡「LIVEHOUSE FREAKS」
石巻「BLUE RESISTANCE」

この3つである。

ただ、そんなライブハウスなんて知らないというロックキッズだって多いのではないかと思う。

別に知らないことが悪いとは思わないし、知っているから偉いとか、そういうことでもないと思う。

けれど、東北ライブハウス大作戦というのはファッション的なものとしてしか認知されないのは勿体無い気もするし、ここから繋がる物語には色んな意味が込められているわけで、
そこに宿る「文脈」を知ることも、悪いことではないとは思うのだ。

とはいえ、西片さんというライブサウンドエンジニアの話や、PA会社(というかチーム?)であるSPCの話をいきなりしても、イマイチピンと来ない人も多いと思う。

そこで今回は、もう少しバンドサイドに引き寄せながら、この話を簡単にしてみたいと思う。

東北ライブハウス大作戦は、東日本大震災が起こったとき、自分たちが被災地のために何ができるのかを考えたうえで考案し実行された作戦なわけだが、当然ながら震災のとき、音楽をやることを自粛するバンドが多かった。

被災者の安定した生活が戻るまでは音楽なんてやるべきじゃないという考えが支配的だったわけだ。

下手にボランティアをしても偽善と罵られることも多かったから、お金や物資だけ送って、後は余計な波風はたてない、というのが音楽業界の一般的な動きだった。

それはライブハウス業界な同じだった。

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そんなとき、誰よりも先陣をきって音楽をやろうと(もちろん、ボランティア含め)声を出したのがBRAHMANのトシロウだった。

特攻隊長のように先陣を切るトシロウではあったが、自分だけの行動では尻切れトンボになることを自覚していたため、自分よりも大きな影響力を持っている人に対しても常に焚き付けつつ、行動をしていた。

ハイスタもまた、自分たちよりも大きな影響力があり、動かす必要のあるピースだと信じていた。

AIRJAMが2011年に開催されたのは承知の通りだと思うが、あの年に開催されたのはトシロウがハイスタメンバーに発破をかけたことが大きい。

そして、2011年のAIRJAMで東北ライブハウス大作戦の寄付金を呼びかけたことで、あの作戦の名前が一気に周知されたことも記しておく必要があると思う。

実は、ハイスタメンバー曰く、2012年にこそハイスタを復活させて、復旧した東北の地でAIRJAM開催しようと最初は考えていたらしい。

が、トシロウはそれでは遅すぎると説いた。

なるべく早く発表すればそれを生きる希望にして、死ななくても済む人が増えるかもしれないと言い、誰よりもハイスタ復活に対して慎重だったケンヨコと死闘のような応酬をし、やがて心を動かしたのである。

ただ、実はの話をしていくと、2011年は元々震災前から難波さんが主催フェスを企画していたらしく、健さんも誘ってそれを開催するつもりだったらしい。

で、難波さんは健さんを招集して、その主催フェスの企画書を手渡したのだが、その企画書のタイトルには「AIR JAM(仮)」と書かれてあったのだ。

実は、その名前を使っていいか難波さんは健さんに承諾するために、この企画書を渡したのである。

難波さんは「なんなら一緒にハイスタやろうよ」と健さんに誘いまで出していたらしい。

当然ながら、大喧嘩になったのは言うまでもないのだが。

ハイスタをわりとやる気だった難波さんと、ハイスタに対して難色を示し続けていた健さん。

そんな背景も知っていたからこそ、トシロウは健さんを捕まえて、言葉で説得し続け、少しでも早くハイスタを動かしたのである。

で、トシロウがハイスタメンバーだけではなく、もう一人心を動かしたのが東北ライブハウス大作戦の長である西片さんなのである。

そんなとこでウダウダしてるんじゃなくね何かしたらどうなんだ、と発破をかけ、その結果というか答えとして出したのが「東北ライブハウス大作戦」だったわけだ。

東北に音楽を届けたい→ライブハウスがなくなってしまった→じゃあ俺たちでそれを作ろう→そこで音を鳴らして東北の人に音楽を届けよう

へりくだって言うと、そういうことなわけだ。

ところで、西片さんって誰?という疑問があると思うが、このお方はサウンドライブエンジニアをされているお方である。

いわゆるPAであり、BRAHMANを始めとするライブのPAを担当しているのだ。

で、西片さんとBRAHMANの出会いはAIRJAM1997にあり、そもそも西方さんは元々ハイスタのライブPAもしていたことから、BRAHMANは西片さんを知ることとなる。

つまり、ハイスタもAIRJAMも東北ライブハウス大作戦もBRAHMANも全部一本の線で繋がっているのである。

だから、2011年にAIRJAMは開催されたし、東北ライブハウス大作戦にも密接な繋がりがあるわけだ。

とわ 、まあ物語のほんの一部を記述してみたわけだが、この物語は、本当は数千字程度で語られるようなものではない。

順を追っていけば、何冊もの書籍になるわけで、ここで書かれたのはほんの一部のお話なわけである。(しかも俺の独断と偏見の)

この記事で言いたいのは、どんなことも繋がっているということだ。

例えば、ハイスタとWANIMAの関係だってそうだろう。

あるいは、ハイスタとカミコベと松原さんの話まで敷衍すれば、ハイスタと関西インディーズシーンの繋がりまで見つけることができる。

関西インディーズバンドの多くは松原さんに助けられ、その松原さんも、またハイスタに助けられたわけである。

ライブハウス大作戦で言えば、地方のライブハウスの問題の話にも接続できるし、都市と地方の格差とか、ライブハウスの問題とか(どっかのサイトで言ってた10人しか集客できないライブハウス云々とかそんな話ではなくて)にも繋げることができる。

あるいは、ひとつのバンドのルーツの話だって「繋がり」というものはたくさんある。

このバンドがいたから、このバンドは生まれた的な、そういう話だ。

文脈ってほんと大事なのだ。

関係ないことでしょ?と思うようなことでも色々と掘り下げてみたら、必ずどこかで繋がるわけだ。

東北ライブハウス大作戦ってもう過去のものでしょ?と思っているかもしれないが、全然違うのだ。

ライブハウスができたから終わりなんて話ではないし、一見終わったように見えることでも、そこから派生する繋がりはたくさんあるわけだ。

そもそも別に、東北にだけ目を向ける必要なんてないわけで、まずは自分の地元にあるライブハウスに視点を向けたっていいわけで。

どんなものだって繋がるわけで、まずは自分のできる範囲で、自分のことから行動すれば、それはひとつの「大作戦」に繋がるんじゃないかと思ったりもする。

ただ、それならそれで、東北ライブハウスって何なのか?そこに宿る志とは何なのか?という部分に改めて目を向ける意味と意義はあるのだと思うわけだ。

そんなことを思いながら、この記事は一旦締めくくることとする。

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