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世の中にはふたつのことがあると思う

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ひとつは努力したり才能がなきとできないことである。

例えば、プロ野球選手になろうとか、宇宙飛行士になろうとか思ったら、死ぬほど努力をする必要がある。

もう少し敷居を下げてみてもいい。

例えば、Photoshopを使いこなすとかわ楽器をある程度自由自在に弾けるようになるとかでも、わりと努力が必要だと思う。

少なくとも、他人に自慢するレベルにしようと思ったら、絶え間ない努力が必須となるわけだ。

その一方で、努力しなくても「とりあえず」はできることというのもある。

先ほど努力してできるようになるものの例で「楽器を弾く」というものを挙げたが、楽器と比較するとDJプレイは比較的「努力を必要とせずに人前で披露できるようになるもの」だと思う。

勘違いして欲しくないのは、DJがぬるいものだと言いたいわけではない。

突き詰めるところまで突き詰めるなら、DJプレイだってすごく大変なものである。

が、とりあえず他人の曲をテキトーに繋いで流すだけというレベル、人前で晒しても許されると思う最低水準に達するための努力値は、楽器のそれよりは少ないのではないか、という話である。

楽器とDJは、努力値という軸でみれば、対立関係にある存在である、ということだ。

音楽関係でこれと似たような対立関係を擁するものが他にもある。

作詞と作曲である。

基本、ちゃんと「作曲」をしようと思えば、その敷居は高い。

メロディーを考え、しかるべきコードを配列し、場合によってはデモまで作る、ということを考えると、必要となる知識は多々あるし、生半可な覚悟で作曲をする奴は少ない。

一方、作詞はどうだろうか。

世に溢れている二流の女性アーティストを見てもらったらわかるが、奴らはなにかにつけてすぐに自分で歌詞を書いてしまう。

作曲はしないのに、なぜ歌詞はかくのか。

答えは簡単だ。

作詞をするのは努力が不要で、誰でもできる(と思っている)からだ。

文章のセンスもなければ、語彙力もないし、観察眼もなければ、独特な考えを持ってるわけでもない人間が、何を血迷ったのか「自分を表現する」などとほざき、ゴミのような歌詞を生産してきた奴がゴミのようにいた。

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「愛は世界を救う」とか「あなたが大好きなんです!」とか、てめえが歌詞を書く前から死ぬほどそんなテーマ溢れているわ!って感じのテーマで臆することなく歌詞を書き、「自分を表現しました」なんて言ってしまう二流女性アーティストがどれほどいたことだろうか。

こんなことをしても、自分は量産型なのであり、誰かの劣化コピーでしかないことを自分から告白してるだけなのにも関わらず。

傍目からみたら、股間を踏みつけられて喜んでるM男よりも、ドMなプレーをしていることに気づけていないが恐怖である。

こういう輩の歌詞の比喩は痛いものが多い。

「太陽が笑う」とか「空が泣いてる」とか、とりあえず擬人化したらいいんでしょ、という拙い比喩表現が散見される。

この程度の比喩で「あたしのセンス素敵」と本気で思っているんなら、マジで義務教育の国語を一からやり直しした方がいい。

あんなものを詩的と思っちゃうなんて、どうかしてるぜ的、ブラマヨモード突入である。

例えば、椎名林檎でもいいしaikoでもいいが、彼女たちの歌詞の特徴は「歌詞で自分を表現している」のではなく「歌詞でこういう自分を表現している、とリスナーに思われるような歌詞を書くことにはどうすればいいのか」というところに想像の範囲が及んでいることである。

自分のことをすごく客観的に分析し、むしろ「自分」なんてものは排除したうえで歌詞を書いているわけだ。(そういう意味では、岡崎体育やヤバTの歌詞観とも通底するものがある)

aikoなんかは自分の恋愛ソングを歌にしてるだけでしょ?と思われているかもしれないが、とんでもない。

彼女ほど、自分がどういうふうにリスナーに見られているかについて、慎重になりながら歌詞を書いている人間もいないと思う。

実際、aikoの「音楽メディア」に対する距離感や、フェスに出てもおかしくないのに一度もロックフェスに出演していない実績なんかも、それを雄弁に物語っている。

要は、歌詞を書くというのは、誰でもできるからこそ、安易にするのは危険である、という話である。

話は少し変わるが、安易にできるから危険というものの代表格にSNS、特にTwitterがある。

おそらく事務所なんかは、周りがみんなやってるし、お前たちもやった方がいいよ、お金もかからないし簡単だし、みたいなノリでアーティストSNSアカウントの開設を勧めているとは思う。

が、ある程度ネットリテラシーがあったり、こういうことを言えばバズるだろうみたいな計算ができる人間がやるならば、メディア戦略的にプラスにもなるのだろうが、しょーもない人間がやれば、毒にしかならない。

RADの野田洋次郎をみてほしい。

彼がTwitterを使うようになって、プラスになるようなことがひとつでもあっただろうか。

彼の新たな一面を発見するようなものになり得ただろうか。

ただのゴミツイート生産機になってはいないだろうか?

フォロワー全員に尋ねてみたい。

要は、誰でも簡単にできるものほどその人のセンスが透けて見えがちなわけだ。

だからこそ、安易にやらずに、むしろ「やらない勇気」「断る勇気」をもって、選択していくことが大切なのではないかと思うわけだ。

作詞だってTwitterだって。

DJだって、同じなのである。

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