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ブログのコメントをパーっと見てると、こんなことを書いてる人がいた。

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以下、その文章。

個人的には、人の書いた歌詞をどうのこうのという自分の考えをネット上にあげたりする行為には大反対です。個人個人が好きなように解釈していいと思うし、作者がこういう考えで書いたのではないか…みたいなことをネット上に述べるようなことをする必要は全くないと思います。そういう文章を見てそれに流されてしまうような人もいるでしょう。そういうのは作者も本意ではありません。すごくくだらない行為だと思います。作詞家の心理などを想像するのは、自分の胸の中だけで収めていればいいと思います。

ふむ。なるほど。

いや、言いたいことはよくわかるなーって思って。

文章を書いてる側の僕が言うのもなんだけど、そのアーティストのことを本当に好きな人にとって、さしてそのアーティストにそんなに思い入れのない外野からの言葉の「うざさ」は半端ないと僕も思う。

それこそ、ジャンポケの斉藤と双璧をなす「うざさ」なのではないかと思う。

だから、土足で己の畑に踏み入れられるかの如く、そのことを不愉快に思う人が一定多数いることもわかる。

まあ、僕の歌詞解釈をした文章程度で「流されてしまう人」がいるのかどうかは知らないけども。

僕の文章を読んでいる人のほとんどは、Twitterでタイムラインをシャーっとするのと同じ感覚で読んでいるとは思うのだけれど。

いすれにせよ、僕の文章を読むことで、その人の<ある一曲>に対する純粋な思いを汚してしまっているのだとしたら、なかなかに罪深いことをしてるなーという気にはなる。

ところで興味深いのは、この方は「歌詞は各々好き勝手に解釈すればいい」と仰られているところである。

確かにご指摘はもっともであり、音楽というのは聞いた人の数だけ物語があるわけだ。

正解なんてないし、個々が好きなように解釈すればいい。

そもそも、僕がやってるのは「これが正解やドヤ!」というよりも、この各々の解釈に補助線を引くような作業であり、別に正解もクソもないと思っている。

いや、それより気になるのは、各々が自由に解釈すればいいし、いちいち意見をネットに書き込むのが不愉快だ!とご丁寧に返事をくれるような人が、なぜ僕のようなサイトに訪れてしまったのか、ということである。

僕のサイトなんて、しかるべき手順を踏まなきゃ辿りつかないわけで、「他の人はこの歌についてどう考えているのか?」って気になって「しかるべき語彙」で検索したのか、気にくわない奴を締め出すために永遠とネットパトロールをしていたのか、なんかのツイートがバズってそこからリンクを辿りサイトに辿り着いたかくらいじゃないと、僕のサイトなんて閲覧することはないわけで。

どういう好奇心を持っているのだろーと少し気になる。(こういうのは往々にしてブーメランなわけで)

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まあ、僕の場合、一切の根拠がないのに「である調」で文章を書いてしまうから、「ウザさ」がジャンポケ斉藤を超えてしまうのだろうし、異常に誤字脱字が多くて、煽るかのようにイライラを助長させているフシはあるのかもしれない。

まあ、それは仕方がないところだ。

それにしても思うのは、音楽を聴く上で、誰の、何の、どんなフィルターもかけずに、聴くことって逆に可能なのか?ということである。

歌詞解釈をみて流される人がいるから良くないということは、音楽を聴くには真っさらな気持ちで、間違った知識を持って聴いちゃいけないということだと思うのだが、赤ちゃんでもあるまいし、みんな音楽なんて「歪みながら」聴いていると思うのだ。

芸人のアインシュタインの顎が長い人の顔くらいには、みんな歪みながら音楽を聴いていると思うのだ。

例えば、同じ音楽でも、自分の辛い気分のときに聴く音楽と、楽しい気分のときに聴く音楽では、その音楽の捉え方や言葉の受け止め方だって大きく変わる。

好きな人から勧められた音楽なら本当はそんなに好みの音楽じゃなくても不思議と良く聴こえてしまうことだってあるだろう。

極端なことを言えば、バンドマンにガチ恋をしていたら、その歌詞世界に勝手に過剰にのめり込んでしまうことだってあるかもしれない。

そんなわけで。

音楽というのは、作り手が作って完結するものではないし、作り手が神様である、なんてこともない。(もちろん、作った労力に見合ったお金が支給されるべきではあるのは当然のことだが、ここでいう「神様」とはまた違う話である)

作った人の言葉が全てであり、作り手と聞き手との意見の違いは「ゴミ」なんてことも絶対にない。

ラブソングのつもりで書いても、その歌詞に友情を感じる人がほとんどだったらそれはもう友情の歌なのである。

どんな音楽だって、聴き手に届いて、初めて意味が成り立つわけだ。

音楽という物語が、作り手の脳みそからメロディーという生き物になって、聴き手の耳から入り、心まで行き着くその道中。

それは、誰にも侵犯されない時間であるしそこに音楽の「物語」は宿る。

で、その「物語」はどんな助け舟を借りたっていいのだ。

耳の穴から心に行き着くまでの音楽の物語に何を媒介させるのか、それこそ個人の自由なのだ。

何の情報も入れず、何者にも影響されず、じっと自分と向かい合うようにして音楽を聴くことだってまた一興。

雑誌を読んだり、色んな人のレビューを読んで頭でっかちになりながら、分析的に音楽を楽しむのだってまた一興。

誰かに影響されて、価値観を歪めまくった状態で、自分の都合の良いにその音楽を味合うことだってまた一興。

というわけで、僕は今日もまたブログに排便をするかのように駄文を書き残していきます。

では。

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