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不倫をするのは良くない。

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こういう価値観は一般的だけど、少子高齢化の昨今、別に当事者が良いのであれば一夫多妻制とかでもいいじゃないか、という考え方もある。

実際問題、男は色んな女の人と寝たいと考えている人間の方が多いし、女の人だって不倫をしてでも既婚者と付き合いたいと考えている人は一定多数と思う。(もちろん、これは男女逆転させて考えてもいい)

なにより、今は不倫していない人でも、社会がそれを許せば、今すぐにやってしまうという人はわりと多いと思う。

逆に言えばそういう欲望を人が抱えているからこそ、「俺は我慢しているのにあいつは不倫している。けしかん。許さん」と言わんばかりに、不倫した芸能人を猛烈に叩いているのかもしれない。

不倫の騒動は、当事者間レベルなら色々あるにしても、世の中から抹殺しなければならないレベルで社会的制裁を食らわせるほど「不倫」って本当に悪いものなのだろうか、と疑問に思う。

さて、僕がなぜこんなことを考えているのかというと、才能あるバンドマンが「不倫」により、その目を摘まれてしまう事例が後を絶たないからである。

まだ発覚してはいないけれど、炎上の余地があるヤバイ事例は水面下で幾らでもあるだろうし、ライブハウス系のバンドマンと芸能界の距離が近いうちは、同様の問題が起こってしまう可能性は大いにある。

いっそのこと一夫多妻制がありならこんなことにはならないのでは、、、なんて考えに及ぶ人が出てもおかしくないのでは、と思うわけだ。

もちろん、不倫というのは良くないものだし、社会的にも冷ややな目でみられている。

けれど、社会的な目というのはいつだって正しい視座なのかというと、そんなことは全然なくて、差別の歴史やマイノリティー側の歴史を紐解けば、一目瞭然である。

例えば、同性愛者。

今は少なくともカミングアウトする自由は与えられているが、同性愛行為が犯罪行為だった時代だってあるわけだ。

まだ変な目で見る人も多い世の中だが、昔よりほ同性愛者に対して世の中は寛容になっているように思われる。

不倫というものも同じように、今後社会的な捉えられ方が変わっていく可能性はあるわけだ。

その頃には、一夫多妻が当たり前の世の中になっているのかもしれない。

とはいえ。

個人的な意見で言えば、一夫多妻は良くないと思っている。

ここでは、倫理的な問題とは別にしてこのことについて考えてみたい。

なぜ一夫多妻は良くないのか。

それは恋愛相手を貨幣的に扱うことになってしまうからである。

どういうことか。

今の世の中は資本主義であるが、人類の歴史をたどれば、最初はモノ同士を交換していた。

畑で野菜を耕した人は野菜を、猟銃で肉を取ってきた人は肉を、交換するものとして差し出していたわけだ。

そして、お互いが納得すれば、その野菜と肉を交換したみたいな話。

しかし、人類が進化していくなかで、ブツブツ交換というものは減っていく。

直接モノを交換するのではなく、別の物に価値を代表させ、それを交換するようになったのだ。

それは、最初は石だったのかもしれないし、もっとシンボルめいた物だったのかもしれないが、長い歳月をかけてそれは「貨幣」になっていく。

いわゆる「お金」である。

お金というのは、それそのものに基本的に価値がないにも関わらず、他のどんなものより価値を代弁している不思議な存在だ。

だって、無人島にいけば、それはただの紙切れになる。

なのに、みんなその紙切れを手に入れるために必死に働いているわけだ。

なぜ実態はただの紙切れなのに、その紙切れに実際以上の価値が宿るのかといえば、その紙切れがみんなから「信用」されているからである。

つまり、自分が何かのものを売ってお金を貰った後でも、確実に他の誰かがそのお金で他のモノと交換してくれるという信用があるから、お金を媒介にして、色んな「交換」がなされるわけだ。

お金が全ての価値を代弁しているのは、全ての人が、お金ならば何でも交換してくれると信用しているからなわけである。

よくお金で世の中にあるものは大体買えるというが、これは世の中の人がそれだけお金に信頼を寄せているから成り立つ理屈なわけである。

万が一、世の中の全ての小売店が、お金と商品を交換するのはNGです!と宣言すれば、あっという間に誰もお金を使わなくなるだろう。

つまり、資本主義において「信用」というのはとても大事なものなのである。

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こと恋愛に関しても同じことが言える。

カップルが浮気をして別れる理由としてあるのは「自分の信用を裏切られてしまった」というところにあると思う。

一度その信用が崩壊すれば、その人が「好き」と言っても猜疑心しか生まれず、自分がその人に宿していた「好き」という感情は冷えていってしまうわけだ。

そうなれば、その関係は破綻する。

人とお金の関係とまったく同じなわけである。

一夫多妻というのは、そういう関係性を大きく変えてしまう恐れがあるわけだ。

だから、危険なのだ。

どういうことか。

既に誰かと結婚している人が他の人と付き合ったとしても、そこに対する信用関係に変化が生じなくなれば、「所有」の必要性は失われ、常に「交換」が行われるようになる。

お金だって所有するより、すぐに交換していることがわかると思う(貯金している人は偉い)。

これと同じこと恋愛においても起こるわけだ。

もちろん面と向かって「取り替えっこしましょう」ということはないだろうし、お金と違って人には意思があるのだから、そこまでわかりやすい図式が生まれることはないだろうが、一部のモテる人同士が、異性を交換しまくるという構図はそのうち生まれてくると思う。

一人の相手を独占するのではなく、取っ替え引っ替え相手を変えていくようになるわけだ。

まさにお金のように。

恋愛相手は貨幣的になるとは、こういう理屈なのである。

そして、これが何より問題なのは、この交換というのは全ての人同士が等しく行うものではなく、一部の人間が独占して行っていくようになるということである。

資本という名の富を一部の人間が独占していく今の世の中のように、恋愛というものも一部の人間が独占していくようになってしまうわけだ。

だって一夫多妻なら、既婚者でも経済力があってイケメンの男に、女の人は集まるに決まっている。

そうなると、お金もなく容姿も良くなく異性からまったく魅力的に思われないような人間は恋愛という仕組みからますまふ排除されていくようになる。

今だってそうじゃないか、という指摘があるかもしれないが、本当の意味で複数の人間と付き合うことに抵抗のない世の中が出来たら、今以上に寡占が生まれることは間違いない。

それでいいのか、という話だ。

どんな人でも最低これくらいの権利はある、そんな考えの中で国家は作られ、法律は整備され、税金を集めて富を「分配」し、極力たくさんの人が「人間的な暮らし」をできるようにしようと努力してきたのが近代社会である。

結果、みんなそれなりに豊かな暮らしができるようになったから、とりあえずの「平和」を築くことができたわけだ。

自由でいいやん、というのは一見するとすごく触り心地の良い言葉であるが、本質としてそれは弱肉強食の世界になることを意味するわけであり、一部の力が強いものだけが得をする、貧しい世の中になってしまうわけだ。

これは、チケット転売問題を考えても同じである。

経済的にモノゴトを考えたら、チケットは独占し、その価値をあげ、高額でも買える人間から順に売りさばいていくことが正しいのかもしれないが、それだとお金のない人たちはライブに行けなくなってしまう。

最低限のお金を払えば、どんな人でもライブに行ける方が、本音はともかくタテマエとして素晴らしいに決まっている。

お金のない人でもライブ参戦を機会は奪わないようにするため、チケット転売問題は解決しないといけないわけだ。

また、転売に限らず、同じアーティストのチケットを独占している人だって理屈としては同じである。

遠征をせずにひとつの公演だけで我慢していたら、地元の人でそこのライブにしか行けない人がライブに行ける可能性が増えるわけだ。

遠征しまくっている人は、そのチケットの数だけそういう可能性を奪っているわけだ。

恋愛であれチケットであれ、独占すればするほど、そこに何らかの犠牲が生まれているという事実は少し考えても悪くないのかもしれない。

チケットにおいては経済的に自由であれば価格が高騰していくわけだが、それに対する運営側の策は、番号と名前をひも付けることで「交換」を不可能にするということだった。

交換を不可能するという構造は、まさしく「不倫ダメ絶対」と同じである。

つまり、ライブと恋愛くらいはどんな人でも参加できるチャンスがあった方がいいわけで、そういう機会を奪う恐れのある一夫多妻は「反対」であると言いたいわけだ。

もちろん、ライブのチケットと世の中にいる異性とでは数がまったく違うし、チケットと人間を同列に扱うのはおかしいという指摘はもっともなのだが、それを言い出したらこの話にオチがつかなくなるので、今は無視してもらえたら幸いである。

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