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最近、人間のタイプとか種類とか個性を、ポケモンのようにカテゴライズしがちである。

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いや、ポケモンの方が個性があるかもしれない。

だって、アンノーンを見てほしい。

奴らの種類の豊富さに比べたら、我々人類なんてただの量産型だと罵られたって反論できない。

え?アンノーンなんてポケモン知らないだって?

もし、仮にそれであなたがポケモンを好きを名乗っているならば、恥を忍んでほしい。

あなたのやっていることは、「ワタリドリ」しか知らないくせにドロスファンを名乗るクソビッチミーハー顔ファンとさして変わらない。

いますぐ急いで、アンノーンのことを調べてほしい。

と、アンノーンのことはこれくらいにして話を戻そう。

ここで言いたいのは、人間である我々は、ついつい自分の個性や性格をオタクアニメの属性のごとくパターン化してしまい、自分という人格すらも「キャラ化」してしまっているということである。

冴えない感じの子をみたら陰キャラなんて呼んでしまったり、「ワタリドリ」しか知らないくせにドロスファンと名乗る人のことを、クソビッチミーハー顔ファンなんて呼んでしまったり、ついついその人のことを「キャラ化」してしまうわけである。

そんなキャラ化する個性の最前線を、全盛期のボルトのように独走している属性がある。

「メンヘラ」である。

この言葉、誰しも一度は聞いたことがあるのではないかと思う。

基本的に、一般の人に比べて、他人(特に異性の人間)に対して過剰な依存癖があると、そのことを揶揄して「メンヘラ」とラベリングしてしまいがちである。

依存度の過剰さ故に「死にたい」とか「殺してしまいたい」とか口走るのようになってしまったら、王道メンヘラに大手をかける。

が、最近では依存度がある=メンヘラだと勘違いしてしまい、「お前はメンヘラじゃなくてただのかまってちゃんだよ」と突っ込みたくなるような、なんちゃってメンヘラマンが増殖している。

人を「キャラ化」することもあるなら、自分を「キャラ化」しちゃうこともあるというわけだ。

まあ、ラベルを貼るのは好きにしたらいいとは思う。

が、このラベリング、我々のような庶民がネタでやっているだけではなく、細やかな感情や想いや、それ以上にもっと繊細な「何か」を表現するはずのアーティスト側も乗っかって、行っているフシがあるのだ。

例えば、個性を気取る女性アーティストは、すぐに過剰に相手に依存するような恋愛ポエムを書きがちだし、事あるごとに「死にたい」とか「錠剤飲むねん!」とか、そういう感じのフレーズに取り込んでしまう。

そして、私たちに「メンヘラ」というハンコを押しなさい!とでも言わんばかりに、そんな歌を量産する。

押すなよ押すなよ絶対押すなよ、というフリを持ってしてお茶の間からややウケをかさらったのはダチョウ倶楽部であるが、私は他のアーティストとは違って自分の言いたいことを包み隠さず表現します、だから安易に「メンヘラ」なんてハンコは押すなよ押すなよ絶対押すなよ!とアピールするようなアーティストに限って、類型的・量産型になってしまっているのは、ダチョウ倶楽部的なフリなのか、マジで言ってるのか判断に苦しむところである。

ところで、苦しむと言えば、メンヘラを患っている主人公が登場する恋愛ソングは、大体恋や人間関係に苦しんでいる。

付き合っているのに、常になんだか不安に苛まれているのが、主人公の心理状況として王道であるし、振られてしまって死にたいとほざいていたくせに、次の日には違う男に股を開いてしまっている主人公像もまた王道だったりする。

そして、そんな主人公は、いつしか自分の安さにまた苦しんだりするわけだ。

ロックといえばDragonAshとか10-FEETとか、そういうのしか聞かないっす、という硬派な音楽ファンからすれば、そんな頭の悪い歌詞書いてる人なんて本当いるの?と突っ込みたくなるかもしれない。

百聞は一見にしかず。

まずは、ミオヤマザキの人気曲「メンヘラ」という歌を見て頂きたい。

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私ね、普通じゃ無いんだ。
こんな事言ったら嫌われちゃうかな?
いつもxxxちゃんと比べちゃうの。
こんな醜い姿。人に会うのが怖い。

ねぇ、逃げないでよ。すぐに終わるから。
聞きたい事も、言いたい事だって沢山あるの。

<以下略>

死にたいよ
死にたい、死にたい、死にたい…

もう、一切合切本当は無意味な事
全部わかってる知ってる
でも今日も刻む続ける度 会いに来て
「病まない」→「逢えない」→サイレン

ねぇ、一体何回私は繰り返してくの?
わかって、ねぇわかって私を
ねぇ、一体全体私は振り回してくの?
ねぇ、ずっとずっとずっとずっと側で

あなたが私の事愛してくれてないんだったら
私、もう生きてる意味ないよね
いつもいつもあなたを見ててあなたを感じてた
私はあなたと一緒なら死んでもいいって思ってたのに
私を愛してくれないなら…

死んで。

はい。

メンヘラを教科書にしたような歌詞である。

世間的なメンヘラのイメージを詰め込んだその歌詞は、まるでメンヘラのバーゲンセールのようである。

これだけ「死にたい」とか「死んで」とか、そういうヘビーな言葉を安売りされてしまった日には、ヒトラーですら「待て待て、お前はもうちょい生きろって!」と言いたくなるのではないかと思う。

でも、この歌詞、ふざけて書いてるのではなく、わりと大真面目に書いてると思われるし、一定数にはきっちりと共感されているのである。

色んな人がいるわけだ。

ところで、今度リリースされるキュウソネコカミのニューアルバムでも「メンヘラちゃん」という歌が収録される。

この歌でも、「メンヘラっぽい人」が、ミオヤマザキの歌詞のような感じで描かれている。

過剰に連絡を取ってきたり、異性に過剰に依存したり、被害妄想が酷かったり、薬を飲んじゃったり、すぐに死にたがったりするわけである。

けれど、キュウソはそんなメンヘラなお前が好きなんだ、と謎の一節を残して、この歌を締めくくる。

万が一、メンヘラなキュウソファンがいたとしても、ポイントを稼ぐような八方美人な振る舞い。

これはずるいぞ、セイヤ、と思う。

まあ、アホな反論は置いといて、僕がここで言いたいのは、僕たちはあまりにも「メンヘラ」を安易にラベリングにし過ぎているのではないか?ということである。

だってさ。

同じ「メンヘラ」とラベリングしている人の中でも、ただのかまってちゃんな人も入れば、本当に心に重い病気を抱えていて、どうしようもなく不安に苛まれている人もいるわけでしょ?

ただのかまってちゃんも、本当に「メンタルヘルス」な人も一緒くたにして、面白おかしく「メンヘラ」と揶揄しちゃうのはどうなのかなーということである。

人間って、そんな類型化するべきものなのかなーという反論。

これは「メンヘラ」に限らず、である。

僕たちは何でもかんでも類型化し、キャラ化し、そしてラベリングしてしまいがちなのではないかなーということである。

だから、岡崎体育のMVあるある曲や、あるあるネタを量産するバンドやツイートがバズったりしちゃうわけだ。

それがバズってしまう背景にあるのは「わかるわ〜」という共感が根源だとは思うが、これだけ安易に共感ができてしまうということは、如何に自分が類型的・量産型になってしまっているのかの告発でもあるわけで。

別にどっかの四十路アイドルのように「僕たちは世界にひとつだけの花なのである」と言うつもりも、どこかの照明を多用する魚系バンドのように「アイデンティティーがないないないない」とか言うつもりもない。

けれど、何かをラベリングしてしまうと、枝葉に宿っている本当の個性は黙殺してしまう、ということに対しては、意識的になってもいいのではないか、と思うのだ。

好きなバンドをラウド系とか、パンク系とかそういう括り、似てる音楽を一緒くたにした語ったら、ファンの人間ほど、「いやいやいや待て待て待て。その言い方は早計でしょ?」と反論したくなるのと同じなわけで。

だから、メンヘラ女子のことだって安易に「メンヘラ」として揶揄したり、ヤリ捨てたりするのではなく、もっともっとその子のことを見てあげたりするべきだし、アーティスト側はラベリングする個性のその先を表現するように、言葉を積み重ねてほしいなーなんて思うわけだ。

脱安易なあるあるネタな未来へ。

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