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モノは何でも使いようだよなーって思うのである。

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その代表が「下心」だと思う。

どっかの学校では「「男子生徒の劣情を煽るから」という理由でブラジャーの着用が禁止になった」のだとか。

このルールはあまりにも突っ込みどころ
がありすぎで、散々な色んなところで議論されていると思うが、僕が言いたいのは「下心」ってそんなにダメなものなの?という話である。

教育現場として大事なことは、性欲についてちゃんと向き合うことと、自分たちの性欲をどう運用するのかということと、正しい性知識。

これに尽きる。

まあ、ブラジャーを性欲の目でしか見れていない大人が子どもたちを前にして正しい性知識をさずけらるのかは甚だ怪しいところではあるが。

けれど、「教育」ってそういうことなのだと思う。(まあ、教師がそういう踏み込んだ話をしたら外部の大人が煩いという事情もあるのだが。だから、教師としては余計なことに首を突っ込まないようになりがちなのである)

話は変わるが、世の中には「紳士」と呼ばれる人たちがいる。

根っからの善人故、女性に対して紳士的な振る舞いができている人もいるが、基本的に必要以上に異性に対して「紳士」な人間の行動発露をみていけば、おおよそ下心から生まれたものであることがわかる。

これは、メンヘラ系女ツイッタラーをみていればよくわかる。

女ツイッタラーに自称メンヘラが多いのは、病んでる感をアピールすると「大丈夫?」と声をかけてくる男が多いからなわけだ。

で、この男がメンヘラ系女ツイッタラーに「大丈夫?」と、わざわざ声をかけてくるのは、そこに下心があるからなわけだ。

もちろん、この下心とは千差万別であり、単にヤりたいという思惑から生まれたものかもしれないし、単に見栄をはりたかっただけのものかもしれない。

まあ、「大丈夫?」と声をかけることは別に紳士でも何でもないので、その辺がいい加減な分析ではあるが、要は人に優しくするとき、その
根っこには下心がある可能性が高い、という話である。

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でも、同じ下心でま人を紳士にさせるならば、その下心は素晴らしいと思うのだ。

人によっては、痴漢をしたりセクハラしたりと
下心を邪悪なパワーに使ってしまう人も多いことを考えたら、紳士であれるのは立派な話だ。

バンドをしちゃうのだって音楽が好きだからといか色々言ったりするけど、結局のところ、下心があるからだと思うのだ。

でも、その下心、悪くないと思うのだ。

要は、下心というのはすごいエネルギーを生む分、使い方が大事という話。

いじめと下心は絶対にあるのだから、隠さなくてもいいと思うのだ。

強引にフタにして見えないようにするのではなく、オープンにしやすい空気にするのが教育の役割なのではないか、と僕なんかは思う。

で、あともうひとつ言いたいのは、下心ではじめたことでも、軽便する必要なんてないのだという話。

行動しているうちに思いなんて後から付いてくるのだ。

これ、確か10-FEETのTAKUMAがなんかのライブで言ってた話である。

例えば、ボランティア。

名のある奴がやれば、それは偽善だ、売名だ、なんて噛み付く人間が出る。

でも、そういう噛み付く人間に限って、何も行動しない。

理屈だけこねて、冷静に俯瞰で物事見る自分TUEEEEEと勘違いして、誰かを上から目線で叩くのだ。

その理屈は正しいのかもしれない。

ボランティアをした奴は売名したいからやってるだけかもしれないし、女に優しくする奴は下心があり本音ではやりたいと思ってるだけなのこもしれない。

けれど。

人の裏側をしっかり分析できるお前はほんの少し賢いのかもしれないが、そんなお前は分析することすら出来ないほど薄っぺらい人間になっているのかもしれない。

それなら、分析されるくらい太い人間になった方が人生楽しいと思うのだ。

なにより、最初は売名をするつもりでボランティアに片足を突っ込んだだけだったり、周りがやってくるからとりあえず俺もやってくかくらいの、志もなくボランティアを始めた人間が、気づいたら尊い人間になっていることなんてよくある話だ。

最初は下心から始まったはずの恋だったのに、いつの間にか二人の間には誰にも侵すことのできない確かな愛を宿らせることだって、よくある話だ。

思いなんて後から付いてくるのだ。

下心から始まる正義と愛の話なんて幾らでもあるのだ。

だから、その下心、恥じるべきではない。

きちんと向き合って、育てるべきなのだ。

膨らんだ股間から始まる正義と愛は確かに存在するのだという、そういう話。

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