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世の中の「カルチャー」にはサブとサブじゃないカルチャーがあるらしく、サブなカルチャーのことを「サブカルチャー」と評する人間が多い。

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サブカルチャーを略してサブカル。

サブカルとは何ぞやとか、サブカルとは一体どういうものを指すのか?ということに関しては、端的な解答を出すことが難しく、キュウソの名曲「サブカル女子」で述べられる「サブカル要素」を列挙して考察してみても、わかるのは、「サブカル」というものには色んな種類があるということと、移り変わりの激しい業界である、ということだけである。

ただ言えるのは、インスタを承認欲求を満たすような人間がオモチャにするカルチャーなんて、ほとんどの場合「サブ」なカルチャーではなくて、「流行」のカルチャーを追っているだけである、ということである。

けれど、一方で、どんなカルチャーだって最初は「サブ」だったことも間違いないわけで。

今回の記事では「サブカル」とは一体何なのか?ということを別の角度から考えたいと思う。

とはいえ、「カルチャー」なんて言葉で話を語ったらちょっと収集がつかないので、今回はカルチャーという言葉に、ちょいちょい「音楽」を代入しながら話を進めていきたい。

さて、そもそもサブカルが存在するためにはメインカルチャーの存在が必須となる。

基本的に、現代の日本音楽において「メインカルチャー」となるのはポップスであうろ。

誰のどの音楽がポップスと定義するのか、というのは難しいところだが、基本的に多くの人が知ってる音楽=テレビでよく流れる音楽=大衆的=ポップス=メインカルチャーという関係性で捉えたら妥当なのではないかと思う。

じゃあ、今の音楽シーンなら誰がメインカルチャーに相応しい存在と言えるのか?

もちろん、人の数だけ意見があるだろうが、例えば、星野源の名前を挙げて異を唱える人は少ないと思う。

が、今はともかく、ほんの数年前の星野源はサブカルの代表だった。

星野源がサブカルからメインカルチャーに転じるような評価になったきっかけは、色々あると思うが、端的に言えば、テレビの露出が増えてその存在を認知する人が増えたことだと思う。

サブカルからメインカルチャーへ変化とテレビの露出数は大きく相関関係があると思うのだ。(マジメなブログならここで具体的なグラフを出すとして、これが証拠だこのヤロー!とするのだろうが、僕はそんなことをする暇があるなら早くTwitterをしたいので、しません!自分で調べてみてください!)

なんだかんだ言いつつも、メインのカルチャーになりえるかどうかの線引きは「テレビ」が大きく握っているというわけだ。

ネット発信によるカルチャーがメインを育むことはなかなかに難しく、強いサブカルチャーを作る、という感じに留まっている気がする。(ネット発信のカルチャーがメインカルチャーになるのだって、ちゃんと状況をみればテレビを通っていることが多い)

ところで、星野源はサブからメインに転じたこと自体は多くの人にとって異論はないと思うが、サブからメインになると、大きく変わることがある。

それは大量の模倣文化を増殖することと、逆にそのカルチャーに対抗しようとする動きが現れることである。

要は、大量のパクリが生まれつつも、そのカルチャーに対するカウンターカルチャーも生まれるという構図。

つまり、大きなメインカルチャーは「生産」と「対抗心」を作るわけだ。

で、僕はそのことを母親的な要素と父親的要素を持っているように感じるわけだ。

ああん?ハハオヤ……チチオヤ……なんだそれ?

そう思われる方も多いと思うので、順を追って説明してみたいと思う。

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まず、母親について。

母親というのは、子どもを産み、育てるイメージがあると思う。

メインカルチャーも、リスペクトであれ、ただのパクリであれ、次世代のカルチャーを産む役割を担うわけだ。

つまり、メインカルチャーが果たすカルチャーの歴史における役割は、母親的であると言えるのはではないか?ということである。

その一方で、メインカルチャーを目の敵にして「あんなものクソだ!みてろよ!このヤロー!俺が天才的な音楽作り出してやるからな!」みたいな、反骨心ムキムキでカウンターな音楽を作る人間も現れる。

これは逆に父親的だなーと思うわけだ。

だってさ、物語における父親と息子の関係って、憎しみと対抗心のぶつかり合いなわけだ。

古くはオイディプス物語、あるいはスターウォーズ、あるいはエヴァンゲリオンでも見れるように、どの物語も息子が父親を憎み、そして(結果的に)息子が父親を殺す物語となっている。

カルチャーも本質としては、メインカルチャーがあったから生まれたカルチャーなわけで、そういう意味で、カウンターカルチャーにおけるメインカルチャーは親的な存在なわけだ。

けれど、カウンターカルチャーはメインカルチャーを憎んでいて、見返してやるからな!このヤローと対抗心を燃やしている。

色んな物語で、息子が親を憎むかのように。

やがて、優秀なカウンターカルチャーはメインカルチャーを殺し、滅ぼすのだと思う。(実際、カルチャーの歴史はそうであった)

父親を殺した息子だって、年を取ると父親になるわけだ。

カルチャーも同じで、最初はサブだったカルチャーは戦いに勝って生き残ると、やがて父親という名のメインカルチャーになるわけだ。

星野源がサブからメインになったように。

スターウォーズもエヴァンゲリオンも多くの人を魅了したのは物語の構造に類似点があったからで、その構造の本質は「父親殺し」の物語だった。

そして、その構造は、カルチャーの歴史にも通ずるものがある、というのが今日の記事の本論。

メインカルチャーは母親的な性質も、父親的な性質と兼ね備え、性別を超越しているからこそ、メインのカルチャーになるのかもしれない。

どんだけ〜って感じである。

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