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いま、一般的な人のジャニーズの認識ってどんなもんだろうか。

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僕はアラサーなのだが、大半のアラサーは、おそらくキスマイとかセクマシくらいになると顔と名前が一致しなくなるんじゃないかと思うし、TOKIOはただの楽器が弾ける農家の人としか認識されていないのではないかと思われる。

ちなみに、僕はキスマイなら顔と名前が全員一致するし(どうでもいい)、TOKIOの長瀬が昔、Mステの出演した衣装が、乳首を出すことを計算されて作られたのではないかと疑ってしまうような透明なはっぴ(?)だったことだってしっかり覚えている(TOKIOがまだ人間だった頃の話である)

SMAPが消えて、TOKIOはアイドルという職務を放棄している今、ジャニーズの中でもっとも人気なのは嵐であることに異論がある人は少ないと思う。

実際、嵐が群を抜いた人気を放ち、その下が群雄割拠になっているという認識でそんなに間違いはないと思うし、嵐以降の知名度がどうにも低いのは、それだけ世間のジャニーズ離れが進行しているからだと思う。

堂本剛がここにきてやたらと夏フェスに出るようになったのだって、世間のジャニーズ離れが「数字」として現れてきたのが背景としてあるように思う。

そんな右肩下がりのジャニーズにおいて、思春期の股間のように、メキメキと頭角を現しているジャニーズグループがいる。

関ジャニである。

もちろん、エイターからすれば「何を今更なこと言ってるねん!その口に拳骨突っ込んで二度としょーもないクチ叩かれへんようにするぞ!」と叱責のお言葉を述べたくなる気持ちもわかるが、ここでいう「股間のように頭角をあらわす」とは、あくまでもジャニーズをそんなに丁寧に追ってない人に対する認識の話である。

そんなにジャニーズに明るくない人でも、TOKIOや嵐のメンバーであれば、顔と名前が一致する人は多いと思う。

これは彼らに知名度があるからであり、言ってしまえば、人気の証なわけだ。

ひと昔前までなら世間の関ジャニの印象なんて、ただの泡沫ジャニーズグループのひとつ、くらいなものだっただろうが、少しずつ彼らも前述のような域に達しつつある気がする。

実際、冠番組の数は増えてきているし。

それこそ、嵐と肩を並べるように。

TOKIOは色んな意味でアイドルを卒業してしまったから横に置いておくとして、嵐と関ジャニを並べてみると、見えてくるものがある。

というのも、この二組の共通点が多いが、メディア戦略と成長戦略には大きな違いがあるのだ。(この二組は同世代であり、同期と言っても過言ではなかったりするわけだ)

嵐の戦略は、端的に言えば「THE・アイドル路線」である。

老若男女問わず、どんな層からも好感度が高くなるような働きぶりをみせている。

まだアソコが発達していないような子どもにも、歯が抜けてしまって久しい爺さん婆さんにも愛されるような、メディア戦略を取っているわけだ。

24時間テレビの司会者や紅白での抜擢がそれを物語っている。

要は、嵐は「マス」を意識した成長戦略をとっているわけだ。

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そういう意味でも、嵐はポストSMAPとして相応しい存在になりつつある。

一方、関ジャニは「マス」を狙いに言ってる感が薄い。

まず、帯番組(メンバー単体含め)でゴールデンタイムのものが一切ない時点で、お察しできると思う。(嵐の帯番組は見事なまでゴールデンタイムのものばかりで、このことからも嵐がどういう層を狙っているのかがわかる)

また、関ジャニの番組は、ゲストの立て方が嵐とは全然違う。

どういうことかというと、普通のジャニーズ番組は、ゲストを迎えるという体裁であっても、ジャニーズをたてたうえでゲストというものを配置するし、ジャニーズ優先の編集をしがちなのだ。

古くはSMAP×SMAPの「ビストロスマップ」、最近ならキスマイ「BUSAIKU!?」なんかをみてもわかる通り、ジャニーズメンバーに「見せ場」をつくるようなテイストで、番組を進行させる。

が、関ジャニのトーク番組は、極端な言い方をすれば、関ジャニがいなくても成立するような進行・編集をする。

関ジャニは完全に「サブ」なわけだ。

それを極限まで推し進めたのが「関ジャム」だと思う。

あの番組がすごいのは、関ジャニメンバーの物置感である。

関ジャニメンバーのコメントだって不要なものはばっさりとカットするし、まだ古田新太の方が目立っている回だって多い。

ジャニーズを「たてる」ことなんて一切考えていない番組設計をしているわけで、こんなの関ジャニ以外にはありえない。

ちなみに、この関ジャムこそが関ジャニの成長戦略を浮き彫りにした番組のひとつだと思う。

関ジャニは「マス」ではなく「ニッチ」を狙っているのだ。

そして、ひとつひとつの「ニッチ」を味方につけていくことで、最終的にはそれをひとつの「マス」としてしまうという作戦。

フェスの出演だったり、邦ロック好きなファンからしたらテンション上がりそうなメンツによる楽曲提供を受けたアルバムリリースだったり、さだまさしの楽曲提供だって、その流れのひとつだと思う。

番組作り、楽曲内容、それぞれの魅せ方含め、関ジャニは老若男女ではなく、それぞれのニッチをひとつずつ味方にしていく作戦を敷いているわけだ。

これが、嵐との大きな違いなのである。

でも、これってどんなジャンルにも言えることなのかもしれない。

ジャンルの細分化や、大型メディアの影響力の低下などから、どんな業界でも「マス」を狙うことは困難になってきた。

キスマイ以降のジャニーズメンバーの認知度がイマイチなのも、それが理由のひとつなわけだ。

「マス」が崩壊したなかで、それでも「マス」を狙うとしたら、自分たちで「マス」を作るしかない。

これには幾つか手段があるが、関ジャニの場合は「ニッチ」を狙いにいった。

そして、最初は「ニッチ」であったとしても、それが束になれば、いつしかそれは「マス」になるというわけである。

日本という単位だけでみても、ガラパコス化が進められている日本文化において、関ジャニは異例の「ニッチからマスの制覇」という前代未聞の快挙を果たすのかもしれない。

そうなった暁には、村上信五にはジャニーズ初の政治家とかを目指してほしいなあ、なんて思う。

なんか彼ならできそうだし。

アントニオ猪木よりは有能なら働きができると思う。知らんけど。

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