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おっぱいが大好き!みたいな人、よくいると思う。

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そして、おそらくその人の「おっぱいが好き」という気持ち自体には嘘偽りはないと思う。

が、おっぱい星人は本当に「おっぱいであれば何でも愛でるのか?」と言えば、そういうわけではないと思う。

つまり、彼らの「おっぱいを愛する」という気持ちは、カッコ付きでなければ、成立しないのである。

どういうことか?

少し考えてみよう。

例えば、男性のおっぱい。

女性のおっぱいなら愛でるという人も、こと男性のおっぱいであれば、食指が止まるという人が多数ではないかと思う。

仮に女性のおっぱいと比べても遜色のないような(形・大きさともに)美しさで、魅力あるおっぱいを有する男性が現れたとしても、女性のおっぱいと同じような需要をすることはないと思う。

男性のおっぱいも女性のおっぱいも、体内構造上の違いはあるにしても、揉む側の人間が敏感に反応するような違いはないはずだ。

けれど、女性か男性かの違いだけで、同じおっぱいであっても決定的な線引きをするわけだ。

まるで、色が黒いというだけで、ひたすら黒人を排他的な扱いをしてきた黒人差別主義の白人のように、男性のおっぱいを憎むのである。

この辺りを掘り下げたらジェンダー論の話とか、フェミニストが食いついてきそうな「ややこしい話」になるので、これ以上の掘り下げはしないが、少なくとも、おっぱい大好き!とアピールする人間のおっぱいは、*一部おっぱいは除く、の注意書きを要する主張である、ということは明らかになったのではないかと思う。

なお、僕の趣味はゲイバーですし、男性のおっぱいが大好きです!という人もいるだろうが、ここでしたい話とは趣が異なってくるので、そういう主張は一旦退けさせて頂く。

まあ、性差の話になると個人レベルで違いが出てしまうので、もう少し違うパターンでこの問題を検証してみたい。

例えば、路上におっぱいそのものが落ちていた場合。

人間の体から取れてしまったおっぱいそのものが道端に落ちていたとしたら、おっぱい星人はどのような反応をするだろうか?

もし彼らが本当におっぱいそのものを愛好しているならば、おっぱいだけが地面に落ちていたとしても、それに夢中になるはずだ。

が、おそらく現実的に考えると、おっぱいそのものが落ちていたら、悲鳴をあげることはあっても、欲情する人間は圧倒的少数だと思われる。

そうなのだ。

おっぱいはおっぱいだけでは意味がなく、人体にくっ付いているからこそ、おっぱいに魅力が生まれるわけだ。

つまり、おっぱい星人は本質的におっぱいそのものが好きなのではなく、おっぱいを有しているその人が好きなだからこそ、ついでにそのおっぱいも好きになる、というプロセスを知らず知らずのうちに踏んでいるわけだ。

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あるいは、こういう命題はどうだろうか?

おっぱいが背中に付いていた場合。

果たして、あなたは背中に付いているおっぱいを、通常の位置に付いているおっぱいと同じように愛でることができるだろうか?

おそらく、大方の人はできないと思う。

そのおっぱいを気持ち悪がってしまうと思うのだ。

あれだけ大好きなおっぱいでも、自分の想像と違う位置に付いていれば、一瞬でそれは嫌悪の対象になってしまう。

人って、そんなものだ。

だから、この世から差別は消えないし、自分と違うものに対しては敵意を向けたがるし、多くの人は大多数と同じであろうとするのだ。

残酷な話である。

そして、3つのケースをみてもらうことでわかったと思うが、あんなに大好きおっぱいですら、モノそのものを純粋に見ているのではなく、社会的観念や一般常識、その他様々な固定概念に縛られながら、我々は価値判断をしているということである。

つまり、本当に純粋におっぱいを愛してる人なんてほとんどいないということ。

純粋にモノそのものの価値を見極めているつもりでも、条件が変われば人の考えなんて簡単に変わってしまうということがわかったと思う。

そして、これはおっぱいの話だけでなく、音楽なんかでも同じことである。

よく顔ファンやアイドル目線でバンドメンバー見る人をディスる人がいる。

あるいは、フェスに行けばダイブばっかりしたり、音楽そのものより人と出会い厨することに重きを置いて、フェスを楽しんでいる人をディスったりする人がいる。

ディスる人たちの言い分を要約すれば、「もっと純粋に音楽を楽しめ」と言い換えられると思う。

でも、そんなディスをするあなたも、果たして「純粋に音楽そのもの」を楽しんでいる人間なのかと言われたら、そんなことはないかもしれない、というのがこの記事の指摘だ。

おっぱいの項でみてもらったように、光の当て方を変えたら、あなたの「好きな気持ち」「そのものに対するピュアな愛好の気持ち」は霧散しがちであるということだ。

特に楽曲指向で音楽を聴いています感を出しているバンド好きの人は要注意だ。

例えば、くるりとかナンバガのような、評論家に「お墨付き」をもらった音楽はすぐに賞賛し、ヤバTとかバクシンとかあの辺は「薄っぺらい」と否定しがちな人がたまにいる。

この人はおそらく、くるりとヤバTの音楽センスには雲泥の差がある、と感じたからそういう判断を下すのだと思う。

しかし、本当にあなたは音楽そのものを聴いた上で、そういう価値判断をしたのか?と説いてみたい。

もしかすると、前述したおっぱいと同じように、社会的観念や一般常識、その他様々な固定概念に縛られてしまっているだけなのではないか?ということだ。

こういうタイプの音楽は賞賛して、こういう音楽を卑下した方が「賢く見られる」という計算を、無意識にしているからこそ、このような優劣を導き出しただけなのではないか?ということだ。

もちろん、全員が全員そうだとは思わないし、それをすることが悪いと言うつもりもない。

ただ言いたいのは、自分は純粋に音楽そのものを楽しんでいる、と思っていたとしても、実は別の常識に縛られてしまっているだけであり、
その眼差しは純粋とはかけ離れたものになっている可能性は大いにあるよ、という話だ。

おっぱいも音楽も、純粋に、それそのものを愛するというのは、なかなかに難しいものなのである。

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