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昨年、おそ松さんというアニメが大ブレイクしたが、第二期の放送決定の旨が発表された。

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このアニメは、赤松不二夫原作のギャグ漫画を30年ぶりにリメイクさせた作品である。

ブレイクの要因は、原作ではあんまり顕著でなかった六つ子のキャラをはっきりとかき分けた点にあると思う。

それぞれのキャラについてはファンサイトをみてもらったり、アニメそのものをみてもらったらよくわかると思うのだが、このキャラの使い分けは例えばジャニーズの人気グループ嵐と通じるものがあると思うのだ。

おそ松さんのキャラクターに嵐のメンバーを貼り付けるとこんな感じではないだろうか。

おそ松→
カラ松→松潤
ちょろ松→桜井くん
一松→二ノ宮
十四松→相葉くん
トド松→大野くん

まあ、勝手な決めつけなわけだが。

ここでポイントになるのは、本来主人公であるはずのおそ松だけ嵐のメンバーに還元させるキャラクターがいないということである。

本来ならば主役であるおそ松にだけ「キャラクター」がないのはおかしな話であるが、実際そうなのである。

だって、まとめ役やツッコミ役を担当しているのは基本「チョロ松」だし、個性という観点は弟たちの方が特化しているように思われる。

つまり、おそ松は事実上いなくても物語が成り立つ、透明なキャラクターになっているわけだ。

だいたいキャラクターものというのは5人というのが「座り」がいいのである。

SMAPやTOKIOだってそうだし、戦隊モノなんかをみても「5人」というのがベースになっていることがわかる。

つまり、おそ松を空気にすることで、実質的には5人モノの物語に変化させているわけだ。

SMAPに置き換えて同じことを考えれば、そのことがよくわかると思う。

おそ松→
カラ松→キムタク
ちょろ松→中居くん
一松→草なぎくん
十四松→慎吾ちゃん
トド松→稲垣

まあ、これも個人の偏見なわけだが。

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なにより、稲垣はトド松とは違うだろう的な言い分もあるだろうが(むしろカラ松よりな気はする)、これは仕方がないのだ。

でないと、話が前に進まない。

まあ、言いたいのは5人というキャラクターは、しっかり個性をつけやすい数字なのだという話である。

そして、この「キャラクター性」というのは、どんなコンテンツでもすごく大事なことなのである。

邦ロックであれアイドルであれアニメであれ、コンテンツというものは内容や質よりも、キャラクターにどれだけ感情移入できる構造なのかが大事になってくるわけだ。

キャラクターを制するものこそ、売れるコンテンツを作ることが可能だというわけである。

別の記事では、邦ロックのアーティストはもはやアイドル扱いされていると指摘したが、結局のところキャラクターが入り口になってそのコンテンツに愛着を持たせることが、ブレイクする最大の近道であり、とにかくキャラクターに愛着をもたせることが大事なわけだ。

そしてそんなキャラクターに愛着させるためのキャラ付けをするうえでもっともなベストな数字は「5」であるというはな。

おそ松さん陣営はそれを理解していたからこそ、おそ松さん一人を透明なキャラクターにすることで、全員にしっかりとキャラ付けを行うことを可能にさせ、見事ブレイクすることに成功したわけである。

ちなみに、各キャラクターにどういうキャラ付けするのかもわりと大事なわけだが、このキャラのフォーマットは、それこそレンジャーものやジャニーズグループなんかと(意識的であれ無意識であれ)なぞるように作られているのではないかと思われる。

閑話休題。

このキャラクター性というのは、日常生活の中でも反映されるようになってきている。

現代の若者の多くは、自分がキャラクターであることに自覚的になり、その場に応じてキャラを使い分けることで世の中を生きているように思う。

例えば、学校とSNS、あるいは友達と職場などコミュニティごとにキャラを変える人間はザラだと思うし、同じTwitterでもあっても、複数のアカウントを所持することで、そのアカウントごとの「キャラクター」を使い分けている人間だってザラであると思う。

弄られキャラとか下ネタキャラとか、その他諸々、みんな何かしらのキャラクターを演じることで人とコミュニケーションしているように思う。

特にtwitter上では。

異様に「おっぱい」いう奴は、必死に自分にキャラ付けしようと試行錯誤している結果なのだと、個人的には思っている。

さて、結果としてこれが意味するのは、若者はキャラに敏感であるということである。

そして、キャラクターに対する執着心が強いということである。

また、キャラクターが分裂していても気にならなくなりがちということも挙げられると思う。

だから、マイヘアの椎木がクソみたいな発言していても「実はすごく良い奴」という、一見矛盾するような想像力も可能にさせるわけだ。

おそ松さんだって、話ごとにキャラクターが変わっていって各キャラのキャラクターがぶれぶれになっていたが、そのことを指摘したり問題に思っている人はほとんど皆無だったように思う。

なぜ、そんなことを受け入れることができるのか。

なぜなら、自分も同じだからだ。

その場ごとにキャラクターを変えることの方が普通だと思うからだ。

結論。

生きていくうえでも売れていくうえでも、キャラクターというのはとても大事だという話。

だから、マイヘアであれ、サチモスであれ、若者をターゲットにしているバンドマンたちは、自分たちの音楽以上に自分たちの「キャラクター性」を大事にするわけである。

売れるということを考えるならば、コンテンツなんて二の次だからだ。

これは若者、特に女の子がたくさん乱入したジャンルではとくに色濃く出る話であり、故におそ松さんのファンに異常に女子が多いのもそういうことである、ということは最後に付け加えておこうと思う。

(ジャニーズも同上なわけである)

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