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「世界」という言葉を携えて、活動しているバンドは何組かいると思う。

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その中でも特に己の「世界」を確立し、今の音楽シーンに名を刻んでいるのはクリープハイプの尾崎世界観と、セカオワことSEKAI NO OWARIだと思う。

一人はバンドメンバーの個人名で、一方はバンド名なので比べる対象が違うだろうという指摘はあるかもしれないが、今回はあえてこの両者を比較していきたい。

そして、「世界」とは何なのか、ということを改めて考えていきたいと思うのだ。

さて、前提してあるのは、尾崎世界観の指す「世界」と、セカオワの指す「世界」はまったく違うということだ。

色んな意味で、違う。

どう違うのか?

例えば、尾崎の「世界」は現実的で、セカオワの「世界」は空想的であると言える。

それは、彼(ら)が作る楽曲のタイトルみたらよくわかる。

クリープハイプの歌を並べてみると「コンビニララバイ」「バイトバイトバイト」「ラブホテル」「社会の窓」などなど、どの歌も良くも悪くも生活感が漂うタイトルであり、タイトル・歌詞含め、わりと日常志向というか、その辺にありふれたものが登場していることがわかる。

一方、セカオワは「スターライドパレード」「眠り姫」「Dragon Noght」「炎と森のカーニバル」などなど、どの歌も登場人物の生活感が一切漂わないし、ファンタジー的要素が強いことがよくわかる。

尾崎の歌詞に「ドラゴン」とか「カーニバル」とか「パレード」なんて言葉は絶対に出てこないし、セカオワの歌詞に「コンビニ」とか「ラブホテル」とか「オリコン7位」なんて言葉は絶対に出てこない。

歌詞は社会を描くわけだが、描いた先にあるのはそのアーティストの世界観な反映なわけで、こういう式が成り立つ。

歌詞→社会にアプローチ→世界観の完成

で、歌詞で社会のアプローチするとは、要はどんな単語を使ってどんなメッセージを表現するのか、ということになるわけだが、尾崎とセカオワはこの社会に対するアプローチがまったく違うわけである。

必然的に描かれる世界観も違ってくるわけだ。

で、尾崎は歌詞に使う単語やメッセージが現実的で、セカオワは空想的という話をしたが、言い方を変えるこれは、社会に対する距離のとり方が違うというふうにも言える。

クリープの尾崎は社会に対する距離がとても近く、故に社会に飲まれそうになり、だからこそ、飲まれないように抗うような歌詞を書くわけだ。

で、セカオワは大人がみたら「?」が浮かびくらい、共感しにくい主人公を描き、現実世界にはないような空想の単語をたくさん使うことで、極力社会とは距離を置くようなアプローチをしているわけである。

面白いのは、描き方や描くものはまったく違うのに、二組とも「世界」はしっかり描いているということだ。

二組とも「世界観」がしっかりしていることは、彼らの作品に触れたことがある人ならばわかることだと思う。

また、二組ともこの「世界」に対する接し方も違う。

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尾崎はライブをするとファンから「世界観がいいよね」と言われることが多かったが、その褒め言葉に尾崎は疑問を覚えたので、自ら世界観を名乗ったということが公言されているし、セカオワは当初漢字表記していた「世界」という言葉をわざわざアルファベット表記にして「世界」というものを、より抽象的にするようにした。

つまり、尾崎は「世界」の歩み寄り、セカオワは「世界」に距離を取ろうとしたわけだ。

ここに関しても、二組とも「社会」と同じ対応をしていることがわかる。

ただし、それぞれの「世界」の言葉の由来を考えると、少しだけ話が変わる。

セカオワのバンド名の由来は「ボーカルの深瀬が色々あって、精神病院に入院したりするなど人生が上手くいかず、自分の世界が終わったような生活を送っていたが、そんなときに残されていたのが音楽と今の仲間だったので、終わりから始めてみよう、という想いを込めて、このグループ名をつけた」とのこと。

つまり、セカオワの「世界」とは、実態としての世界、空想の産物ではなく、手に触れることができるそのものとしての「世界」なわけだ。

一方、尾崎の「世界」は「世界観が良いと言われたこと」がきっかけということからもわかるとおり、実態としての「世界」ではなく、想像的産物としての「世界」ということがわかると思う。

つまり、こういうことが言えると思う。

尾崎→歌詞における社会のアプローチはリアル志向だが、名前にある「世界」は想像的な意味での「世界」

セカオワ→歌詞における社会のアプローチは想像的・空想的志向だが、名前にある「世界」は実態的な意味での「世界」

つまり、社会と世界の接し方、そして由来が、尾崎とセカオワではとことん真逆というわけだ。

けれど、彼(ら)が共通しているのは、その言葉やメロディーで紡ぎ、創られていく「世界」は唯一無二のものであるということ。

これを成立されられている理由は色々あると思うが、「社会」を超えて「世界」を見据えて生きてきたからこそ、なせる技なのかもしれない、というそんな話。

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