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フレデリックが10月19日に初のフルアルバムをリリースする。

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タイトルは「フレデリズム」。

メジャーデビュー後、最初のフルアルバムということで、インディーズ時代からお馴染みだった「オドループ」なども再収録される。

収録曲は下記の通りである。

M1. オンリーワンダー
M2. リリリピート
M3. レプリカパプリカ
M4. KITAKU BEATS
M5. サービスナーバス
M6. スピカの住み処
M7. バジルの宴
M8. ナイトステップ
M9. POOLSIDE DOG
M10. オドループ
M11. CYNICALTURE
M12. ふしだらフラミンゴ
M13. 音楽という名前の服
M14. オワラセナイト
M15. ハローグッバイ

今回はそんなアルバムの表題曲的位置付けである「リリリピート」の歌詞について考えてみたい。

作詞:三原康司
作曲:三原康司

繰り返してたびたび辛い思いする夜は
セツナバックビート
かったるいと嘆いた夜は
繰り返してまた聴き直して
また繰り返せる世界で
僕はせっせとせっせとせっせと
せっせとせっせと
MUSIC

リピートして リピートステップして
リピートして また踏みだして
何度だって
イヤフォンの中に潜む悪魔が
袖をひっぱって「まだ遊び足りない」って
リピートして リピートステップして
リピートして また駆け出して
何度だって
スピーカーから漏れる愛の歌が
止まらないんだって
コンセント刺さってないのに

繰り返してまたきた痛い思いする日々が
止まらないスコールばっくれるな
逃げ腰ランナー
君の心のリュック重量オーバーで
ぱんぱんぱん ぱんぱんぱぱん
リセットして

リピートして リピートステップして
リピートして また踏みだして
何度だって
イヤフォンの中に潜む悪魔が
袖をひっぱって「まだ遊び足りない」って
リピートして リピートステップして
リピートして また駆け出して
何度だって
スピーカーから漏れる愛の歌が
止まらないんだって
コンセント刺さってないのに

行ってきては 戻ってきては
リピートして 今までの関係も
全部リセットするわけないわ
全部背負ったまま

リピートして リピートステップして
リピートして また踏みだして
何度だって
イヤフォンの中に潜む悪魔が
袖をひっぱって「まだ遊び足りない」って
リピートして リピートステップして
リピートして また駆け出して
何度だって
スピーカーから漏れる愛の歌が
止まらないんだって
コンセント刺さってないのに

以上である。

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フレデリックの代表曲である「オドループ」や「オワラセナイト」のMVで監督を務めたスミス氏と、今回のMVでもタッグを組んでいる。

今回の楽曲では「リピート」という言葉を使って、繰り返すことと、繰り返すことにより少しずつ変化をしていくことを歌っているように感じるわけで、これは今までのフレデリックの一定のテーマでもあるわけだ。

オドループでも「ループ」という単語を使い、繰り返すことをテーマにして歌ってきたし、前作の「オンリーワンダー」もキーワードこそ「繰り返す」とは関係のないフレーズをリフレインさせているけれど、同じフレーズを繰り返すことで、メッセージやメロディを聴き手の身体に染み込ませるという意味では、同じモチーフの延長戦上に曲を構成していることがわかる。

今までのテーマを踏襲しつつ、これからの彼らの代表曲になると確信したからこそ、スミス氏を監督にしてこの楽曲のMVを作ったのだと思われる。

ましてや、今回のアルバムのタイトルは「フレデリズム」だ。

そんなタイトルの表題曲である。

そりゃあ、フレデリック陣営も気合いが入るというものである。

結果として、今までフレデリックのことをあまり知らなかった人が、「ああ、フレデリックって(色んな面があるにせよ)基本的なベースってこういうバンドなんだ」というのを分かりやすく伝わるにはもってこいのテーマ、メロディの歌なのではないかと個人的に思う。

ただし、勘違いしてほしくないのは、フレデリックは単純に「繰り返す」ことを志向しているのではなく、螺旋階段を上るように同じことをしているように見せかけながら、少しずつメロディーにも歌詞のメッセージにも変化を生じさせ、かつこの歌詞がそもそも「リピートしているように見せかけながら、変化すること」をメッセージにしているのである。

なんだかまどろっこしい言い方になってしまったので、もう少しちゃんと歌詞をみていこう。

冒頭のフレーズは辛い思いが繰り返し訪れることを遮断するために、好きな音楽をリピートさせることで連鎖する辛い思いを断ち切ろう、というニュアンスのメッセージが描かれており、どんなことだって繰り返される世界だからこそ、一度何かダメなことがあっても、また「やり直し」を繰り返す選択もできるのだと伝えているわけである。

つまり、繰り返しがあるからこそ、繰り返しを断ち切ることもできるし、いまある繰り返しを終わらせて、新しい繰り返しを選択することもできるよ、という一見すると逆説じみたメッセージが送られるわけである。

中毒性のあるメロディーのことを「悪魔」と表現するあたりが彼ららしいと思うわけだが、(もっとポジティブな言葉を比喩として使ってもいいはずなのに)そのあとのフレーズでは、リピートしてしまう音楽のことを「愛の歌」と表現している。

ここでポイントなのは「悪魔」のメロディーは実際にイヤフォンから流れるメロディーのことを指しており、「愛の歌」は実際に耳から入ってくる音のことではなくて、コンセントに刺さっていないところから聞こえる音(つまり、自分の脳内に流れているメロディー)のことを言っている点は実に面白い。

似たようなフレーズを使いながら、外側から内面へと歌っている内容を移行させているのである。

2番ではリピートに交じって、「リセット」という単語が出てくる。

生きていれば「痛い思い」は繰り返しやってくるけれども、それをリピート(繰り返し)したくなる音楽に身をゆだね、負の思いをリセットしようというメッセージを投げかけるわけである。

ただし、リセットする必要のあるもの、背負う必要のあるものは、しっかり分けたうえで歌われている。

要は、音楽に身を任せてアホになって全部忘れちまえーみたいな軽いメッセージを言いたいのではなくて、メンタル面ではリセットしよう、けれど現実そのものが変わるわけではない、向き合う気持ちができたなら、あくまでも自分の力で繰り返す現実に立ち向かえ、リピートすることで変革しようぜ、って感じなことを歌っているのだと思う。

サビにでてくる「リピートステップして。また踏み出して」というフレーズに、そのあたりのメッセージが凝縮されているように感じる。

だから、袖をひっぱられるような気持ちにさせて、もっと聴きたくなるようなメロディーのことは「悪魔」に例え、自分の体を突き動かすような脳内に流れる心のメロディーのことは「愛の歌」と形容するわけである。

この辺りが、この歌のメッセージの本質だと個人的には思う。

そして、それこそがフレデリックのイズム、まさしくフレデリズムなのである。

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