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キュウソネコカミのフロントマンであるヤマサキセイヤの歌詞について考察する。

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彼の歌詞は常に世間の空気を反映している。

つまり、時代の空気を切り取った歌詞が多いということだ。

特に若者の気持ちの代弁具合は見事なもので、若者の「あるある」を見事なまでに歌詞にしている。

けれど、キュウソは歌詞が良いよね、みたいなノリで消費されるタイプのバンドではなく、どちらかというと、ライブの面白さとかグッズ良さとか、そういうことばかりが評価されているような気がする。

もちろん、それもキュウソの良さのひとつなんだけど、フロントマンであるセイヤの書き上げる、思わずわかるーわかるーと思っちゃう、痒いところに背中が届くような心地にさせる歌詞は、大した観察眼であると思うわけだ。

「ファントムバイブレーション」なんて、まさしく若者の心理を巧みに描いた秀逸な歌詞ではないだろうか。

スマホ依存の若者をわかりやすく描写しているわけだが、歌詞を読めば意外と辛辣なことが書かれていることがわかる。

誰とも繋がっていない君は、それでも薄い繋がりを求めてしまう、という話。

リアルだしノンフィクションなんだけど、でもキュウソというフィルターを通しているからこそ、そこまで辛辣には感じさせない辺りが妙というべきか。

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そういうふうに感じさせる秘訣は、セイヤのフレーズ選びにもあるように思う。

例えば「スマホは俺の臓器」というフレーズ。

スマホがないと生きていけないという若者の切実なるスマホ中毒具合を如実に表現しているフレーズであるように思うが、これをストレースに「俺らはただのスマホ中毒」なんて身もふたもない歌詞にしていたら、なんだか批評性が増して嫌味な歌詞になりかねなかったが、「臓器」というワードを使うことで、見事なまでにコミカルテイストを残すことに成功したわけだ。

マジで、セイヤ、すごいぜ。

このフレーズは氷山の一角であって、キュウソの歌詞が世相を反映するフレーズは他にもいっぱいある。

DQNとか童貞とかサブカル女子とか奨学金とか、意外と社会派のフレーズがてんこ盛りなのだ。

若者の社会学を勉強したいと考えている人間は、一度キュウソの歌詞を熟読していくことをオススメする。

キュウソってどちらかというとコミックバンド的な位置づけでありながら、歌詞はとても辛辣さであり、あんまりポジティブな歌はないのである。

非モテでコミュ障な人間をことごとく野次っている。

でも、不思議とそれが嫌味にはならない。

なぜか。

歌詞を書いているセイヤ自体が、そういう人間っぽいからだ。

簡単に言えば、自分で自分の悪口を書いているような歌詞だから、なんか笑えるし嫌味な感じにならないのだ。

明らかにイケメンのリア充が「25歳の童貞をバカにする歌」を作ったら、たぶんシバかれると思うのだ。

でも、キュウソネコカミというバンドは就活に失敗した底辺人間の集まりとして結成されたバンドであり、最初の頃はヤンキーにいびられるピラミッド階級の底辺にいるような感じのバンドだったから、「敵」というよりは「仲間」として非リアに受け入れられたわけだ。

けれど、そんなキュウソも2016年のCDJでは一番のメインステージであるEarth stageに出場し、その会場を満杯にしてしまう。

いつの間にか、噛みつく側から、噛みつかれる側に回ってしまったわけだ。

しかも社会風刺系をネタにして歌詞にするバンドがヤバTをはじめどんどん若手から出てくることで、歌作りにおいても試練のときを迎えている状態となっている。

このまま消費されるだけの存在になってしまっては、今の若者がライブという現場から去ってしまう頃には、「ああーあんなバンドもいたなー」扱いされることは間違いないので、また今までとは違う視点で、世の中を皮肉るような歌詞をかいてほしいと思うばかりである。

だって、キュウソの「サブカル女子」に出てくるサブカル女子なんていないもんな。

ヤンキー像が変わってしまったら、ヤンキーこわいーなんて歌も封印されることになるので、色々と様相が変わる前に次なるパンチを放つことを期待している。

泣くなおやじ、ではなく、泣くなセイヤ、となる前に、次はどんな歌を彼らは作ってくれるのだろうか。

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