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2015年の全国Zeppというライブハウス巡って行われた対バンツアーのファイナルで披露されたミスチルの新曲「忙しい僕ら」。

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この歌はMr.Children Hall Tour 2016 虹でもアンコールの最後に披露されている。

アンコールの最後に歌うということはミスチルとしてもこの歌は重要に思っているということで、次のシングル、あるいはアルバムの中心の曲になる可能性が高い。

ただし、いまだに音源化は未定なのである。

そんはミスチルの新曲「忙しい僕ら」の歌詞に託された桜井和寿の想いとはどんなものなのか。

つぶさに観察しながら探ってみたいとおもう。

泣いて 泣き止んで
また泣いて 笑って
忙しい僕らは日々をまた刻んでく

決めて でも迷って
うやむやにして また明日
だらしない僕だが
尚も希望は捨てない

空に舞い上がったボールも
必ず地上に落ちるように
それが良いことであっても
また その逆でも
同じ場所に とどまってはいられないんだな

あんなに魅力的に見えたのに
今は もうどうだってよくなってる
それが悪いことであっても
また その逆でも
次の場所に 進まずには生きれない

泣いて 泣き止んで
また泣いて 笑って
忙しい僕らは日々をまた刻んでく

忙しい僕らは 今日も また

みなさんはこの歌詞にどんな感想をもっただろうか。

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まず、この歌に登場する「僕ら」とは誰だろうか。

複数形ということは、カップルとか夫婦のことを指しているのかしれないし、ミスチルみたいなバンドやチームのことを指しているのかもしれない。

もちろん、友達とか友人に置き換えることも可能であろう。

それぞれのフレーズに「僕ら」を特定されるような具体的なフレーズは登場させない。

抽象的で、どんな関係性でも当てはめるような無難な言葉しかあえて使っていない。

つまり、この「僕ら」という言葉は、誰を指していて、どういう間柄なのかを特定させたくないのかもしれない。

ただし、僕らという言葉の前に「忙しい」と修飾語をつけていることで、時間的に余裕のない日々を過ごしている二人組を連想させる。

個人的な印象だけで言えば、仕事で忙しく、すれ違いの日々が続いている、そろそろ結婚を考えてもおかしくないくらいの歳月を過ごしたカップルがイメージされる。

「空に舞い上がったボールも必ず地上に落ちるようにそれが良いことであってもまた その逆でも同じ場所に とどまってはいられないんだな」というフレーズでもあるように、ある程度、同じ時間を過ごしてきた「僕ら」は何かしらの変化が必要な局面に立っていることがわかる。

歌詞だけでみれば、その「変化」は「尚も希望は捨てないもの」という表現にもあるように、傍目からみれば決して良いものではないが、やり方を変えれば「良いものに変えることができるかもしれない」ような変化であるように読み取れる。

また、「あんなに魅力的に見えたのに、今は もうどうだってよくなってる」というフレーズからもある通り、今までは変化を回避して続けてきた「それ」を、ついに変化させようとしていることもわかる。

これをカップルという枠組みに当てはめるとするならば、こんな風に解釈ができるだろうか。

“忙しいなりにもそれなりに居心地のよかったカップルは、それぞれがよりよく生きるために、別れるという変化を選択を決心した。今はその選択を「良くないこと」と思っているが、やがてその選択は良かったと思える日が来るし、そうなるように生きていくんだ”

みたいな感じのメッセージになるのではなかろうか。

だから、「泣いて 泣き止んで、また泣いて 笑って 忙しい僕らは日々をまた刻んでく」というフレーズで締めくくることになるのだ。

ただし、ひとつ気になる点がある。

それは、この歌で唯一、比喩として登場する「ボール」という言葉だ。

なぜ、この歌、ボールという言葉を登場させたのだろうか。

ここでひとつ仮説を唱えてみよう。

まず、ボールとはどういうものか考えてみたい。

色んなスポーツでボールは登場するが、どんなボールであれ、基本的に丸い(ラグビーは?とかツッコミはなしで)。

で、丸、というのは循環をイメージさせる記号になる。

つまり、変化をさせたとしても、循環が巡り、また君と出会う、というニュアンスがここに込められているのではないか。

ここで一度別れるけど、僕らはまたどこかで必ず出会うはずだ、的なメッセージになるというわけだ。

ただし、この歌をカップルが別れる歌と仮定したとして「また別れてから出会って再び付き合う」というメッセージではないと思うのだ。

では、どういう意味か。

それは、もし次に大切な人が出会ったとき、今の彼女との記憶がどこかでつながるときがあるというニュアンスではないかと思うわけだ。

やがて、新しい恋人ができるかもしれないし、もう恋人なんて作らないのかもしれない。

恋人ができたとして、新しい恋人なのだから全ては振り出しに戻るし、恋に予習なんてありえないのだから、前の恋人の記憶なんて関係がないといえばないし、そんなものさっさと捨て去ってほしいし、実際捨てるに違いない。

けれど、確かに君との間に紡がれた記憶があって、その記憶があるからこそ、あなたはあなたとして形成されていることもまた事実。

忘却したはずの前の恋人との記憶が、ふとした瞬間に頭をよぎるときがきっとくるはずだ、と予言しているのだ。

そのとき「僕は元気でやってるよ」と言わんばかりに君と脳内で再会したことを実感し、そしてそこで最後の「さよなら」をいうのである。

君は君の「忙しい日々」をしっかりと歩んでね、と言わんばかりに・・・

という穿った解釈を最後にそえて、この記事を締めくくりたい。

どうか、あなたの解釈のひとつの道しるべになればと思います。

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