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その昔、セカイ系という言葉が流行った。

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評論をかじったことがある人なら一度は目にしている言葉ではないかと思う。

これは物語の構造に対するひとつの括り方であり、僕と君の物語が世界のあり方に直結してしまい、そこには社会という概念が抜け落ちているようなタイプの物語を指す。

簡単に言えば、僕と君の恋愛が世界の存亡に関わるとかそういう類の話だ。

例えば、漫画である「最終兵器彼女」とかアニメの「ほしのこえ」とかが典型的なセカイ系物語だと言われており、その系譜の最初に行き着くのが「新世紀エヴァンゲリオン」と言われている。

で、邦ロック界において、もっとも僕と君の物語を世界に近づけて書くような表現をするのが藤原基央なのである。

元々、藤原基央の歌詞は何かしらの比喩がベースにあることが多い。

「涙のふるさと」や「夢の飼い主」のように、人ではない何かを擬人化したような歌詞が数多く存在している。

そのため、元々とても近いものや身近なものを大きく大袈裟に書くのが彼の十八番とも言えるわけだ。

思えば、藤原基央は「新世紀エヴァンゲリオン」とも親和性が高く、「アルエ」なんかはまさしくエヴァのヒロインで綾波レイのことを歌った歌であると言われている。

※タイトルのアルエは綾波レイのイニシャルであるARから取られたというのはファンの間では有名な話であろう。

さて、前置きはこの辺までにして、藤原基央の歌詞がセカイ系というのは、どういうことなのか細かく見ていこう。

ここでは天体観測の歌詞についてみていきたい。

午前二時 フミキリに 望遠鏡を 担いでた
ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい

二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た
始めようか 天体観測 ほうき星を探して

冒頭のフレーズである。

これだけみると、夜中に僕と君が踏切の近くで天体観測を行うとしているだけのように見える。

が、そもそもこのフレーズ全体が比喩になっているわけだ。

それは君が何者かを最初から最後まで着目して考えていればわかることである。

深い闇に飲まれないように 精一杯だった
君の震える手を 握ろうとした あの日は

先にネタ晴らしをしてしまうと、この歌は心の中のこと、僕の内面について歌っている歌である。

だから、闇に飲まれないように、というフレーズが出てくるのである。

サビをみてみよう。

見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ
明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
“イマ”という ほうき星 君と二人追いかけていた

まず、わざわざこれは本当に星をみてるのではなく、イマというほうき星をさがしていることが強調される。

かつ、明日は漢字で表記しているのに、いまは「今」ではなく、「イマ」と表現している。

ここでわかるのはこの天体観測というのは比喩だよ、ということである。

そう考えると、僕たちが見ようとしている「見えないモノ」とはなんだろうか、と考える必要が出てくる。

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2番の歌詞をみてみよう。

気が付けばいつだって ひたすら何か探している
幸せの定義とか 哀しみの置き場とか

生まれたら死ぬまで ずっと探している
さぁ 始めようか 天体観測 ほうき星を探して

今まで見つけたモノは 全部覚えている
君の震える手を 握れなかった痛みも

知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ
暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ
そうして知って痛みを 未だに僕は覚えている
“イマ”という ほうき星 今も一人追いかけている

2番では君が不在なことがわかる。

歌詞みればわかるが、天体観測というのは心の話なのである。

そして、君とはもうひとりの僕のことなのである。

歌詞の言葉を借りて言えば、痛みを知る前の純粋な頃の僕が君で、痛みを知った今の僕が僕なのである。

だから、ここでいうイマはnowとはまた少し違った時間軸の話なのだ。(だから、いまはカタカナ表記なのである)

背が伸びるにつれて 伝えたい事も増えてった
宛名の無い手紙も 崩れる程重なった

僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ
ただひとつ 今も思い出すよ

予報外れの雨に打たれて 泣き出しそうな
君の震える手を 握れなかった あの日を

見えてるモノを 見落として 望遠鏡をまた担いで
静寂と暗闇の帰り道を 駆け抜けた
そうして知った痛みが 未だに僕を支えている
“イマ”という ほうき星 今も一人追いかけている

もう一度君に逢おうとして 望遠鏡をまた担いで
前と同じ 午前二時 フミキリまで駆けてくよ
始めようか 天体観測 二分後に 君が来なくとも
“イマ”という ほうき星 君と二人追いかけている

僕ともうひとりの僕というもっとも近い距離にいるはずのふたりの、距離の遠さを歌った歌。

天体観測というモチーフを使ってそれを歌うのだ。

つまり、近い距離のことをとても遠い距離にして、その距離感を歌うのだ。

とても近いことと、とても遠いことを繋げる想像力が藤原の歌詞にはあるのだ。

だからこそ、彼の歌詞はとってもセカイ系的なのである。

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