BUMP OF CHICKENの「望遠のマーチ」について個人的解釈を書いていきたい。

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いこうよ、というサビのフレーズから考えること

サビが「いこうよ」ってフレーズの繰り返しなのが印象的なこの歌。

そうか。

この歌は「いこうよ」っていうことが言いたい歌なんだなーという当たり前の感想を持つ。

でも、この歌、BUMPにとって新しいモードに入った歌なんじゃないかなーと勝手に感じた。

涙を擬人化させて「会いに来たよ」と歌うことはあったけれど、ここまではっきりと内から外に連れ出すような歌って今までになかったように感じるのだ。

BUMPの歌って、何かを擬人化させて内面を丁寧に描く歌が多く、その繊細さや機敏さが多くのリスナーの共感を得たバンドだと思ってあり、例えるならそれは、エヴァンゲリオン的世界観に近いものがあると思っていて。

それこそ「逃げちゃダメだ」っていう世界観が色濃くて、痛みに寄り添うフレーズも、現実逃避のそれに近いものがある、そういうサプリメント的な印象を受けることが多い。

しかし、今回の歌では執拗に「いこうよ」を繰り返す。

まるで、俯いている君に手を差し伸べて「こことは違う場所」に向かおう、いつまでも内面世界で膝を抱えちゃいけないよ、そんなフレーズのように感じるのだ。

「fire sign」では、僕らの場所は僕らの中にあると歌ってみせていたBUMPが、ここまで強い意志をもって違う場所に行くことを促すことは、未だかつてなかったように感じるのだ。

もちろん、希望を描く歌はあったけれど、自分の意志を持って未来を選び抜く大切さを歌った歌はあったけれど、ここまで意志をもって「(次に)いこうよ」と歌はなかったんじゃないかなーと思うわけだ。

しかも「いこうよ」とフレーズは一回や二回顔を出すわけじゃない。

何度も何度も繰り返し、その言葉を使う。

「いこう」も含めたら、なんと15回も登場しているのだ。

ここまで同じ単語を繰り返すなんて、BUMPの歌詞史上、初めてのことなのではないかと思う。

ここまで同じフレーズを繰り返すのは、それがこの歌のメッセージに他ならないからだ。

間違いなく、この歌は聴いてる人に向けて「いこうよ」と言うための歌なのである。

ところで「いこうよ」を英語表記にすると、GOになる。

「GO」と言えば、2017年から2018年にかけて行ったPATHFINDERのツアーの全公演で最初に歌ったナンバーである。

「GO」という歌は「GO」というタイトルだが、あくまでもこの歌は肯定の歌であり、傷に寄り添う歌であり、GOすることを強く促す歌ではないように思う。

なにより、あの歌の歌詞が描いていたのは、心の世界の話であり、内面世界を抜けて外に連れ出すような歌ではなかったように思うわけだ。

「望遠のマーチ」はそこからさらに踏み込み、具体的に行動を促す言葉を、意図的に繰り返しているように思う。

つまり「望遠のマーチ」というのは、もう一つの、本当の意味での「GO」という歌なのではないか?

そんなことを僕は感じた。

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望遠というモチーフから考えること

タイトルの望遠という言葉の意味は、<遠くのものを見ること>になる。

で、カメラにおいてこの言葉を使うと、カメラのレンズの中央からレンズが像を結ぶまでの距離(焦点距離)が長い状態を示す言葉になる。

BUMPの歌詞において、視点というモチーフはすごく大事で、それは代表曲である「天体観測」や昨年リリースされた「記念撮影」でも現れている。

天体観測とはどういうメタファーなのか?記念撮影をしているそのカメラとは誰の視点なのか?そういう問いかけが歌詞の本質に繋がるわけだ。

先ほども述べたように、これも基本的には内面世界を描く一つのレトリックと捉えることができるし、あるいは、時空を超えて過去の僕と未来の僕を結びつけるレトリックに用いられることもある。

実際、天体観測も記念撮影も似たようなレトリックを使い、巧妙な形で僕と君を描いているように思う(君というのは過去の僕、あるいは未来の自分)というふうに解釈することもできるのだ。

大きなスケールの過去と未来を今の僕に繋げながら歌った歌といえば「pinkie」なんかもそうであるし、もう少し小さなスケールの過去と未来を歌った歌が「アンサー」であるように思うし、そもそも「RAY」も同じ構造の歌と捉えることができるだろう。

そんななか、今回の「望遠のマーチ」では、何を<望遠>しているのか、というところが気になる。

この歌はBUMPの歌にして珍しく「僕」という単語が出てこないし、「君」という言葉も一回しか出てこない。

そのため、僕は一体誰で、君は一体何者なのか?というのが普段のBUMPの歌よりも見えにくくなっている。

しかし、「望遠」という単語は未来を指し示すフレーズであることはなんとなく想像できる。

さらに、マーチという言葉と並列させることで、(マーチは行進曲という意味になる)未来に向かって行進する歌、というニュアンスが浮かび上がる。

サビではそんなニュアンスに全面に出すが如く、未来に向けての行進するイメージを強く与えるかのように「いこうよ」というフレーズを何度も繰り返すのである。

また、1.2番のAメロで「止まっている秒針」を描写することで、今は未来に進むことに怯えて、次の時間(未来)に進むことができていない君の姿を印象づける。(あるいは過去のイメージに縛られた未来へのアクションを起こすことができない印象を与えている)

天体観測では、イマを生きる自分が、ほうき星を描いた過去の自分ともう一度出会うための歌であり、<過去を回想する歌>だと僕は解釈している。

天体観測をリリースしてから17年経ったBUMPは、ある意味で、あの歌詞に出てきた僕すらも、もう君<過去の自分>になってしまった存在であると言える。

天体観測をリリースしてからも、予報外れの雨に打たれて泣き出しそうになったり、背が伸びるにつれて伝えたいことも増えていったり、宛名のない手紙も崩れるほど重なったりしたのだろう。

過去の自分はもうそこにいない。それでも、あの頃に夢見た「イマ」というほうき星を探して、次の時間を更新するために「望遠のマーチ」は作られたのではないか?

いこうよ、なんて、絶対に昔のBUMPなら使わないフレーズを執拗に使っているのも、安易には過去は振り返らない意志と、未来に進んでいく明確なる意志が見える。

そんなことを僕は感じた。

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冒険をした先に見つけたもの

「望遠のマーチ」において、これまでの人生のことを<嵐>という言葉で表現している。

嵐の中をここまでやってきたということを歌う歌といえば、「リボン」を思い出す。

「リボン」は今までにのBUMPの歌に出てきたフレーズやモチーフがたくさん出てきて、自ずとBUMPの過去作を想起させながらも、それでも、その先にあるBUMPの未来に想いを馳せることができる歌になっている。

「リボン」と言えば、2017年から2018年にかけて行ったPATHFINDERツアーの全公演で、本編のラストに歌ったナンバーである。

そうなのだ。

こうやって「望遠のマーチ」の歌詞を見ていくと、GOからリボンまでの軌跡を、PATHFINDERというツアーの軌跡を辿るような、そんな印象を与える歌になっているのである。

PATHFINDERを意味を調べると、「開拓者」「先駆者」なんて意味になるんだけど、最初、なぜこんなツアータイトルにしたのかピンとこなかった。

けれど、リボンを世に送り出して全国ツアーを出発したBUMPが、やがて「望遠のマーチ」という歌をリリースし、そしてPATHFINDERのツアー映像作品もリリースするというタイミングになって、なんとなくこのツアータイトルの意味や必然性みたいなものが見えてきた気がしたのだ。

あ、こういうことだったんだなーみたいな感覚。

過去を振り返りながら次の未来を進んでいく、という構造が明確にあったからこそ、ツアータイトルは「PATHFINDER」だったのだろうし、だからああいう選曲、ああいうセトリにしたんだろうなーなんて今なら思えるし(pinkieの解禁にも必然性があったように感じるわけだ)、そのツアーが終わって最初にリリースした歌が、過去に縛られて止まった時間を動かせないでいる君に対して、いこうよという言葉を用いて、次の未来を選ぶことを促す「望遠のマーチ」という歌をリリースしたことも、全てが繋がっているように感じるわけだ。

ところで、リボンでは「いく」という言葉は「行く」という漢字表記になっているが、「望遠のマーチ」では「いこうよ」は日本語表記になっている。

ことをわざわざ「事」と漢字表記しているのに「いこうよ」を漢字表記にしないのは、なぜだろうか?僕はそこにいちいち疑問を感じてしまう。

そもそも、「PATHFINDER」というタイトルのルーツは、アメリカ航空宇宙局(NASA) JPLがディスカバリー計画の一環として行った火星探査計画、マーズ・パスファインダーの総称から来ているそうだが、もともとは、メンバーが着地点のない宇宙について話しているときに出てきた言葉なのだとか。

宇宙というモチーフもBUMPにとっては切っても切り離せないものなわけだが、宇宙くらい遠いものを「望遠」すると考えたとき、「行こうよ」だとなんだが行動が具体的過ぎるから、もう少しニュアンスを弱めるというか、可能性に満ちたものにするため、平仮名表記にしたのだろうか?そんなことを思った。知らんけども。

ツアーのオープニングSEである「PATHFINDER」のラストと、望遠のマーチのイントロはおそらく繋がるように作られているし、そういう意味でも「望遠のマーチ」は「PATHFINDER」の先にある歌、と言えるのかもしれない。

間違いなく言えるのは、これがBUMPの最新のモードだということだし、この歳になっても新しいモードを想起させるBUMPってやっぱりすげえなーっていう、そういう印象を持った曲なのでした。

だから、何度もこの言葉を力強く言えるんだと思う。

いこうよ

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