BUMP OF CHICKEN「アンサー」歌詞の意味は?解釈と考察

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BUMP OF CHICKENの新曲「アンサー」がアニメ3月のライオンの主題歌に起用されている。

作詞:藤原基央

1番の歌詞について

・魔法の言葉~信じてる、について

音源を聴いて歌詞を書き起こした場合、漢字で表記しているのか平仮名で表記しているのかがわからず、それによってニュアンスが変わる場合があるものだが、今回はそのあたりは無視して、大筋の歌詞の意味を探ってみたい。

まず、藤君の歌詞の特徴はネガティブな言葉とポジティブな言葉をセットにして提示することで、それを強く感じさせる点である。

これはフレーズ単位に使われるし、歌詞の全体としても使われる手法である。

Bメロで出てくる「何だって疑ってるからとっても強く信じてる」は一見すると矛盾した言葉のように見えるが、この矛盾こそが藤君の歌詞がとっても「刺さる」ものになっているのだ。

実際、恋愛をして本当に人を好きになったことがある人ならわかると思うが、好きになればなるほどこっそりケータイを見てしまったり浮気を調査するようなことをしてしまう人が多い。

疑っているという行為は文字通り疑っているのではなく、自分の「信じている」という行為を混じりけのないものにするための作業であり、疑いを取り除くからこそ、本当に純粋な気持ちで信じられるようになるというわけだ。

まあ、それで裏切らるかどうかは置いておいて、疑うという行為と信じるという行為は表裏一体の関係であるというわけだ。

話は長くなったが、Aメロのフレーズをみていこう。内容をおってみる。

世界がモノクロに見える(嬉しいことも悲しいこともなかった)世界にいた主人公だったが、魔法の言葉に出会うことで生きることの喜び、世界で生きることの素晴らしさを知って、世界に色をつけることができるようになった。

世界に色をついたということは、生きる目標がでてきたわけであり、主人公はその目標に向かって歩くことを決心する。

しかし、世界の色がついたとはいえ、モノクロだったときの世界と「変わった」わけではなく、世界には辛いことや苦しいことはたくさんあるわけで、転ばないように気を付けなければいけない。

でないと、簡単にまた世界がモノクロの(要は絶望に近い感情で覆われる)ときの自分に戻ってしまうから。

けれど、夢を叶えるという選択をしたからには立ち止まらず進み続けなければいけない。

だから、主人公は歩き続けるわけだ。

Bメロにある、本当の声とは「俺はあの夢を叶える」とか、そんな夢とか目標を目指すという本音ということだろう。

そういう本音に従って進んでいけば、きっと間違いはないと背中を押すわけである。

陽射しをつかむ、とは夢をつかむと同義だと思われるが、それができるはずの手が冷たかったから、転ばないように気を付けてね、と心配をしている。

たぶん、この歌の主人公は頑張り屋さんだから、そんな言葉をかけるのだろう。

虚勢の裏側には不安もあるわけで、堂々としているように見えても不安で手が冷たくなったりするわけだ。

ところで、誰がこの主人公に「気を付けてね」と言っているのだろうか。

・心臓が動いてる~僕だけわかってる わかってる、について

このフレーズは倒置法が使わっている。

君が持っているのは確かな理由である。

どんな理由かというと、
1・心臓が動いている=生きていること
2・吸って吐いてが続くこと=呼吸をすること=生きていること
3・心がずっと熱いこと=松岡修造のようになっている=夢に向かって一所懸命になっている

である。

君は夢を叶えるために頑張っており、そのために全力で生きている、そんな理由をちゃんと持っている、という意味合いになる。

そして、サビの後半は君がその理由を「どのように」持っているのかの話になっている。

1・雲の向こうの銀河のように=かなりと遠い距離にある
2・どっかで失くした切符のように=普段は気にも留めないし、あれ?そういえばどこやったけ?ってなる感じ。つまり、そんなに意識的じゃないということ
3・埋もれる前の歴史のように=埋もれたらそれはそこに確かにあったはずなのに、なかったことにされるわけだ。夢も叶えようと一生懸命になっているときは大事なものとしてそこにあるが、一度諦めてしまえば、若気の至りとされて「燃えるゴミ」とされてしまう。本当はそこにあったのに、なかったことにされるわけで。

というわけで、まどろっこしい言い方をしてしまったが、君が全力で生きている理由は夢を叶えるためであり、その夢をかなえる理由は、おぼろげであり、あるはずなのになかったことにされるかもしれないほど危ういものではあるけれど、そこに確かにあるもの、というニュアンスになる感じだろうか。

まあ、色濃く理由を持っているわけではない、ということはとりあえずわかるのではないだろうか。

ひとつ気を付けていなければならないのは、「僕」と「君」の使われ方である。

君が理由を持っているのはわかったが、それをわかっているのは僕であると歌詞に書いてある。

君がこの歌の主人公だとして、この僕というのは何者なのだろうか。

それについて意識的になりながら2番の歌詞もみていきたい。

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2番の歌詞について

・鈍く残った~こんなに怖くなるなんて、ついて

街という言葉が出てくるが、これは=心としてしまってもいいだろう。

鈍く残った痛みも仕舞ってしまった想いも全部自分の記憶の話であり、そういった記憶は滲むようにぼんやりとしていくが、完全に消えることはなく、頭の中に残るわけである。

そして、そんな忘れられない記憶が、感情とか性格とかを作っていくわけだ。

そういうものを「街」と表現しているのであり、それは心という言葉に言い換えても間違いはないであろう。

一番でも出てきた「魔法の言葉」というものが具体的に何を指すのかは言明されないが、ポジティブな言葉、自分の心を支えてくれる言葉、自分の世界を変えて前向きにさせるような言葉であることは想像がつくであろう。

そして、藤君がプラスの意味で使うときの代表格である言葉である「虹」という単語がここで登場する。

主人公は虹にたどり着こうとしているということは、着々と夢に向かって進んでいけているということを意味している。

ここで出てくる「気を付けて」はテニスの王子様の手塚部長の口癖である「油断せずにいこう」に近いものがあるように思う。

嬉しいけど怖くなるというのは、逆説というよりも、その嬉しさを表現するための表現法であるように思われる。

失くしたくないものを具体的に示さないのは、聴き手にそれを委ねているからだろう。

・想像つかない~迷わない、について

想像つかない昨日というのは少し違和感のある表現ではあるが、今の生き方によっては過ぎた時間の意味すらも変わるわけであり、そういうニュアンスを含めた表現なのだと解釈してみる。

しんどかった過去も成功した未来があれば、ああいう苦しい過去があったからこそ今の自分があるんだ、みたいにポジティブに振り返ることができるようになるという感じ。

涙というのは嬉し涙とか悔し涙とか悲しみとか色んな感情を織り交ぜたものであり、その涙の尊さは簡単な言葉では示すことができないからこそ、色んな比喩を繋ぎ合わせることで、その涙の奥深さ、複雑さを表現しているわけである。

小さな肩が震えるけど、それでも笑うというのは、夢に向かって進んでいてもなお、不安と勇気が入り交じった何とも言えない不安定な感情を表現しているわけである。

常に人の感情は流動的で、さっきは笑っていても途端に悲しい気持ちになったりすることもあるわけで、それは思春期であればあるほど強くて(なのに、それをアラフォーになるはずの藤君が書いているんだから凄いのだけど)、そういう一言でなかなか表現できない感情の動きを色んな比喩や単語を用いて、なんとか表現しようとしているのが伝わってくる表現である。

最後のサビについて

夢を目指す理由は砂漠の粒のひとつのように、消えてく雨のひとつのように、おぼろげで危ういものかもしれないけれど、たしかに今目の前(心の中?)にあるのは間違いないことを宣言しているのである。

もらった名も知らない花のように、というのは、目の前にあるというのはちょっとした比喩表現であり、それは心の中に話なのだけれど、心の中に花を宿すように(これはハルジオンとかの歌詞を参照にすればわりとすっと入ってくるのではないか)、夢を叶える理由も確かに心の中にあることを伝えるのである。

で、気になるのは「離れない」というフレーズである。

これはおそらく僕と君のことだと思うのだが、結局、こいつらは何者なのか。

ここで、この歌のタイトルが「アンサー」であることが頭に浮かぶ。

「アンサー」とはAnswerであり、その意味は応答である。

これは僕から君に、そして君から僕に対する応答の歌なのだ。

そして、色々とフレーズを並べてきたけれど、社会とか世界とかの外の話ではなく、心とか想いとかの内面の話をずっとしてきたことが思い返される。

そうなのだ。

僕と君はある意味で同一人物であり、両方とも聴き手の内面の中にいるものなのだ。

この歌はどっちがどっちというのではなく、心の葛藤がテーマだからこそ、自分の心というものを2人のキャラクター(僕と君)を登場させて会話(アンサー)させることで、内面というものをより鮮やかに描こうという試みなのである。

この歌詞がそもそもおぼろげで危ういことしか書いておらず、具体的なことはあえてなにひとつとして説明されない。

けれど、歌詞が聴き手の中に入り込んで語り掛けるわけである。

このフレーズ、この歌を通して聴き手が感じたこと、それこそがまさしく「アンサー」であり、この歌を聴いて、感じたことそのものが「わかってる」ことになるわけだ。

この歌詞の構造そのものが、藤君から聴き手へのメッセージになっており、僕と君の関係はまさしくそのまま当てはまるわけである。

だから、君(この歌の歌詞=藤君)にはわからないけれど、僕(この歌の聴き手)にしかわからないわけだ。

けれど、この歌詞に対するアンサーは僕と君がいるからこそできるものである。

そして、この歌詞(魔法の言葉)を通じて、生じた感情や想い(確かな理由)を信じて迷わずに進めば、やがて虹にたどり着けるのである。

主題歌である3月のライオンにも、きっとそのテーマは通ずるはずだ。

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