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欅坂46の新曲「二人セゾン」。

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色々と挑戦的な楽曲や衣装で話題を集める彼女たち。

今回もMVと合わせてみると、なんだか意味深だったりして。

というわけで、その意味を考察してみたいと思う。

1番の歌詞について

セゾンという言葉はフランス語で「季節」という意味です。

っていうのは、たぶん僕のブログまでわざわざ覗くような人ならとっくに知りえた情報のような気がするけれど、一応の説明。

なぜ「シーズン」ではなく、「セゾン」という言葉を使ったのか、はっきりとしたことはわからない。

メロディーを考えると「セゾン」という言葉がしっくりきたからなのかもしれないし、「セゾン」という記号のように感じる言葉が良いと思ったからなのかもしれないし、それ以上にもっと深い意味があるのかもしれないし、実は意味なんてまったくないのかもしれない。

真相はこの歌詞を作詞した秋元康さんに訊いてみないとわからないけれども、僕にそのようなチャンスがくるはずもないので、とりあえず結論は保留にしておこう。

ポイントなのは、なぜ「季節」という意味の言葉を使ったのか、ということである。

この歌詞には二人の登場人物が出てくる。

僕と君である。

二人が結局のところどれだけの時間を一緒に過ごしたのかはわからないが、春夏で恋をして(そして付き合うことになったのだろう)、秋で喧嘩して冬で別れてしまったということはわかる。

そして、二人はたぶんその別れを後悔していないということもわかる。

どうしても、彼女たちのデビュー曲である「サイレントマジョリティ」の歌詞や、ナチスの礼服と似たコスチュームを着ていたことが世界的に物議を巻き起こした彼女たちなので、今回の歌詞にも何らかの風刺性や、ある種の批評性があるのではないか、と期待していた人からすると、少し拍子抜けしてしまうような歌詞かもしれない。

なんだ。ただの恋愛ソングかよ、と。

果たしてその解釈は妥当なのかどうか、歌詞の続きをみてみよう。

道端の雑草にも名前があるというのは、どんな人やモノにも名前があり、それぞれが「自我」が持っていることを示しているフレーズである。

名前も知らず、存在にすら気づかないような人たちがいることで、この世界は成り立っているし、自分の生活があるんだ、ということを予感させるフレーズである。

自分の食べた晩御飯のおかずに入っていたニンジンを作った人の名前なんて知らない。

でも、そんな名前の知らないたくさん人に支えられて誰しもが生きているというわけである。

僕は他人に自分の心を踏み込ませない人だったことがわかる。

話すことが面倒なので、理解してもらう努力すらしてこなかった人間なのだろう。

だけど、君はそんな僕のことすらも心を開かせたわけである。

どうやって?というのが気になるところであるが、とりあえず歌詞の続きをみていこう。

日本語訳は、「あなたは今何をいった?」となる。

これは、今太陽が昇っていない=今が辛い、ということを意味する表現。

大事なのは、未来が明るくなってから大切な人に出会うのではなく、辛い今の間に大切な人に出会えるよ、ということ。

もっと言えば、大切な人に出会えるからこそ、今が辛くなくなり、未来が希望に満ち溢れたものになる、ということでもある。

末尾の、「愛を拒否しないで」という願いは僕のイヤホンを外した君のものだろうか。

ここのサビでは、二人セゾンではなく、君はセゾン、という言葉に変わっている。

「君は季節」とは意味深なフレーズであるが、君は変わっていくものという風に解釈しなおしたら、わりと捉えやすいのではなかろうか。

僕と君との関係が変わるのは、君の心が変わるからだろうし、君の心が変わるということはおそらく外見だって変わっていっているはずである。

生きるとは変わること、というフレーズとも繋がってくる。

ずっと同じであり続けるものなんてないのかもしれない。

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2番の歌詞について

では、歌詞の続きをみてみよう。

風の香りをかぐ余裕もないくらい現代人はあくせくと生きていることを示す表現であるとともに、そもそも僕は風吹く街に居さえしていなかったのかもしれないことを予感させるフレーズである(だから、距離についても言及するわけだ)。

このときの僕は引きこもっていた可能性も大いにありうるというわけだ(根っからの引きこもりなわけだし)。

これは一番でてきたイヤホンの件のフレーズと同じことを言及しているように思われる。

半径1メートルの見えないバリアとは、心の話であろう。

君が僕を連れ出してくれたというのは、心の話であることがよくわかるフレーズだ。

日本語訳にすると、あれをしたのはなぜですか?という意味になる。

目の光が重なるということは見つめ合っているということだろうか。

季節があるから一年は作られるわけで、そのどれが欠けてもいけないわけだ。

ただし、これは何かの例えである可能性が高い。

一体何だろうか。

君は季節であるため、僕に希望を与えることもあれば、儚く切ない気持ちにさせることもあるわけである。

Cメロについて

想像力の大切さを教えている場面。

心の窓を開けないと夢を見ることができないことを伝えている。

だから、君は僕の心を空けて、別世界に連れ去ったということだろう。

さて、「春夏秋冬生まれ変われる」とはどういうことだろうか。

しかも、それは君に教えられたという。

どういうことだろうか。

最後のサビとまとめ

最後のサビであるが、君はセゾンという言葉が、二人セゾンという言葉に一旦変わり、最後は僕のセゾンという言葉に変えられて、この歌は締めくくられる。

これはどういうことだろうか。

君は変わりゆくものであるとともに、他人を変える力ができる存在であることが歌詞で描かれている。

「君はセゾン」というフレーズがそのことを集約しているように感じる。

そして、僕は君に出会って、色んなことをして色んなことを感じたのだろう。

二人のそんな歳月のことを「二人セゾン」というフレーズで表現しているように感じる。

そしてそれによって、僕は「変わった」のだろう。

結果として、どう変わったのかについては歌詞に示されていないけれども、変化があったことは間違いないわけで、その変化していく馴れ初めが全体の歌詞になっているわけだ。

心を閉ざしていたのに、君と出会ったことで、開いたのだから。

この一連を「僕のセゾン(僕の変化)」と称しているのではないかと個人的に思うわけだ。

さて、幾つか放置した歌詞解釈の意味を考えていくとともに、最後の疑問である僕と君とは誰なのかということについても考えてみたい。

単刀直入に言おう。

これはアイドルとファンについて歌った歌、もっと言えば、欅坂46とそのファンの歌なのではないかと思うわけだ。

つまり、アイドルが出会うまで誇れるものが何もなかった人が、アイドルと出会うことでそれに夢中になりそれによって人生が輝くものになり、やがてそこから卒業していく、という話なのではないかと思うわけだ。

アイドルにはたくさんのメンバーがいる。

暖かい季節のように光をたくさん浴びるメンバーもいれば、寒い季節のようにすぐには日の目を見ないメンバーだっている。

アイドルグループとはまるで、季節のようであるというわけだ。

けれど、メンバー一人ひとり個性があって、グループがグループとしてあるためには一人も欠けることはできないわけである(まあ、卒業があったりするからまあアレなんだけども)

そして、春夏秋冬が生まれ変わるとは、最初は日の目を浴びなかったあの子がいつの間にかセンターの舞台にたつように、冬だと思っていた人がいつしか夏に変われるんだということを示す表現なのである。

もちろん、それは自分の人生という単位に置き換えても同じことが言えるとのかもしれない。

初めて感じたときめきはそのグループと初めて出会ったときの衝動であろうし、思い出はカレンダーなのは、楽しかった記憶はすぐに過去になってしまうこと、そして過去の思い出にしなくてはならないことを示唆する表現なのである。

ずっとアイドルにはまっていてはいけないわけだ。

君もいつかはアイドルファンを卒業しないといけないよという、アイドルが歌うにしてはとても逆説的に感じるメッセージがこの歌には込められているように感じるわけだ。

なにより、君がずっと好きだと信じているアイドルは、すぐに変わってしまうこと(それは人気が出るということもあるだろうし、恋愛していないと思っていたら彼氏を作って結婚してしまうということもあるだろうし、芸能界をそもそも引退する可能性だってあるというというわけだ)

そう、アイドルだって変わるわけだ。

君=アイドル=変わる。

僕=ファンは、アイドルと出会ったことで生活を輝かしいものにしたのだろう。

イヤホンを耳にしたり、バリア張ったりしていた内面世界を壊すように、アイドルが僕をわくわくさせる世界を連れ出してくれた。

けれど、ずーとそれではいけないわけだ。

春夏に出会ったならば、秋冬にバイバイをするように、どこかのタイミングでアイドルに必要以上に肩入れしてしまう生活から卒業しなくてはならない。

思い出をカレンダーにする覚悟をもって、卒業しろ、というわけだ。

だから、二人セゾンから僕のセゾンというフレーズで歌詞を締めくくるのだ。

この歌は恋愛を歌った歌なのではなく、アイドルとの疑似恋愛に酔いしれて抜け出せなくなりそうな人のお尻を叩くための歌である、とも言えるのではないかと思う。

要はファンを批評した歌で、ファンが盛り上がるという、逆説的な光景を秋山は描きたかったのてまはなかろうかとそういう妄想である。

以上、「二人セゾン」の歌詞の意味・解釈なのでした。

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