桑田佳祐「君への手紙」歌詞の意味は?解釈と考察!

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桑田佳祐の新曲「君への手紙」。

この歌は内村光良が監督を務めたことでも話題になっている映画「金メダル男」の主題歌でもある。

この歌詞にはどんな意味が込められているのか考えてみたい。

ちなみにタイトルにある「手紙」という単語は歌詞中には出てこない。

というのも、実はこの歌は内村光良が桑田佳祐に主題歌のオファーをしたことにより、書き上げられた歌なのだが、内村はこのオファーを電話やメールではなく、直筆の手紙でその旨を伝えたとのこと。

内村は桑田のメル友でもあるので、メールでも連絡できる間柄なのだが、内村は桑田の大ファンであり、自分の映画に主題歌というものがあるなら、ぜひとも桑田にお願いしたいという想いが強く、その想いの強さを少しでも表現できたら、ということで直筆の手紙でメッセージを送ったとのことである。

ちなみに、桑田はそれに対して、返事をよこした。

それは手紙ではなく、ひとつのデモテープだったそうだ。

それがこの「君への手紙」なのである。

デモテープでは完全にギター一本の弾き語りだったとのことで、それがベースになっているため、この歌のアレンジはアコースティックギターを主軸にしたシンプルなものとなっているのだ。

なので、まさしく内村に対する「手紙」としてこの歌が作られたとも考えられるわけだ。

それを踏まえて、歌詞を考えてみたい。

作曲:桑田佳祐
作詞:桑田佳祐

空を眺め佇む~ない船を漕ぐ

羽のない鳥というのは比喩である。

ただ、わかるのは羽がないということは、この鳥は飛べないわけで、飛べないということは相当な不自由であり、辛い状況であるということである。

空を眺めているということは、飛ぶこと自体には未練があり、まだそこまで割り切れていないことがわかる。

でも、もう飛ぶという選択ができないこの鳥は、水のない川で進むことを決心するわけだ。

足がないから、船に乗って進むのである。

ちなみに櫓とは、人力で船をこぐための装置で、オールのようなものを船にくっつけているやつ、みたいな認識をしてもらえればいいかと。

キミはいつも~旅をする

タイトルの「君」は漢字なのに、歌詞の「キミ」はなぜカタカナなのか。

この後に出てくるボクも含め、歌詞に出てくる代名詞は一貫してカタカナで表記している。

さて、飛べない鳥=キミなのかは微妙なところであるが、辛い現実があるけれど、それをなんとなく受け入れながら次の行動にうつる、という意味では羽のない鳥もキミもやっていることは似ているように思う。

通底するものがあるのは確かだ。

波音に消えた恋~振り向けば道がある

ここも述べている構造は前述のパラグラフと似通っている。

ただし、ここのフレーズは明らかにメッセージ口調になっている。

誰の視点の、誰の言葉となるのだろうか。

だからボクが~歌がある

ここで、ボクが登場。

これにより、先ほどのフレーズはボクの言葉であることがわかる。

さて、ボク=桑田佳祐

キミ=聴き手

というふうに捉え直せば、わりと意味が通じる。

手紙というタイトルである以上、発信者から受け手へのメッセージとしての色合いが強いことは間違いないし。

でも、それならばなぜ、代名詞はカタカナにしたのだろうか。

おそらくは、この登場人物たちに匿名性を与え、誰を代入してもいいようにしたかったからではないかと思う。

特定の誰かではなく、この歌を聴いてる顔も形もわからないあなたへの「手紙」にしたかったのではないかというわけだ。

次のフレーズをみてみよう。

サビである。

いとし Brother, sister,~まぁバカが集まったな

いとしは平仮名だが、漢字にすれば「愛し」になる。

なぜ、ここを平仮名にしたのかも気になるところ。

サビでは「男」という言葉を使うことで、匿名性のあったはずの主人公の存在を浮き彫りにさせるわけだが、これは映画のストーリーともリンクさせるための歌詞であるように感じる。

なにより、内村光良という存在を意識して書いたフレーズのようにも見えるわけだ。

映画まで作るなんて凄いじゃん!おめでとう!っていうのがどうにも恥ずかしかった桑田佳祐は、あえてこんなぼかした表現をしているが、内包している意味は「内村おめでとう」なのではないか、というわけである。

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二番である。

重い荷物降ろして~実りの秋が来る

一番では辛くても進み続けることについて歌い、二番では休みたいときは休もうということについて歌う。

季節だって変わるように、自分のやる気スイッチもたまには切り替えてみてはどうか、とメッセージを送っているようにみえる。

キミとボクは~生きている

キミにとって、ボクは成功者のようにみえるが(特にボクを桑田佳祐と考えれば、その感じ方はより強くなるだろう)、空からみればボクもキミも同じであること、そして「同じような生き方」をして「同じものに対する憧れ」を抱いているのはボクもキミも同じであり、それゆえ、キミが辿り着く場所も「ボク以上に良い場所」であるはずだ、というようなことを伝えているのではないか。

ボクが特別ではなく、キミが特別でもない。

ボクもキミも同じだから、ボクもキミも最終的には同じような場所に辿り着くはずだ、というわけである。

昔 Brother, sister,~涙の味もおぼえたよ

急に「ラジオ」というフレーズを登場させることで、この歌はファンタジーではなく、現実を歌っていることを強調させる。

そして、ここからほんの少しを哀愁を滲ませるのは、桑田佳祐が還暦を過ぎた所以だろうか。

歌を通じて、そして恋愛を通じて、色んな人生経験をしたこと、それを糧にして今も生きてきていることを匂わせるフレーズである。

エンヤートット エンヤートット…~集まったな

Brother, sister, mother & fatherという言葉を使っているが、要はこれはキミだけじゃなくてキミが知っている人はみんなそうだよ、みたいなニュアンスで使っているように思われる。

サヨナラと出会いの繰り返しの人生(それは人のことだけではなく、夢や希望や憧れなんかのことも含んでいると思われる)だけど、どうせサヨナラするんだから、、、と失望するのではなく、勝負の場面では一度時計の針を止めるように、しっかりと考え動くべきであることを伝えるわけだ。

夢をおって調子こいた男の周りにも人(仲間やら家族やら)がいるように(これは内村光良を指しているようにみえる)、ひとつひとつ信じたことを貫くことは間違いではないことを改めて強調するわけである。

ところで、歌詞は「キミ」であった理由は、ここに誰でも代入できるように匿名性を担保したかったからであったように思う。

そして、タイトルは「君」にした理由は、この君ははっきりと一人の人物を思い浮かべ、桑田が考えたからではないかと思うわけだ。

内村光良。

ここに差別化をはかることで、デモテープにはメッセージを添えなかったのではないかとふとそんなことを思うのでした。

内村への私信をより、広いリスナーに届くようにメッセージを落とし込んだのが、この歌の正体ではないか、というのが個人的な解釈の結論となる。

以上、「君への手紙」の歌詞の意味は?についてなのでした。

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