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星野源の「Family Song」について書いてみたい。

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作詞:星野源
作曲:星野源

歌詞

目が覚めてよだれを拭いたら
窓辺に光が微笑んでた
空の青 踊る緑の葉
畳んだタオルの跡

救急車のサイレンが胸の糸を締めるから
夕方のメロディに思い乗せて届けてくれないか

ただ 幸せが一日でも多く側にありますように
悲しみは次のあなたへの橋になりますように

遠い場所も繋がっているよ

出会いに意味など無いけれど
血の色 形も違うけれど
いつまでも側にいることが
出来たらいいだろうな

遠きビルに日がはねて帰り道を照らすように
街頭のメロディに祈り乗せて届けてくれないか

ただ 幸せが一日でも多く側にありますように
悲しみは次のあなたへの架け橋になるように

あなたはどこでも行ける
あなたは何にでもなれる

ただ 幸せが一日でも多く側にありますように
悲しみは次のあなたへの橋になりますように

微笑みが一日でも多く側にありますように
涙の味は次のあなたへの橋になりますように

遠い場所も繋がっているよ

テーマは家族だけども

星野源本人も「家族」をこの歌はテーマにしているというこの歌。

確かに聞けば「家族」をテーマにしていることがわかるが、その内実はその辺の家族賞賛ソングとは違う。

少なくとも、お母ちゃんこれまで育ってくれてありがとう、とか、お父ちゃんいつもお勤めご苦労様とか、おじいちゃんこれからも長生きしてね、とかそんなくだらない話は一切しない。

この歌は、一般的な「家族」という人間関係のあり方に疑問を呈し、疑問を投じているように見えるのだ。

既存概念に対するある種の「反発」の姿勢は、前作「恋」でも同じだった。

「恋」という作品では、恋というものは男女の間でしか芽生えるものではないということをメッセージとして伝えた。

同性であっても、年齢が離れていても、あるいは人同士じゃないとしても、恋というとのは生まれ、育まれるものであることを主張したわけだ。

そして、色んな形の恋があることを示したたうえで、恋という築き上げた関係は「夫婦超えていくのだ」とまとめることで、恋という関係の無限の可能性を提示したわけである。

この辺りの細かい解説は別記事に書いているので、興味があれば、こちらから!飛んでみてくださいな。

ちなみに、恋って男女間のものでしょ?という一般的な価値観に対して反旗を翻したのは、恋が主題歌だったドラマ「逃げ恥」も同じだった。

最終話では、それが克明に描かれていた。

恋や夫婦の形は多種多様なのであるということを提示した星野源が次にテーマにしたのは「家族」だったわけだ。

家族ってこういうものでしょ?という一般的な価値観に対して、「いや、こういうケースもあるんじゃないでしょうか?」と、はっきりとNOを突きつけるような意欲作になっている、と個人的には感じるわけだ。

それは歌詞だけでなく、この歌のMVにも現れている。

星野源はあえてお母さんという、普通なら女性が演じる役を演じているし、全キャストが別の性別の役柄を演じている。

元ネタは「お源さん」というNHKの番組である。(バラエティー系音楽番組みたいな体裁の番組だった)

同MVに出演している高畑充希、藤井隆もお源さんの時と同じ役柄なので、NHKの番組のノリをそのままMVにスライドさせただけ、というふうに見えるかもしれない。

が、これは一般的な家族観はもう古いものであり、21世紀の今、色んな形の「家族」があるんだよ、という告発にも見えるわけだ。

少なくとも、「源さん、お母さんになってる、かわいい!!」だけでスルーするような事象ではないように思う。

今の世の中、男の人がお母さんになることだって大いにあり得るし、そういう可能性を認められる社会であるべきだ、という考えがあるのだと思うのだ。

「恋」の話に繋げるならば、仮に同性婚をして、養子で子供を貰えば、男のお母さんが誕生するわけだ。

今の世の中なら男のお母さんというあり方には偏見が付きまとうと思うが、そういう偏見を持つ考え方が古いのではないか?もう21世紀になって15年以上過ぎているのに、未だに20世紀の価値観に縛られるのはどうなのか?仮にも先進諸国と呼ばれているこの日本で。

と訴えかけているように感じるわけだ。

また、この歌が主題歌となっているドラマ「過保護のカホコ」でも、既存の家族観に対して「反発」する設定がいくつか見受けられる。

例えば、血縁関係のない「家族」の登場がそのひとつだろう。

これは、家族と呼ぶ定義は「血の繋がり」にしかないのか?という疑問の提示である。

先ほどの話とも繋がるが、例えば養子をもらうとなれば、その親と子には血の関係性がないわけだ。

けれど、そこに深い愛情があれば、血の繋がっている同士の家族よりも、よっぽどか家族らしい繋がり・結びつき生む可能性だって大いにあるわけだ。

こういうのが家族なのである、という普遍的な考え方は古いものであり、人と人との関係性はもっと無限大の可能性があるとともに、そんな単純に割り切れるものではないことを、この歌は告発するわけである。

要は、20世紀に支配的だった家族観に対して、疑問を呈すような構造をとっているわけだ。

何がすごいって、こんな批評的な歌を、今日本で一番売れている男性ソロアーティストであり、=ポップスの王道をいくべき担い手である星野源が作っていることであり、聴き手は逆にそれをポップスとして何食わぬ顔で消費していることにある。

アウトローを自称するラッパーよりも、ホリボテなのに一丁前にパンクスを名乗るロックバンドよりも、「人と違う」と称しつつもベタベタな路線を邁進するメンヘラ系なんちゃって女性シンガーよりも、よっぽどか「反抗的」な歌を作っている。

この歌は、既存の価値観に中指をたてるようなとんでもない歌なわけである。

人と違うことをしたいと宣い、結果、人と同じようなはみ出し方しかできていないアーティスト諸氏は、マジでこの歌を聴いて反省するべきだと思う。

自称アンダーグラウンドこそが量産型になっている只中で、星野源は間違いなく己の道を進み続けているのである。

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はみ出しているのは歌詞だけじゃない

とはいえ、ポップスという体裁をとっている以上、音の部分はベタベタなんでしょ?とお思いの皆さん。

この歌は日本音楽史に残るような変態サウンドのオンパレードなのである。

まさに変態のバーゲンセールなのだ、マジでこれ。

一番の特徴は打楽器にドラマを使っているのに、一切シンバルの音を入れていないことだと思う。

一切シンバルを入れていないシングル曲、というのは過去にもそれなりにあるが、その場合、普通はドラムそのものを使わない。

が、この歌はドラムは使うくせに、シングルの音は入れないのである。

これを変態と言わずして、何と言えようか。

で、話を歌詞の話に戻すと

この歌って「Family song」と言いながら、家族の話はほとんどしていないのも特徴だ。

だから、この歌の主人公が何人家族であり、家族の中でどういう立場の人間なのかがすごく分かりづらい。

普通の家族の歌なら、自分は父親なのかとか、息子なのかとかを明らかにして、その関係性を歌うのに、この歌はそれを回避しているのだ。

そこを探るポイントはふたつある。

それは、冒頭の「畳んだタオル」というフレーズと、「救急車のサイレンが胸の糸を締める」というフレーズである。

起きたらタオルが畳まれているということは、一人暮らしではないと思う。

しかも起きたのが昼間とすると、この人は働いてないか、夜勤の仕事をしているのかのどちらかとなる。

救急車の音に敏感ということは、死を意識しているということであり、親族が病気で亡くなったことがトラウマなのか、持病をもっているため、救急車の音が他人事ではないかのどちらかの可能性が高い。

となると、この人は定年退職してヒマを持て余しているおじいちゃん(あるいはおばあちゃん)であり、わりと重い病気を抱えているから、(あるいはパートナーが悪い病気を抱えているから)救急車の音に敏感になっている、と考えることはできないだろうか?

そもそも「血の色 形も違うけれど」「いつまでも側にいることが出来たらいいだろうな」というフレーズだって、一般的な家族関係に落とし込めば、夫婦のことを指している可能性が高い。(家族の中で血が繋がっていないのは夫婦なわけで)

また、「メロディーを祈りに乗せて届けてほしい」というフレーズがあるが、主人公はどこに届けてほしいと望んでいるのだろうか?

それは、サビの末尾にある「遠い場所」なのだと思うのだ。

じゃあ、遠い場所ってどこだろうか?

例えば、それは天国と考えたらどうだろうか?

天国に想いを馳せるのは何故なのかと考えたら、それはパートナーが亡くなったからだろうし、大切な人が亡くなるという経験をしたから、救急車の音をきくと胸の糸が締め付けられてしまうのだ。

あなたはもう死んでいるからこそ、「どこでも行ける」し「何にでもなれる」のだ。

死んだからもう本当は感情なんてないのかもしれない。

それでも、相手の笑顔が1つで多くあることと、悲しみが次のステップに繋がるものであることを祈る主人公。

どれだけ離れていてもその人のことを想うというその気持ちこそが家族を繋げる「絆」なのであり、その「絆」があれば、仮に血が繋がっていなかろうが、男のお母さんであろうが、死んでしまってもう二度と会えなくなっていようが、間違いなく「家族」なんだよ、ということが主張したいのではないか?なんて思うわけだ。

夫婦を超えていけ、と歌ってみせた星野源は、家族の価値観すらも超えるような歌を作ってみせた、そういうことなのだと僕は思う。

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