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星野源の新曲「恋」。

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ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌であり、10月5日に発売されたこの楽曲。

今回はその歌の歌詞について考えてみたい。

作詞:星野源
作曲:星野源

営みの街が
暮れたら色めき
風たちは運ぶわ
カラスと人々の群れ

意味なんかないさ
暮らしがあるだけ
ただ腹を空かせて
君の元へ帰るんだ

物心ついたらふと
見上げて思うことが
この世にいる誰も
二人から

胸の中にあるもの
いつか見えなくなるもの
それは側にいること
いつも思い出して
君の中にあるもの
距離の中にある鼓動
恋をしたの貴方の
指の混ざり 頬の香り
夫婦を超えてゆけ

みにくいと
秘めた想いは色づき
白鳥は運ぶわ
当たり前を変えながら

恋せずにいられないな
似た顔も虚構にも
愛が生まれるのは
一人から

胸の中にあるもの
いつか見えなくなるもの
それは側にいること
いつも思い出して
君の中にあるもの
距離の中にある鼓動
恋をしたの貴方の
指の混ざり 頬の香り
夫婦を超えてゆけ

泣き顔も 黙る夜も 揺れる笑顔も
いつまでも いつまでも

胸の中にあるもの
いつか見えなくなるもの
それは側にいること
いつも思い出して
君の中にあるもの
距離の中にある鼓動
恋をしたの貴方の
指の混ざり 頬の香り
夫婦を超えてゆけ
二人を超えてゆけ
一人を超えてゆけ

以上である。

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この歌が主題歌となっているドラマは新垣結衣と星野源が主演として出演しているわけだが、とにかく新垣結衣がかわいいよね、って感じのドラマであり、星野源とその主題歌はわりと二の次だよなーみたいなテンションに個人的にはなったので、歌詞についてあんまり考えてなかったんですけど、そろそろマジメに考えてみたいと思うわけです。

で、音楽誌である「ロッキン・ジャパン」なんかの星野源のコメントをみてみると、この「恋」という歌は、若い男女のカップルだけではなく、もっと広い射程の色んな「二人」に届いてほしいという想いで書いたんだ、みたいなことが書いてたりして。

それを踏まえて、勝手に歌詞の意味について考えてみたいと思う。

さて、冒頭で「営みの街」とはフレーズが出てくる。

実にまた微妙な言いまわしをしているが、要は社会人は仕事に、学生は学校にいってる時間帯、要は昼間の街のことを指しているわけだ。

それが暮れて夕方になるから、次のフレーズでは不意に「カラス」という単語が出てくるのだ。

「物心〜」のフレーズは、どんな人であっても男女のふたりの間から生まれた命であり(そして、その二人がそこまでの関係を築きあげてきたのは往々にして恋の役割が大きい)、いま、自分が築いている僕と君の関係もいつかはそういうものになるのかなあ、と想いを巡らしているのである。

サビでは、恋という衝動の感情は、その相手と長い時間一緒にいればいるほど薄まっていくものであり、逆に二人の間にちょっとした距離が生まれると、その距離に恋の感情を自覚するものだ、と明言するのである。

自分の中にある恋という衝動と、相手の中にきっとあると思われる「恋と思われる感情」、そのお互いの感情の距離を泳ぐ営みこそが、まさしく恋を愛に育む行為であり、恋愛とはまさしくそういうものであるいうわけである。

あなた、という言葉を「貴女」ではなく、「貴方」という言葉を使うことで、この歌は女性目線であることを予感させて、一番は締めくくる。(以後のフレーズで語尾に〜の、とか、〜ね、とか。使うことでその可能性をより強固なものにさせている)

2番の冒頭は、みにくいという感情について歌う。

恋という感情は、時に人を嫉妬させたり独占欲をむき出しにさせたりで、決して綺麗なものではない。

けれど、色づいて「愛」に変わる頃には相手のことをなによりも想う尊い想いになっているという話。

誰でも自分が一番大切なのがあたりまえだと想うが、愛が芽生えたらその価値観は変わり、本気で自分の命より相手の命が一番大切だと思うようになったりする。

あたりまえが変わる瞬間である。

そして、星野源が巧みなのは2番のBメロ「恋せずには〜」のフレーズである。

このフレーズでは、恋は男女間だけではなく、似た顔や虚構(つまり、二次元やアイドルなんかも含む)にも生まれるといっているのである。

恋の感情が生まれるのは一人の内面からであり、恋の対象は色んなものや人、あるいは世代にありうることをここで明言するのである。

サビの末尾に出てくる「夫婦を超えていけ」というフレーズの真意は、まさにそれを反映しているのだ。

つまり、結婚した男女こそが最高の形ではないぞ、それよりも理想的で尊い恋の形なんていくらでもあるぞというのだ。

一人で生まれた恋だって、二人で育んだ恋だって、普遍的な「恋」を超えていけるというのはそういうことなのだ。

恋を超えるとは、それが愛に変わるということ。

愛については、2番の歌詞で述べたようなイメージ。

新垣結衣が踊っているのをみて、かわいいと思う人は多いし、それ恋する人が幾ばくかいるだろう。

ただ、新垣結衣を独占したいとか思ってれば、まだそれは愛の気持ちであり、彼女が幸せならそれでいい!みたいなレベルまで悟りを開いたら、それは恋から愛に変わろうとしているわけである。

そんなことまで考えさせるという意味で、この歌は本当の「恋の歌」なのだろう。

まあ、「夫婦は越えて行け」はドラマの二人の関係について言及したフレーズですよ、という指摘もごもっともだとは思うけどね。

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