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宇多田ヒカルの「Forevermore」の歌詞について書いてみたい。

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歌詞

確かな足取りで家路につく人が
溢れる大通りを避けて
壊れたイヤホンで耳を塞ぎながら
あなたの名を呟きかけた

あなたの代わりなんて居やしない
こればっかりは
裏切られても変わらない

愛してる、愛してる
薄情者な私の胸を
こうも絶えず締め付けるのは
あなただけだよ

Others come and go
But you’re in my soul forevermore
いつまでもいつまでも
いつまでもそうよ

友達は入れ替わり服は流行り廃る
私を私たらしめるのは
染み付いた価値観や
身に付いた趣味嗜好なんかじゃないと
教えてくれた

私の終わりなんて怖くない
もしかしたら
生まれ変わっても忘れない

愛してる、愛してる
一人きりが似合う私を
今日も会えず泣かせるのは
あなただけだよ

Others come and go
But you’re in my soul forevermore
いつまでもいつまでも
いつまでもそうよ

恋の後も
いつまでもいつまでも
最後の瞬間を待たずとも
これだけは言える

Forevermore
愛してる、愛してる
それ以外は余談の域よ
愛してる、愛してるのは
あなただけだよ

Others come and go
But you’re in my soul forevermore
いつまでもいつまでも
いつまでもそうよ

前置き

この歌は、長瀬智也が主演を務める『ごめん、愛してる』の主題歌であり、表題の歌はこのドラマのために書き下ろされている。

ということなので、当然ながらこの歌詞の意味を考えるうえでは、ドラマがどんなものなのかを抑える必要がある。

『ごめん、愛してる』のストーリーをざっくり掻い摘むと、母に捨てられこれまで誰にも愛されなかった悲運を呪い愛を求める主人公・律と、徐々に彼に惹かれていく凜華(吉岡里帆)、母の愛を一身に受け屈託なく生きるアイドルピアニストのサトル(坂口健太郎)、そして自分が産んだ律がそばにいることに気づかずサトルを溺愛する麗子(大竹しのぶ)の四者の関係を軸に綴られるラブストーリー、ということになる。

このドラマ、原作は韓国ドラマとのことで、「冬のソナタ」ばりに向こうではヒットしたドラマらしい。

「冬のソナタ」もそうだが、韓国ドラマといえば「実は兄妹だった!」とか「実は重い病気に罹っている!」とか「恋が実ったと思ったら突然の交通事故!」みたいなドラマティック(すぎる)展開が特徴的であり、加えて、アンジャッシュのコントのように、登場人物たちの「すれ違い(まくり)」もてんこ盛りである。

驚きとフラストレーションと、その解消をすることで、とにかく良くも悪くも飽きないストーリー運びをするドラマになりがちなのである。

で、この「ごめんね、愛してる」の韓国版もご多聞に漏れず、相当ドラマチックな展開の連続で、結末のどんでん返しもなかなかにエグイのだが、単純に韓国ドラマを日本で放送するのではなく、わざわざ日本版にリメイクするわけで、どこまでストーリーをそのままにするのか、あるいはどこを改変しているのかは、正直ドラマを観ないとわからないところである。

少なくとも、宇多田ヒカルは日本版のドラマの脚本を読んだうえで、この歌詞を書いたのだろうし、そういう意味では、まだこ フレーズごとのドラマとのリンク性は未知数な部分もある。

ただ、現時点で言えるのは、この歌は突き抜けたラヴソングであるということであり、過剰なまでの相手への依存をする主人公を描いたため、どこかメンヘラ的であり、どこか危ういダークな香りのする主人公が出来上がったということである。

さて、そんなことを踏まえながら、もう少し歌詞を細かくみていき、色々と考えてみたいと思う。

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歌詞の大まかな骨格

一言で言ってしまえば、この歌は「私はあなたを愛してる」ということを伝える歌である。

それ以上もそれ以下のメッセージもないわけだ。

色んなモチーフや言葉を使い、私はこんなにもあなたを愛してる、ということを表現している。

まず「確かな足取りで家路につく人」と、あなたという家路を失った私との対比をさせて、この歌は始まる。

あなたのことを暗に家路(2番では、あなたは私を構成するアイデンティティ)に喩えられる辺り、いかに私にとって、あなたが大切な存在であるかを浮き彫りにさせるとともに、幾らなんでもそれは言い過ぎでしょ、重たすぎるのではないか?私ってひどくメンヘラだね……感を色濃くさせている。

が、これは、このドラマの大風呂敷なラブストーリーに耐えうるようなラブソングにするためには、それくらい「重い愛」を歌わないといけなかったという話なのかもしれない。

いずれにせよ、サビに繋がる「愛してる」の言葉が、どれほど想いの強いものなのかが、よくわかる構成になっているわけだ。

だって、あなたがいなくなる=私じゃなくなる=私の終わり、とまで言い切るわけだ。

おまけに、生まれ変わっても私はあなたを忘れないかもしれない、とまで述べている。

同じように、転生しても君への想いは変化しないというモチーフを歌った「前前前世」との温度差が凄い。

まあ、これはタイアップした作品の違いにより、歌詞の捉え方まで歪めてしまうという話なのかもしれないが。

ところで、私って誰?

前作の「花束を君に」や「真夏の通り雨」は、宇多田ヒカルの個人的な歌であったことは、多くの宇多田ヒカルファンがご存知のことだと思うが、この歌における「私」と「あなた」とは一体誰なのだろうか?

今回はドラマの書き下ろしなのだから、ドラマの登場人物に重ね合わせて書いただけなんじゃないの?

おそらく、その見方が一般的だと思われる。

そして、実際、この一人称にも二人称にも、そこまで複雑なトリックは施していないように思う。

が、一つ気がかりになるのは「私」の描き方である。

私は薄情者であり、一人が似合う人物であると告白している。

この言葉が正しいのだとすれば、私があなたに投げかけている「愛している」の言葉だって、そういう「薄情」な部分が宿るのではないか?と思ってしまうのだが、如何だろうか?

極端なことを言ってしまえば「愛してる」という言葉は本当に、「あなた」に向けての言葉なのか?という話をしたいのである。

どういうことか?

この歌のラストで、「愛してる以外は余談」であると述べている。

つまり、この歌詞において「愛してる」という言葉以外は全て余談であると捉えられるわけであり、考え方によっては、「あなた」という言葉すらもある種の余談なのではないか?という、歌詞全体のフェイク性が見えてくる気がするのだ。

あなたをずっと愛している、のメッセージのうち「あなたはずっと」までがある種のフェイクであり、私が薄情者ものだからこそなした技であり、嘘を塗り重ねてきた私だからこそ、一人がお似合いであるという自虐の言葉をサビで述べたのではないか?という考えが生まれるわけだ。

だって、この「あなた」って、必ずしも1人の男性を指した言葉ではない可能性だってあるわけだ。

例えば、それぞれのサビごとに、別々の男性を思い浮かべている可能性だってあるわけだ。

Others come and go
But you’re in my soul forevermore

という英詞が出てくるが、これは、私は別の人間に乗り換えた恋愛をしているが、最終的に心に残っているのは「あなただけ」と述べているわけである。

このcome and goは、この歌詞中にも行われているのではないか?という話である。

だから、一番の歌詞の「あなた」と最後のサビの「あなた」はもう違う人物なのだ。

だからこそ、私は薄情で一人がお似合いだし、帰る場所もなければ、壊れたイヤホンで耳を塞がなければならなかったのではないか?なんて考えてしまうのである。

そして、私はそんなふうにして、すぐに恋人を乗り換えてしまうような性格だからこそ、一度はその相手を「愛してる」と感じたときは、ひとつの対象に過剰なまでにのめり込んでしまう(仕草を)見せるのではないか?

そんな感じで、また違う意味で、この歌ちはドロドロなとした一面が宿っているように感じたのだな、あなたはこの歌詞から、どんな意味を読み取っただろうか?

コメントを頂けたら幸いである。

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