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宇多田ヒカルの「光」の歌詞について考えてみたい。

この歌は2002年にリリースされたものだが、リミックスバージョンは2017年1月にリリースされ、全米iTunes Songsランキングで日本人アーティストとして最高となる2位を獲得したことでも話題となった。

自身の名前が付けられたこの歌は宇多田ヒカルにとっても特別とのことであり、当時は「キングダムハーツ」というゲームの主題歌にもなっていたわけだが、そんな諸々を加味しながら歌詞について考えてみたい。

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作詞:宇多田ヒカル
作曲:宇多田ヒカル

どんな時だって
たった一人で
運命忘れて
生きてきたのに
突然の光の中、目が覚める
真夜中に

何のスキも与えず、唐突にサビが始まるこの歌。

いきなりどかんとメッセージを突きつけるわけだが、このサビのフレーズはかなり「キングダムハーツ」のワンシーンとも重なる光景だったりするし、シーンとして頭の中で想起しやすいフレーズではなかろうか。

ただし、言葉を吟味していくと色々と疑問が出てくる。

まず、この主人公はどういう運命を抱えていたのだろうか?

そして、このサビにおける「光」とは何を意味しているのか?

どんな時だって一人で生きてきた、というのは具体的にどういうことを意味するのか?

このフレーズだけでは疑問ばかりが浮かび上がるので、とりあえず、歌詞の続きをみていきたい。

静かに出口に立って
暗闇に光を撃て

今時約束なんて不安にさせるだけかな
願いを口にしたいだけさ
家族にも紹介するよ
きっとうまくいくよ

暗闇に光を撃つ、というのもゲームであればリンクする表現であるが、現実に置き換えて考えてみたら、抽象的すぎてぴーんとこない。

ただ、このフレーズによって、この歌の主人公は何かの殻を破ったことは、なんとなく理解できるのではないだろうか。

闇に満ちた自分の寝室に引きこもっていたが、カーテンを明けて陽射しを流し込むことで闇を壊し、そこから一歩踏み出て外に出ようとしている主人公の姿が想像される。

さて、この時点では主人公は一人であるように見受けられるが、次のフレーズで様相は大きく変わる。

「家族にも紹介するよ。きっとうまくいくよ」。

え?誰が誰を?という感じではなかろうか。

しかも、えらく現実味のあるフレーズであり、そのぶっ込み具合は相当なものである。

どこでこの人と出会ったのか気になるところであるが、出会いの場面は明確に記されていない。

ただ、何度もサビでは出てくることだが、君=光であると表現していることから、出会ったきっかけは、出口にたって暗闇に光を撃ったことにあるように思われる。

紹介するってことはこの人とは恋人だろうか?

なんなら結婚するから挨拶をしにいく、みたいな感じのようにも見える。

「約束」という言葉はプロポーズを意味しているようにも見えるし。

口にしたい願いとは「君を一緒幸せにするよ」とかそんな類の言葉であるようにも思えるし。

一旦、歌詞の続きをみてみよう。

どんな時だって
ずっと二人で
どんな時だって
側にいるから
君という光が私を見つける
真夜中に

一人で生きてきた私が、いつの間にかどんな時だって二人でいる、と宣言している。

非リア充ぶってたくせにいつの間にかリア充を気取りやがってこの野郎、なんて面持で見ている方もいるかもしれないが、ここで出てくる君というのは必ずしも異性、それどころか人であるかどうかもまだわからない。

なぜなら、君=光といっているから。

これは確かに比喩表現なわけだが、それは君は光のように明るい人だ、というニュアンスの比喩なのか、何か擬態化した比喩なのかは、ここでは判別がつかない。(例えば、BUMPの藤くんなら君とは実は過去の自分である、みたいなレトリックを平気で使ってくるわけで)

とりあえず、歌詞の続きをみてみよう。

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うるさい通りに入って
運命の仮面をとれ

先読みのし過ぎなんて意味の無いことは止めて
今日はおいしい物を食べようよ
未来はずっと先だよ
僕にも分からない

うるさい通りという急に「外の世界」を想像する言葉が出てくる。

この歌は「私と君だけの世界」というすごくミニマムな世界には逃げ込まず、家族であったり、こういう外野を匂わせる言葉を使うことで、この二人が社会の中にいるちっぽけな二人であることを強調しているのである。

特別なんだけど、ありふれた二人とでも言おうか。

この辺りは、RADの洋次郎みたいなどっぷり恋愛歌とは一線を画しているポイントである。

さて、次のフレーズでは、2度目となる「運命」という言葉が出てくる。

これはどういう意味だろうか?

おそらく、「とれ」と指示しているのは、主人公がこの人を聴いているあなたに指示している言葉のように思う。

外に出たからこそ君に会えたわけで、自分の閉じた世界から飛び出て外に行くことは、まさしく運命を変えること(運命の仮面をとること)に他ならなかったわけである。

私もこうだったから、あなたも外に出ましょうよ、というポジティブなメッセージがこのフレーズに込められているような気がする。

その次に出てくるのが「ごはんを食べよう」という、えらく日常的なフレーズ。

「仮面」というファンタジーっぽい言葉と併用して、こういう生活感溢れる言葉を忍ばせることで、絶妙なバランスをとっているのである。

だから、普遍的な男女の恋愛を歌った歌のようにも、キングダムハーツ的なファンタジー溢れる歌のようにも、捉えることができるのである。

ところで、「未来はずっと先だよ」とあるが、ここで指す未来とはどんなものだろうか。

1分後だって未来であることには変わりはないけれど、そんな近い未来を指しているわけではないことはわかると思う。

二人の関係が終わってしまうのでのことだろうか。

逆に言えば、私たちは死ぬまで離れ離れにはならないよという決心の言葉なのかもしれない。

要はラブラブなのだ。

歌詞の続きをみてみよう。

完成させないで
もっと良くして
ワンシーンずつ撮って
いけばいいから
君という光が私のシナリオ
映し出す

さて、僕と君の間側が見えてくるフレーズ。

この二人で人生という物語を紡いでいることがわかる。

やはり、この二人、カップルないしは夫婦であるということが、改めてわかるわけだ。

もっと話そうよ
目前の明日の事も
テレビ消して
私の事だけを見ていてよ

唐突に出てくる「テレビ」という単語。

やっぱりこの二人はどこにでもいる普通のカップルであることを改めて実感させる言葉となっている。

また、最初は一人で生きていくと言っていた私が、あろうことか、君に対して「私の事だけを見ていてよ」と突きつける。

なんという豹変ぶりであろうか。

ここに二人の関係の成熟具合が明らかになるわけである。

どんなに良くったって
信じきれないね
そんな時だって
側にいるから
君という光が私を見つける
真夜中に

二人でいれば色んなことがあるし、相手のことを疑うときだってあるかもしれないけれど、そんなときだって身体的距離は近くにいることをここで宣言する。

君という絶対的な光であれば、私という不安定な存在を包み込んでくれるということだろうか。

真夜中という時間と、君という光の対比によって、この歌の神秘さみたいなものを、より明確にさせている。

もっと話そうよ
目前の明日の事も
テレビ消して
私の事だけを見ていてよ

結論として、この歌がメッセージとして提示しているのは「孤独を好む人だって、しかるべき人との出会いがその人のすべてを変える」ということであると思う。

インターネットにより、人との繋がりが希薄になったと言われがちだが、人が生まれ変わるのは人と関わりにしかなくて、人との出会いこそがなによりの「光」であるということだ。

どれだけ今の生活が闇に見えている人でも、明けない夜はないわけで、そのきっかけは案外近いところに転がっているんじゃないかな?ということではないかと思う。

この歌にどんな「光」を見出すのかは聴く人によって違いがあるのかもしれないが、少なくとも、この歌にはそういうポジティブなメッセージがあることは確かだ。

ただの恋愛ソングではないわけだ。

それだけは間違いない。

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