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宇多田ヒカルの新曲「ともだち」。

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小袋成彬とコラボしたこの楽曲。

歌詞の内容を探ってみたい。

作詞:Utada Hikaru
作曲:Utada Hikaru

笑顔見れる 距離にいれる
それだけでいい
友達なら側にいてもおかしくない
君に触れるあいつ見てる
報われない想いばかりが募る夜更けは
どうしたらいい?

気付かないフリとか
中途半端な優しさに 泣きたい

Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
Oh 何故ならば触りたくて仕方ないから Oh
Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
もう君の一番じゃないと意味がないから Oh

胸の内を明かせたなら いやそれは無理
とても上手に嘘つけるのに 心は馬鹿正直

キスしたい ハグとかいらないから
Let me have one kiss やっぱり…

Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
Oh 今すぐに触りたくて仕方ないから Oh
Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
もう君に嫌われたら生きていけないから Oh

恥ずかしい妄想や 見果てぬ夢は
持っていけばいい 墓場に

Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
Oh 何故ならば触りたくて仕方ないから Oh
Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
もう君の一番じゃないと意味がないから Oh

以上である。

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読んだら一発で感じるやばい感情の匂い。

もともとは「ともだち」だった君を「ともだち」だと思えなくなっちゃう心の変化を丁寧に描写している。(要は友達じゃなくて恋愛対象としてみてしまうということである)

タイトルの「ともだち」を漢字ではなく、平仮名で表記しているのは、主人公の複雑な心情を表現するためであると思われる。

友達が友達じゃなくなるから、そこから意味が抜け落ちて、言葉としての音の「ともだち」だけが残っているサマというか。

さて、この歌には一人称はあえて使われていない。

宇多田ヒカルの歌は基本「僕」か「私」が一人称として使わるのだが、この歌ではあえて使われていない。

理由は明示していないが、この歌の主人公の性別を特定(想起)させないためではないかと個人的には思う(とはいえ、僕を使っているから男、私を使っているから女という分け方を宇多田は別にしてはいないのだが)。

本当は男なのに心は女だったり、本当は女なのに心は男だったり、という微妙な人物を主人公として扱っているからではないかと思うわけだ。

言ってしまえば、主人公は性同一性を患っているという見立てである。

その想像をより強固なものにするため、歌詞における主人公と君の関係性をつぶさにみていきたい。

主人公と君は友達で、笑顔をみれる距離にいるのだが、身体を触れる関係(具体的にはキスしたい関係)にはなることができないし、そんな気持ちを伝えることはできないことが明らかにされている。

でも、これだけの情報ならば、主人公と君は異性の友達であり、親友だからその一歩を踏み出すことができていないと解釈することも可能である。

同性である根拠にはならない。

ポイントは「触りたい」という表現ではなかたろうか。

この歌のもっとも特徴的表現である。

一体どこを触りたいと思っているかがポイントであろう。

ハグなんかはいらなくてキスをしたいと願う主人公が触りたいのは。。。

具体的にはわからないが、性的接触を望んでいることは間違いないだろう。

なぜ、その衝動を隠すのか。

男と女という友達なら一線を越えることだってあると思うし、「君の一番になりたい」とまで思うならば、せめて好きである気持ちを告白くらいしてもいいと思うのだ。

けれど、主人公はそこまで気持ちを高ぶっているのに、気持ちを伝えたら嫌われる可能性が高いから、それはしないという。

やはり変だ。

その変を納得させるのは、やはり同性愛が出てくると思うのだ。

そして、なんとなくであるが、女と女よりも男と男を想定したフレーズではないかと個人的に思う。

女女なら友達でもベタベタする人はいる。

「触る」くらいなら、まだ許せるのではないかと勝手に思うわけだ。

けれど、男男ならまずない。そんなことしたら気持ち悪がられるだろう。

ましてや性的な接触なんて。

というわけで、普遍的なレベルで「触る」ことすら傍目にみせててはならず、極端なまでに性別を隠すような表現をしているからこそ、「同性愛」の匂いが立ち込めるわけである。

ちなみに宇多田ヒカルはSONGSかなんかで、はっきりとこの歌は「同性愛」をテーマにしたと公言しているので、この説は正しいわけだ。

ところで、宇多田はなぜこんなテーマを歌にしたのか。

椎名林檎とのMVが百合っぽかったから、宇多田もその気があるのだろうか。

いや、それは違う(いや、そうかもしれないけれど)

むしろ、これはマイノリティーであること、そして自分がマイノリティー(しかもそれは不利になるマイノリティー)であることを告発する難しさ、世の中を差別で満ち溢れていることを告発するための、非常に社会性の強い歌であると個人的には思うわけだ。

どんな風刺よりも厳しく、人間というものを深く抉るような作りになっているのである。

〈追記〉と色々書きましたが、偏見に満ちた書き方をしている可能性が多々あるかと思います。もし、それによって不快な思いをされている方がおりましたら、ぜひご連絡ください。その際は当該部分は削除・改変などして対応させて頂きますので。宜しくお願いします。

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