LINEで送る
Pocket

スピッツの「夜を駆ける」の歌詞について書いてみたい。

スポンサーリンク

作詞:草野正宗
作曲:草野正宗

研がない強がり 嘘で塗りかためた部屋
抜け出して見上げた夜空
よじれた金網を いつものように飛び越えて
硬い舗道を駆けていく

冒頭、「強がりを研ぐ」とはどういうことだろうか。

刃物を研ぐ場合は切れ味を良くするためだし、お米を研ぐ場合はお米を綺麗にするためである。

強がりを研ぐということは、強がりを洗練させるということなわけだが、その意味するところは分かりづらい。

「部屋」とは心の中という意味合いが近く、そもそも最初のフレーズは己の心中=内面世界を歌っているようにみえる。

嘘ばかりで部屋を覆うということは、成長していくなかで嘘を付くことが増えてきたということだろう。

それは感情面でもそうだろうし、(嫌いな人と話すときでも笑っていたりとか)しんどくても元気なふりして会社に出社するとかもそこに含まれるのだと思う。

つまり、自分を騙して生きていく、ということを意味しているわけだ。

強がりを研がないとは、人生に妥協ばかりしていくようなイメージということだろうか。

で、そんな状態から一度抜け出して、外に出る、というのが最初のフレーズのイメージ。

外に出る=本音に近い自分になる、ということを意味するわけだ。

さらに「心が裸に近い状態」なるべく、外に出たあとは、金網という障壁も飛び越えていくわけである。

金網もまた「自分の本音を閉じ込めていた障害」の象徴なわけだ。

気になるのは、それを「いつものように」飛び越えるという表現である。

主人公にとって「逃走すること」=自分をさらけ出すことは、別に珍しくはないわけだ。

また、外に抜けてからこの主人公が進む道は舗道であり、舗道ということは舗装された道であるというわけであり、それはつまり、その道は誰かが作り、誰かが整備した道であることを意味するわけである。

自分で道を切り開くのでなく、あくまでも誰かが作った道を歩いているイメージというわけだ。

「硬い道」であることを強調することで、この主人公は田舎ではなく都会(つまり人工的な場所)にいることをより強調させる。

似てない僕らは 細い糸でつながっている
よくある赤いやつじゃなく
落ち合った場所は 大きな木もざわめき やんで
二人の呼吸の音だけが浸みていく

ここでふいに登場する君という存在。

主人公が夜に脱走したのは、君に会うためであることがここでわかる。

ただし、この二人の間柄は微妙なものであり、赤い糸ではなく細い糸で繋がっている関係なわけだ。

それが意味するところは、恋人のような甘い関係ではないけど、何かしらの運命は共有しているような関係ということ。

わかりそうでわからない。

二人が落ち合った場所はとても静かな場所であり、二人の呼吸の音だけが聞こえる場所であるらしい。

さて、ここは一体どこなのだろうか。

君と遊ぶ 誰もいない市街地
目と目が合うたび笑う
夜を駆けていく 今は撃たないで
遠くの灯りの方へ 駆けていく

冒頭のイメージと接続すると、君と遊ぶその場所は、僕がもっとも本音をさらけ出している場所ということになる。

その場所は誰もいない市街地らしいが、なぜ誰もいないのだろうか。

市街地なら終電がなくとも、少しくらいは人がいそうなものだが。

少なくとも、呼吸の音が聞こえるくらい静かなのはおかしい。

まるで、この世界には僕と君しかいないような感じさえする。

だとすれば、なおのこと、この場所はどこなのか?という疑問が色濃く残る。

「今は撃たないで」というフレーズに関して言えば、今じゃなければ僕たちを撃っていいということなのかが疑問だし、嫌だけれどもそれは逃れることができない運命だからこそ「後で撃たれる」ことは諦めているのだろうか。

そういう運命だとすれば、なぜ撃たれなければならないのかもまた疑問となる。

また、暗い中、後で撃たれるかもしれないにも関わらず、それでもなお灯りを目指して駆けていく主人公たちは、何を目的に駆けているのかも何故だし、駆けていること=遊ぶ、ということなのかも気になる。

謎は深まるばかりである。

スポンサーリンク

2番をみていこう。

壁のラクガキ いつしか止まった時計が
永遠の自由を与える
転がった背中 冷たいコンクリートの感じ
甘くて苦いベロの先 もう一度

止まった時計と永遠の自由という言葉が予感させるのは死である。

死ねば、その人の時間はもう動かなくなるし、永遠の自由を手にすることができる。

「壁のラクガキ」は壁=心の中と仮定すれば、心の中で思い描いていたことが「ラクガキ」に繋がるとする。

要は心の中に思い描いていた夢のことであり、それが永遠となるということは、もう叶わないということを予感させることにもなり、登場人物はもう死んでしまい、肉体のない身になっているという想像ができる。

ただし、転がった背中にコンクリートの冷たさを感じるということは、身体に熱があるということであり、熱があるということは、身体は生きているということにもなる。

死を予感させるフレーズが出てきたあとにすぐ、生きてることを予感させるフレーズが出てくる辺りが巧みである。

ベロの先が甘くて苦いという感じるとあるが、これは君とキスをしたということを意味するフレーズである気がする。

なんなら、転がった背中にコンクリートを冷たさを感じるということは、僕が君を押し倒して(あるいは押し倒され)マウントポジションをとってる(あるいは取られてる)状態であることも予感させられる。

最大のポイントは「もう一度」という言葉にある。

要は死んだように生きてきた人間の「再生」し、新たな一歩を踏み出すことが示されるわけだ。

でたらめに描いた バラ色の想像図
西に稲妻 光る
夜を駆けていく 今は撃たないで
滅びの定め破って 駆けていく

バラ色の想像図というのは、平たくいえば、自分の夢ということなる。

でたらめに書いたということは、こんなふうに努力すれば夢が叶う、みたいな計算はせずに、何の算段もなくただただ「こうなればいいなあ」と夢を描いたということであろう。

そして、そんなでたらめな夢を描いたことによって、何かが生じ、何かが変わったことをイメージさせるのが「西の稲妻」という言葉なのだと思う。

稲妻は光なのだから、希望の象徴なのかもしれないが、ここでは断言できない。

滅びの定めとあるが、滅びるのは自分の身のことだろうか、それとも夢のことだろうか。

いずれにせよ、このままだと「死んでいた」僕が、「生きる」道を選び、衝動に突き動かされていくサマがここでは描かれているように思う。

そして、最後のサビをみてみよう。

君と遊ぶ 誰もいない市街地
目と目が合うたび笑う
夜を駆けていく 今は撃たないで
遠くの灯りの方へ 駆けていく

「ここではないどこか」のイメージを漂わせたこの市街地は、おそらく、アメリカで起きた9.11のテロ事件のイメージとリンクしていると思う。

あの事件によって、そこで生活していた人の空間がいきなり、「ここではないどこか」に変わり、街から人が一気にいなくなる(住めなくなる)ことになったわけだ。

だから、市街地がどこか地獄然としてるわけである。

また、市街地はそういうイメージから来ているからこそ、僕と君は生きているのか死んでいるのかよくわからない危うさの中で描かれているのだと思う。

が、マサネムは決してここにネガテイブなメッセージを込めようとしたのではないと思う。

なにより、この歌の登場人物はリアルに死んだのではなく、あくまでも死んだように生きてきた人として描いているわけだ。

そして、本当に死んだわけではない人たちであれば、「もう一度」があるわけであり、生き返ることができるというメッセージを込めようとしたのではないかと思う。

そりゃあいつかは死ぬけれど、まだ死なないわけだ。

それが「今は撃たないで」の言葉に凝縮されるわけだ。

で、この音のない市街地は、いわゆるメタファーであり、全ては内面世界の話である、という解釈のし直しが妥当ではないかと思う。

心の奥底では「死んでいる」ことはいけないことだと思い、「いつものように」金網は飛び越えていたわけだ。

でも、そこより先は踏み出せていなかった。

けど、ついにその一線すらも超えたわけだ。

そして、市街地にやって来た。

「君」というのは、僕の分身みたいな存在であり、僕を「外の世界」と繋ぐもう一人の僕みたいな認識でいいのではないだろうか。

僕=君だからこそ、僕と君は赤い糸ではなく、別の糸で繋がっていると提示したわけだ。

君と僕が遊ぶということは、暗い世間に打ち勝つ想像力を育む、というようなニュアンスなのだと思う。

辛い世界を笑顔で生きるには、イマジネーションがとっても大事なわけだ。

そして、そのイマジネーションが完成したからこそ、夜を駆けていく=現実を再び「生きていく」わけだ。

次は本音を殺して死んだように生きるのではなく、遠くにある灯り=希望=夢を目指し、手に入れるようにして生きるのである。

今は辺りは真っ暗な夜だけど、いつかこの場所にも明かりを満たすために、今を精一杯に生きていく、そんな決意に満ちた歌なのだと思う。

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket