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この記事では、スピッツの「ヘビーメロウ」の歌詞の意味について、色々な角度から考えてみたい。

前置き

この歌は、フジテレビ「めざましテレビ」の「2017 めざましテレビ テーマソング」として書き下ろされたものである。

朝の情報番組のテーマソングということで、スピッツ史上でも10本の指には入るくらいの爽やかなソングのような出来栄えになっている。

ちなみに草野氏本人は公式HPにて「少しでもポジティブな気持ちになってもらえるような弾んだリズムの曲を作ってみました。ただ歌詞はスピッツの持ち味でもある、ちょっと卑屈でネガティブな要素もあるかも。とにかく楽しい1日になりますように!」とのコメント。

また、「ヘビーメロウ」のタイトル意味であるが、

メロウ→mellow→豊潤な、とか、熟している、みたいな意味の言葉

ヘビー→heavy→とても、とかそんな感じの、メロウを強調する言葉

となっている。

一説には草野氏がヘビメタが好きすぎて、そこをもじってこのタイトルにしたのだ!とか、歌詞にも「赤い服」という言葉が出てくるが、それはベビメタのメンバーのことを指しているのだ、みたいな指摘もあったが、これは本人から否定するコメントがあったとかなかったとか。

歌詞を改めてみると、そういう揶揄はこの歌にはないように思う。

まあ、そんなことを踏まえながら、歌詞の深読みをしていきたい。

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作詞:草野正宗

1番の歌詞について

「醒めない」以降、明らかにスピッツは改めて自分たちが「ロックバンド」であることを意識しなおし、ここ数年で大きく変わっていく「ロック」のあり方に、もにょるところがあったため、あえてそれまでは「らしくない」と言って否定してきて「男らしさ」とか「かっこよさ」みたいなものと、向き合うようになっているように思う。

最初の語尾でいきなり「ぜ」を使うのも、まさしくそういう意思表示なわけだ。(一人称に「僕」ではなく「俺」を使っているのもその流れのひとつである)

「花は咲く」という暖かさの象徴と、それの対比としての「(自分の)凍えそうな胸」(メロウの指し示す先が胸の豊満=巨乳であり、凍えそうな胸=貧乳とかそういう話ではない)を並べて提示する。

最初のパラグラフを見てもらうだけでも、暖かいものと冷たいものが並列して並べられている。

暖かいもの


太陽

冷たいもの

(自分の)胸
嗤ってくれ
時代遅れ
俺も独り
習い

という感じである。

これにより、この歌の主題は「冷たいもの」が「暖かなもの」に移行することであることがわかるとともに、その架け橋となるのが「ヘビーメロウなリズム(音楽)」であるこがわかる。

漢字の使い方もわりと草野氏にしたら珍しいものが多い。

「嗤う」「独り」「習い」などなど、普段あまり使わない漢字を使用している。

草野氏の歌詞がファンタジックにみえる理由のひとつとして、意図的に表記をひらがなに逃す、というものがあるのだが、冒頭はよりリアリスティックに現実と向きあうため、積極的に漢字表記を取り入れているような印象を受ける。

君とは誰を指すのか?というのがポイントである。

例えば、「君」というのは人ではなくヘビーメロウな歌そのものの比喩であるとか、希望というものを擬人化したものだとか、色んな想像を成り立たせることができるわけだ。

普通は。

そういう想像をさせないために、「君」のすぐあとにわざわざ「赤い服 袖ひらめいて」という言葉を置くのである。(しかも、ひらめくというはイメージから、なんとなく女の子を連想させてしまう辺りも流石である)

このフレーズにより、君とは赤い服を着た人というイメージを定着させるわけだ。

おそらく俺は花が咲くのに胸が凍えるような「未来に不安を覚え、うまく行動できない人間」なのであるが、君は「確かな未来はいらない」と言えるくらい、何事にもアグレッシブに挑戦できる人間なのだろう。

つまり、君は俺にはないものを持っている人間なわけだ。

ここまではなんとなくわかると思うが、締めのフレーズが「信じていいかい?泣いてもいいかい?」というのは不思議である。

この日のために習いに逆らって太陽目指して歩いた俺が、急に「君になりたい」と思ったあと、泣いていいかい?というのである。

えらく唐突な展開に、はてなマークが浮かぶのではないだろうか?

ひとまず、次の歌詞をみていきたいと思う。

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2番の歌詞について

独りでも習いに逆らった俺であるが、当然ながら辛いこともたくさんあるわけだ。

その思いが「逃げるのがいやで 無茶ぶりされ こらえてた頃」という言葉に集約されている。

そんな中で出会ったのがヘンテコな女神=君である(君のことを女神ということからも、君の性別が女であることがわかるだろう)

そして、「歩く」のが困難なら「気球を操って空から太陽目指せばいいんだよ」と俺に教えてくれたのが君というわけである。

そんな俺と君の関わり方を「優しい被支配」と形容するのは草野ならではの表現法だと感じる。

ところで、この「痛み」とは何だろうか。

君に支配されていることに感じて、痛ててててててとなっているのか、君が俺にこんな指示していることに、君は実は心に痛みを感じており、そのことを俺は知っている、みたいな話なのか。

判然とはしないが、この「痛み」が心の中の話ではあることは間違いないだろう。

夢に向かって進む、というのは結局のところカン違いなわけだが、カン違いのなかでも「俺ならできる」と信じて行動し続けていれば、いつかはそのカン違いが「真実
」になるわけだ。

そんな言葉の後にも紡がれる「信じていいかい? 泣いてもいいかい?」というフレーズ。

なぜか最後は気弱に終わるわけだ。

なぜ、このフレーズでいつも締めるのだろうか?はたして、このフレーズは何を意味するのだろうか?

最後のパラグラフの歌詞もみてみよう。

3番の歌詞について

鶏を鳥ではなく「鶏」と表記したのはニワトリのこけこっこ〜!感を強めたかったからだろう。

この「期待」っていうのは、俺のことを嗤う人たちの期待=お前に夢なんて叶えられないという呪い、のことであり、それを裏切る=俺は太陽に到達する、というわけである。

このネガティヴからポジティブの架け橋になるのは、この歌ではヘビーメロウな音楽なのであり、だからこそ、ここにも「なんちゃってファンキーなリズム」が添えられるわけである。

ここで「灯せ」と命令形で言葉を紡ぐのも、草野氏が「ロックンロールから醒めない」ことを宣言した今のスピッツだからこその言葉なわけだ。

メロ部分の歌詞は男気のある言葉を紡ぐのに、サビの末尾で一気に気弱になるわけだが、最後のサビでも「信じていいかい?泣いてもいいかい?」を紡いでいる。

ここに「ん?」と感じるわけだが、そもそも、この「泣いてもいいかい?」とは、どんな感情の言葉なのだろうか?

例えば、泣くといっても、悲し泣きと嬉し泣きがあると思う。

では、ここの「泣いてもいいかい?」はどっちに属する泣きなのかということである。

夢を目指すのが苦しいから泣いてもいいかい?なのか、夢を叶えたらそのときの喜びを分かち合いたいから君と一緒に泣いてもいいかい?なのかで意味合いが大きく変わるわけだ。

冒頭にもかいた草野のコメントでは、「ちょっと卑屈でネガティブな要素もあるかも」とあったが、その「卑屈さ」がここに出ているだけなのだろうか。

あるいは、冒頭の歌詞で「花は咲いたぜ それでもなぜ 凍えそうな胸」を提示させるため、サビ終わりはあえてポジティブでは終わらせないようにしているだけなのか。

ここでポイントとなるのが「信じていいかい?」の解釈の仕方だと思う。

最初この言葉は、てっきり君の言うことが信じられず、ふとしたタイミングで「気球に乗ってて大丈夫なの?」的な不安を吐露させた言葉なのかと思っていた。

けれど、最後のサビでふいに出てくるフレーズ「テレパシーみたい ゴメンもサンキューもすっとばし」をみていくと「信じていいかい?」のレベルが変わってくることがわかる。

どういうことか?

ゴメンもサンキューもすっとばし、ということは君と俺はもう言葉すらいらない関係であることがわかるわけだ。

まさしくテレパシーなわけだ。

言葉がいらない関係というのは、それだけ両者に信頼関係が生まれているというわけであり、言ってしまえば「信じてもいいかい?」と不安を投げかけても揺らぐことのない「信頼」が既に出来上がっているというわけである。

つまり、「信じていいかい?」なんて言葉を述べていながら、俺は完全に君のことを信用しているし、行動への翳りなんて一切ないことをここで示すわけだ。

草野氏が「ちょっと卑屈」と述べたのは、俺は君のことを完全に信用してるくせに、「信じていいかい?」なんて言葉をあえて言わせているところなのである。

そして、俺は君のことを信じて行動しているとなれば、この「泣いてもいいかい?」が悲し泣きではなく、嬉し泣きのための布石であることは理解できると思うのだ。

つまり。

この歌で明らかになるのは、草野氏の「卑屈さ」のレベルがもう一つ上の次元に成り立つようになったということである。

この歌のネガティヴとは、あくまでもポジティブが前提のネガティヴなのだ。

この歌はただのメロウではなく、その中にさらなる「深み」がある「ヘビーメロウ」なわけで、ただのポジティブソング・爽やかソングなのではなく、もう一歩踏み込んだ草野流のポジティブソング、言うなればベビーポジティブソング(ダサいネーミングではあるが)なのだと、個人的には思うのである。

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