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草野マサネムを草野正宗と表記するとき、それは作詞あるいは作曲家としての彼を語ることを意味する(曲のクレジットは全て漢字表記なのだ)。

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今回は作詞家としての彼を語ろう。

一見、肌触りの良いポップスを奏でてるように見えて、実に不気味な歌詞を書いているのが彼の特徴である。

よく指摘されるのは彼の詩には死が付きまとっているということである(ダジャレではない)。

有名なところで夏の魔物の歌詞。

幼いだけの密かな掟の上で君と見た
夏の魔物に会いたかった

これは夏の魔物の一節である。

この歌詞を普通に読むと、仲の良いカップルが裕福ではない暮らしながらも仲睦まじく生活をしているように読める。

が、この歌詞の不気味さは夏の魔物に会いたかったという所にある。

サビのフレーズが、会いたい、ではなく、会いたかった、なのだ。

過去形なのである。

なぜ、過去形を使ったのか

考えられるのはふたつ。

君にもう会えなくなってしまったか、夏の魔物にはもう会えなくなってしまったかのどちらか。

2番の歌詞は風景を書いているふりをしながら君とのビミョーな距離感を上手く表現している。

大粒の雨 すぐに上がるさ
長く伸びた影がおぼれた頃
ぬれたクモの巣が光ってた 泣いてるみたいに

大粒の雨で、というのはおそらく涙の比喩であろう。

今は泣いているけど、すぐにその涙もかわくだろうといった感じ。

長く伸びた影がおぼれた頃、というのは、夕暮れになって伸びた影が夜という暗闇に飲まれてしまう様子を指している。

もっと言えば、時間が経てば、その悲しみは癒えるだろうといったニュアンスを伝えているのだろう。

ミスチルの終わりなき旅の歌詞でも似たようなものがあったが、ここまで詩的にそのニュアンスを表現できるのがマサネムの凄さである。

そして、ここでトドメをさす。

ぬれたクモの巣が光ってた、というフレーズだ。

これは一体何を指すのだろうか。

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本来であれば梅雨時の葉っぱなんかイメージさせる詩であり、ある意味そういうことをそうきさせるように巧みに言葉を紡いでいるわけだが、この時点でははっきりと言えない。

先に次の歌詞をみてみよう。

殺してしまえばいいとも思ったけれど
君に似た夏の魔物に会いたかった

もう会えなくなってしまった夏の魔物。

そもそもこの夏の魔物とは何者なのか。

ここでポイントとなるのが「君に似た」という言葉。

君に似たとはもしかすると、赤子のことてまはないかとひらめくわけだ。

ここで、クモの巣という言葉が出てくる。

これはもしかすると、女性のあそこを指し示した言葉ではないか。

泣いているとはつまり、そういうことなのではないかと閃くわけだ。

夏の魔物とは僕と君の間に本来生まれてくるはずだった子どものことで、きっとこの子どもは生まれてこなかったことがわかるわけだ。

だから、大粒の雨のような涙も流すし、時間が経てば悲しみも癒えると言い聞かすわけだ。

では、この子どもはなぜ会えないのか。

ここでキーポイントとなるフレーズが、殺してしまえばいいとも思ったけれど、である。

おそらく主人公は望んでいない妊娠をさせてしまい、堕ろさせたいと考えていた。

が、おそらく、それを彼女は拒んだのだ。

だから殺した、ではなく、殺してしまえばいいとも思った、という言い方になるのだ。

おそらく、流産したと読むのが正しいだろう。

僕は最後に呪文を唱えたが、夏の魔物には会えなかったのだ。

しかし、赤子を魔物と比喩するのだとしたら、なぜそういう言い方にしたのか。

おそらく草野正宗はこれをそういう歌と読まれることも計算に入れた上で、もう一工夫凝らしているはすだ。

しかし、あいにく読解力が足りないため、これ以上意味を探ることは困難。

けれど、歌詞に一縄筋ではいかない工夫を随所に詰め込んでいることはよくわかるのではないか。

これが彼の凄さなのである。

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