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サカナクションの「陽炎」について書いてみたい。

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前置き

この楽曲は映画『曇天に笑う』のために書き下ろされた楽曲であり、このタイアップは、監督である本広克行が自らサカナクションにオファーしたことで実現したものである。

サカナクションのフロントマンである山口一郎と言えば、オファーがきてもその締め切りを絶対に破り、しかも破り方があまりにも大幅であり、締め切りが過ぎても一向に歌詞が上がってこないために周りの大人がどんどんと冷や汗をかく、という現象を起こしがちな問題児である。

おそらく多くの大人は思ったことだろう。

サカナクションの一郎氏に依頼して大丈夫なのか、と。

そして、その不安は的中した。

「バクマン。」の主題歌だった「新宝島」と同様、今作も当たり前のように締め切りは遅れに遅れることとなった。

まあ結果的に、作品は無事に納品されたわけだが、それでもまだ歌詞に納得がいっていないようである一郎氏は、今回の歌詞はあくまでも「映画版」として位置付けている。

歌詞が差し替えられるサカナクションverの「陽炎」は2018年春頃にリリースされるアルバムに収録されることになっている。

ここで言えるのは、それだけこの歌の歌詞にこだわったということだ。

ちなみに、この記事ではmovie versionの歌詞について話を進めていきたい。

歌詞

作詞:山口一郎

夢を見てた 花火のようにすぐ消えた
忘れていた 忘れかけていただけか

夕日落ちるまでの間
しゃがみこんだような街

はしゃぎすぎて無くした
赤い空を僕は待った

一気に鳴く鳥 遠い紅
いつになく煽る紅
いつになく泣いてるようだ陽炎 陽炎

一気に泣くわ 夜はこない
いつになく煽る紅
いつになく泣いてるようだ陽炎 陽炎

街は静か 花火のように空が鳴った
逃げ遅れた 逃げられなかっただけか

夕日落ちるまでの間
次の海下る雨の理由を
探し続けてる
赤い空を僕は待った

一気に鳴く鳥 遠い紅
いつになく煽る紅
いつになく泣いてるようだ陽炎 陽炎

一気に泣くわ 夜はこない
いつになく煽る紅
いつになく泣いてるようだ陽炎 陽炎

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考察

考察も何も映画版の歌詞ということは、映画の内容を抑えて話を進めるべきであり、それ以上も以下もないのではないか?

そんな指摘が聞こえてきそうであるが、一郎氏はナタリーのインタビューで下記のように答えている。

僕、歌詞が映画に寄り添いすぎるのはダメだと思うんです。今回は映画と原作マンガの世界観、あと明治が舞台であることを踏まえて、和と洋が融合したようなイメージを言葉にしました。あとは言葉のリズム、歌詞の意味を感じさせるタイミング。そこを考えましたね。

(出典:https://natalie.mu/music/pp/donten-movie04)

本人がこう言うんだから、原作を必ずしも抑える必要はないんですよ!

というわけで、このインタビューの言葉をベースにしながら考えを深めていきたい。(まあ、僕が不勉で映画も原作も読んでいないだけっていうのはあるんですが)

このインタビューの言葉から歌詞について考えるならば、ポイントは三つになると思う。

①この歌が描く「世界観」とは何か?

②言葉のリズムを意識したフレーズとはどの辺りになるのか?

③意味を考えさせるフレーズとはどこか?そして、その意味性とはどういうものか?

順を追って考えてみよう。

①この歌が描く「世界観」とは何か?

①に関しては、この歌詞に出てくる名詞を取り出すことで見えてくるものがあると思うので、まずは名詞をピックアップしてみよう。

この歌に出てくる名詞は「夢」「花火」「夕日」「街」「赤い空」「僕」「鳥」「紅」「陽炎」「夜」「海下る雨」である。

で、「夕日」「赤い空」「紅」「陽炎」はすごく似た着想から生まれた言葉のように感じる。

また「夜」に関しても、この歌詞では「夜はこない」という使い方がされており、それは「紅が煽っているから」であり、本質的には同じ着想から生まれ出てきた言葉であると考えられる。(普段の一郎氏の「夜」とは少し性質が違うわけだ)

他の名詞に関して一言で言うならば、「風景が浮かぶ言葉」を意識して使用している印象を受ける。

風景が浮かぶ言葉を意図的に使用している理由は、おそらく一郎氏が「余計な説明をしない歌詞」を書くことを心がけているからであると思われるが、結果的にそれがこの歌の「世界観」を具体的にして、一郎氏が思い描くと主題歌として相応しい世界観にリンクさせている。

もちろん、この「風景」というのは、ただの風景ではなく心象風景でもあるのだが。

紅=陽炎=闘志みたいに、それぞれの景色は、それぞれ感情に置き換えることができる。

だから、静かな街=僕の心、という見方もできるし、そんな静かな心に陽炎という名の闘志が昇る、という読み方もできる。

ちなみに、闘志である陽炎が泣いているということは、本当は闘いたくて闘っているわけではなく、それこそ「逃げられなかったから」闘わざるをえなくなってしまったということも見えてくる。

対比も効果的に決まっていて、メロ部分の「花火」も一番と二番で違う役割を背負わせたり、鳥は泣いてる一方で、僕は泣いてるというような対比もできてきたりで、色々とアレである。

簡単に言っちゃえば、このようなギミックを使い、より感情を多重化させることで、この歌の世界観はより立体的になっていき、解像度も増すというわけである。

②言葉のリズムを意識したフレーズとはどの辺りになるのか?

②に関しては、Aメロ部分では「フレーズの末尾の母音をAで揃えている」とか、サビは意識的に「母音がIの言葉を強めに使っている」とか、そういう話になってくると思う。

聴けばわかるけれど、母音の使い方を相当意識して言葉をはめ込んでいるし、「一気に」というワードはどう聞
いても「ikkini」ではなく「ikini」と発音しているし。

③意味を考えさせるフレーズとはどこか?そして、その意味性とはどういうものか?

③に関しては、冒頭の「夢を見てた」の夢とは何か?とか「一気に鳴く鳥」とは何を指しているのか?とか「陽炎が泣いているようだ」ってどういうことなのか?とか、そういう話になってくると思う。

まあ、フレーズの意味性はそれこそ映画を観てから「答え合わせ」をする方が適切なのかなーとは思うけれど、鳥が一気に鳴くと決戦感が出てくることは間違いないし、バックに夕日が生えているとなんだか血の色みたいでカッコいいよなーってのはある。

しかも街が静かだった状態からの対比で、鳥が鳴くわけで。

これにより、より決戦感は出てくるし、アクションシーンのワクワク感も増すよなーなんて思ったりして。

ただ、一郎氏はこの歌に関しては、イントロやアウトロで流れるラララのコーラスがあればそれでいいなんて答えもしており、歌詞をナシにしたいなんて話もしていたのだとか。

それはどうかと思うが、もしそれでオッケーが出ていたら、楽曲の納品はもっと早かったんだろうなーということだけは想像される。

星野源との繋がり

この歌とは直接は関係ないんだけど、前日リリースされたサカナクションのベストアルバムの付録にあるブックレット「魚図鑑」を読んでいると、サカナクションの某曲が星野源との関係の中で生まれたことを告発しているっぽい旨の記載があった。

それ故、「陽炎」を聴いているとふと星野源のことが頭をよぎったりもしたのだ。(ちなみに件のブックレットには星野源の「ほ」の字も出ていないんですけどね)

星野源のタイアップソングとして記憶に新しいのは「ドラえもん」。

一郎氏は前述したインタビューにもあるように自身のタイアップ曲の在り方において「歌詞が映画に寄り添いすぎるのはダメだと思うんです」と語っていたが、星野源の「ドラえもん」は寄り添うどころか、歌詞=タイアップ世界というような楽曲である。

というか、映画の世界をそのまま歌にしたような歌である。

両曲を比較すると、タイアップ曲に対するアプローチの違いが鮮明に出ているよなーなんて思いつつも、一方で音楽部分におけるアプローチは似ている部分もあったりして。

これも前述したナタリーのインタビューに書いてあることだが、「陽炎」のイントロはゴダイゴの「西遊記」がイメージにあるらしい。

だから「陽炎」のイントロはどこか中国っぽい雰囲気が出ている。

一方、星野源の「ドラえもん」のイントロの着想は笑点にあると本人が語っている。

このように、タイアップ案件とは少し遠いところにあるアイデアを上手に拝借して、それを自分の作品に落とし込むというアプローチは、明確に共通している。

しかも、落とし込み方も似ている。

面白いタイアップ曲って、タイアップとの関係性が良好であることも重要なのだと思うけれど、その一方で、どこまでタイアップとは違う、遠いところにある想像力やアイデアを持ってくることができるのか、という部分も重要だと思うのだ。

楽曲のテイストはまったく違う両作ではあるものの、星野源と山口一郎がある種の部分ですごく重なるようなタイアップソングを生み出したというのはら運命じみてるよなーとか勝手に思ったりして。

いや「陽炎」とはあんまり関係のない話なんですけどね。

そういや、個人的には一郎氏の「愛の歌」が早く聴きたいなーと思う今日この頃。

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