LINEで送る
Pocket

サカナクションが大体1年ぶりの新曲「多分、風。」を2016年10月19日にリリースした。

スポンサーリンク

資生堂「アネッサ」TVCMソングであるこの歌。

発売日を延期しまくった果てにできた新作。

一郎先生はどんは思いでこの歌詞を書き上げたのか、考えてみたい。

作詞:Ichiro Yamaguchi
作曲:Ichiro Yamaguchi

ほらショートヘアをなびかせたあの子
やけに気になりだした なぜか

今アップビートの弾けた風で
口に入った砂

誰もが忘れる畦道を
静かに舐めてく風走り

知らないあの子と自転車で
すれ違ったその瞬間

風 走らせたあの子にやや熱い視線
焦らせたその仕草に

風 走らせたあの子にやや熱い視線
焦らせたこの季節に

連れて行かれたら

ほらショートヘアをなびかせたあの子
口に入りかけてた髪が

今ダウンビートの静かな風と
絡み合った時間

畦 走らせたあの子は 多分 風
焦らせたあの仕草は 多分 風

風 走らせたあの子にやや熱い視線
焦らせたその仕草に

風 走らせたあの子にやや熱い視線
焦らせたこの季節に

連れて行かれたら

以上である。

スポンサーリンク

今回の楽曲では古き良きものをリバイバルさせつつ、それを現代の日本の音楽(特にフェスシーンを意識して)、より大きな層に届けることを意識したという山口一郎。

単純な懐古主義になって当時の音楽に精通している人に「良い感じ」と言ってもらうのではなく、今流行っている音楽しか通っていない若いリスナーにもぐっとくるような音楽を届けるべく、どういうバランスをとるのか、あるいはどう80年代のテイストをリバイバルさせるのかということに苦心して、リリースを先延ばしにしたのだという話。

その苦心は聞けばよくわかる。

シンセの使い方であったり音楽のアレンジであったり、80年代のテイストを絶妙な形で消化しているなーって感じになっていることが実感できるわけだ。(個人的にはそれがとっても心地よい)

初回盤はLPサイズのパッケージにしたのは、そういう80年代のテイストを色濃くしたかったからであろう。

もちろん歌詞に関しても、そういう80年代のテイストを取り入れているのだ。

80年代といえば、日本の音楽シーンでは歌謡曲が全盛期だった(もちろん、それ以外にも色んな音楽はあったけれども)。

で、歌謡曲の歌詞には決まった特徴があって、歌詞の主人公がはっきりしていて、そこに物語がしっかりと描かれることが多いのだ。

松任谷由実の歌詞なんかをみてみれば、そのことがよくわかるのではなかろうか。

で、一郎氏はそれを踏まえたうえで歌詞を書いており、「多分、風。」の歌詞はサカナクションにしては珍しく、具体的な主人公像と、しっかりとした物語が歌詞に描かれているのだ(極力、心象風景と内省的なものは排されているわけである)。

この歌詞の主人公は男の子である。

その男の子はショートヘア―の女の子に恋をしていることがわかる。(まあ、厳密にいえば、気になっているだけであり、恋をしているというのは少し言いすぎなのかもしれないが)

ただし、その恋には少しも理由なんてなくて、なんとなく一目見たときからドキドキしちゃっているわけである。

主人公はその子のことは何も知らなくて、たまに見かける程度のことである。

残念なことに、自転車ですれ違う程度の関わり合いしかないのだ。

そして、男の子はすれ違うたびにその子に熱い視線を送るわけだが、女の子は主人公である男の子にそんなふうに思われてることにすら気づかず、視線を感じていることすら自覚していない。

ゆえに、何の接点も生まれず、男の子はそのせいでより心が焦らされるわけである。

そんな女の子仕草に。

そして、女の子に視線を送ることしかできないこの季節に。

そんなすれ違いはまるで風のようである、というのがこの歌詞の大筋のメッセージである。

つまり、主人公と女の子のすれ違い=まるで風

というのがこの歌の図式なわけだが、この「風」というキーワードは、歌詞の後半にもうひとつの意味を帯びることになる。

「畦 走らせたあの子は 多分 風」「焦らされたあの仕草は 多分 風」というフレーズに注目してほしい。

この歌詞からわかるのは、主人公が気になっていたあの子は実はそもそも実在なんてしていなくて、それは単に風だったのであるという激白なのである。

どういうことか。

説明してしまうと、あの子というのは本当はこの世界にはいなくて、それはこの主人公が作り出した妄想の産物であり、こんな子がいたらドキドキするのになあ、という妄想、というのがこの歌のオチなのである。

自転車を漕いでいるときに頬に感じる風を、擬人化して妄想を膨らませてみました、という話なのだ。

風のようなすれ違いで恋をした女の子の存在もまた風のような幻であったというわけだ。

でも、妄想だと思わせときながらも、もしかしたらこの世界のどこかに本当にそんな素敵な子がいるのかもしれない可能性をうっすらと残したくて、この歌のタイトルは「多分、風。」にしたのだと思う。

だって、あの子は妄想だとしても、妄想のモデルになった子はどこかにいるはずなのだから。

多分、ってとこがとにかくミソなのだ、多分。

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket