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川谷絵音がフロントマンを務めるインディゴことindigo la Endが約1年4か月ぶりに2nd full album『藍色ミュージック』リリースする。

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このアルバムの発売は6月8日で詳細もまだはっきりとは明かされていないが、表題曲となる「藍色好きさ」はフェスを始め、各所で披露している。

この歌はベッキーのことを歌った歌なのではないか?なんて吹聴するアホなメディアもあるが、ではこの歌詞がどんなものなのか改めてみていきたいと思う。

作詞作曲:川谷絵音

運命を掻き分けてく前に
君がいたんだ
それはもう突然だった
揺らぎを見つめ合うとこも
シーソーな感情になるとこも
その時から決まっていた

足しても引いても僕らは
いつも違う数になって
答えが出ては笑って抱き合った
その度優しさは
同じだけ重なり合って
深く深く望んだ

君が好きだってこと以外は
この際どうだっていい
藍色になった君が好きなんだ
君が好きだってこと以外は
もうなにも考えないことにしよう
藍色になって迎えに行くよ

真面目な話をしてもいいかな
「僕は君が好きです」
背中合わせで愛を育む時が
あってもいいしさ
言葉が回って届くまでは
見つめ直すだけでいい

君が好きだってこと以外は
この際どうだっていい
藍色になった君が好きなんだ
君が好きだってこと以外は
もうなにも考えないことにしよう
藍色になって迎えに行くよ

走る速度が上がれと
時間は早くはならない
切なくなる瞬間に
君の影から
気持ちを受け取った
繰り返して僕は
繰り返して君は

君が好きだってこと以外は
この際どうだっていい
藍色になった君が好きなんだ
君が好きだってこと以外は
もうなにも考えないことにしよう
君が好きさ
君が好きさ

それ以外考えないことにしよう
噛み締め忘れた幸せを
もう一度だけ
ここで言っても
報われないんだろうからさ
迎えに行くまでは
とっとかせてよ

以上である。

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まず、インディゴのアルバムを一回でも通しで聴いたことがある人間ならわかるが、インディゴのときの川谷が書く歌詞なんて大体こんなものである。

ましてや、超多作の川谷がひとつのシングルにそんな深い意味を宿らすなんてことはあり得ない。

ひとつの曲にタマシイを込めるというより、どんどん良い曲を量産していく、というのが川谷のスタイルだからだ。

ゲスと合わせれば、他のバンドの倍以上の曲を生産し、かつ他のアーティストにも楽曲を提供していたりもする。

当然ながら曲を作るのには締め切りがあるわけで、普通ならその締め切りに追われながら曲を制作し続けるわけだが、川谷はその締め切りを余裕で守り、ふたつのバンドを並行して、コンスタントなリリースペースを維持したうえで活動している。

おそらくメロディーやコード、そして歌詞も含め自分の中でパターンに落とし込んでいるから(意識的にか無意識的にかはともかくとして)、成し遂げられるわけである。

そんなテンションで曲を書いている人間が、自分のガチな恋愛を歌詞に落とし込むとは到底思えない。

なにより、川谷は人間としては不誠実な面も多いが、音楽に対しては誠実で、むしろ音楽とアーティストの実生活は切り離して受け止めてほしいと望んでる人間であり、歌詞に「自分の物語」を混ぜることなんて絶対にするはずがない。

まあ、女性を口説くときに「これは君のために作った歌だよ」とか言っちゃうことはあるかもしれないが。

まあ、いずれにせよ、この歌がベッキーのことであるとかうんたらかんたらと書く人間は、過去のインディゴの曲なんてほとんど聴いていないことだけは間違いない。

だって、一度でもインディゴを聴きこみ、過去の曲と今回の曲を聴き比べれば、この曲だって「いつも通りのインディゴじゃん」って感じで終わりになるはずだろうから。

何度でも言おう。

インディゴの歌はいつも僕が君に恋していて、ずっと君といたいけど、でも、なんだか終わりが透けて見えている自分もいる。ゆえに切ない…。

みたいなパターンばかりなのである。

で、今回の歌もそんな感じなのだ。

しかし、ちゃんと歌詞とみるとき、この歌詞、ひとつだけ気になるポイントがある。

それは「藍色」という言葉の使い方だ。

この言葉だけはしっかりと意味を考える必要がある

「藍色」とは、一体どんなことを意味しているのだろうか。

まず、藍色はどんな色かみてみよう。

こちらである。

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ちなみにこちらはバンド名になっている、インディゴという色である。

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さて、藍色になった君を藍色になって迎えにいく、と歌詞にあるわけだが、恋愛をしているならば、青系の寒色よりも暖色の方が合う気がするし、赤とか情熱の色を前面に出した方が「合う」気がする。

藍色ということは何処か気持ちとして盛り上がっておらず、それこそ「ブルー」になっているような印象を与えてしまう。

シーソーな感情という言葉がある通り、ずっと僕と君は単純にラブラブで順風満帆な幸せを過ごしているわけではないことはわかる。

なぜ、二人の関係はこんなにも不安定なのだろうか。

足しても引いても僕らは違う数になって笑いあった、というフレーズもなんだか意味深である。

なにより、僕が君のことを好きということはこの歌詞全体からも十分に伝わるが、君は僕のことをどう思っているのかは判然としない。

算数をしているときに笑いあったということはわかったが、それ以外の君の感情に関しての情報はないのだ。

今は藍色になっている、ということ以外は。

その辺に焦点を当てながら、この歌詞をもうちょっと見ていきたいと思うのだ。

歌詞を読み進めていくと、どうやら僕は君のことが好きだけど、君は僕に背中を向けているような状態であることがわかる。

昔は君も僕のことを好きだったけど、色々あって気持ちが冷めつつあるのであろう。

そんな君のことを「藍色になった君」と表現している。

要は僕に対する気持ちの温度を「藍色」という言葉で表現しているわけである。

算数をしても答えが合わないというフレーズは、ふたりがラブラブだったときも「合わない」部分がたくさんあったけど、最初の、僕のことがちゃんと好きだったときの君はそういうことも笑ってしまうくらいに僕のことを受け入れていた、ということであろう。

浮気をしたのか、それともただ単に気持ちが冷めてしまったのか、その辺はわからないが、君は僕のことが好きではなくなった。

けれど、僕は君のことがまだ大好きで、藍色の君も好きだよ、と必死に口説いているわけである。

本来ならば、ポイントとなるはずの「君が藍色になった理由」を隠しているのは、絵音がそういう描き方をする方が「この歌が切なくなること」を知っていたからであろうし、歌がやたらとリアルになってしまうのを避けたかったからでもあろう。(極力、抽象的な歌にしたかったから感情の言葉は「藍色」にしたわけだ)

しかし、不思議に思うのは「藍色になって迎えにいくよ」というフレーズである。

なんとしても君に振り向いてほしくて口説いているならば、ここは「赤色になって迎えに行くよ」とかにした方がいいのではないか、と思うわけだ。

僕も藍色になってしまったら、余計に溝ができてしまうのではないかと思うのだが、どうだろうか。

「切なくなった瞬間 君の影から 気持ちを受け取った 繰り返して僕は 繰り返して君は」というフレーズは今のやり取りを繰り返して、僕はどうなって、君はどうなるだろうか、と未来に語り掛けるフレーズである。

結局のところ、この歌は藍色になった君がまた僕のところに戻るのかはわからないまま終わってしまう。

最後の一節となる「噛み締め忘れた幸せを もう一度だけ」とは君とのラブラブしていた日々のことだろうし、「ここで言っても 報われないんだろうからさ」とは、君のいない場所で「好き」を連呼しても仕方がないから、君にいるところに向かい、君と向かい合ったときに言いまくるぞ、ということだろうし「迎えに行くまでは とっとかせてよ」とは前述した「嚙み締め忘れた幸せ」は今はまだいらない、ということであろう。

結局、今、僕はすぐに君に会えない所にいることだけはわかる。

でも、そんなことになってしまったのって、切なくなる瞬間になるまで、君の気持ちを受け取ることができなかった僕にあるわけだし、そもそも藍色になった君が好きならば、関係を修復した後もこういう「危うい感情」を続けるしかないというわけだろうか。

この辺の僕の思惑が正直よくわからない。

そして、どれだけ歌詞を読んでも、僕が藍色になる理由がわからない。

算数をしても「合わなかった僕ら」が色だけを統一させる理由が見つからないし、藍色というのが冷めることを匂わせるフレーズならば、君を振り向かせるために、僕が君に対して冷めたふるまいをするとは到底思えないわけだ。

僕が君を本気で口説くなら、君が藍色になった責任を僕がしっかり謝罪して、もう藍色にさせないと約束するしかないと思うのだ。

なぜ、藍色になったのかはわからないけれども、それが男としてあり方ではなかろうか。

でも、もしかすると、これ以上、僕と君の関係を壊したくないから、僕は藍色になる(つまり、恋愛感情を冷めして)=友達に戻る、という意味合いならば、説明がつくのではないか。

また初めから友達に戻って一から関係を築いていこうよ、というそういう歌なのではないか。

だから、今は「幸せ」は取っておくのである。

もう一度、友達からやり直して、ごはん行くくらいとか、ちょっとお話をするだけの関係とかに一度戻って、もう一度僕のことを見てほしい、君が僕のことを向いていなくても相変わらず好きだから(藍色になった君が好き、というニュアンスとも交わってくる)。

そして、もしまた君が僕のことを好きになって、付き合ってくれると言ってくれたら、また「幸せ」の続きを始めよう、今度はしっかり嚙み締めるから、という感じになるのではなかろうか。

でも、君が藍色になった理由が「浮気」だとしたら、そんなこと言ってまた同じことするんでしょう?とかディスられるに決まっているから、藍色になった理由は歌詞から消してしまったのかもしれない。

なーんて、妄想をしてしまったが、要はそこまで僕(あるいは君)の物語や情景、感情がしっかりと想像できるような言葉で表現できている点がこの歌詞の「すごさ」なのである。

やはり、こういう心の機微を表現させたら、川谷は大したものであるし、なんだかんだで良い曲を書くなだと思うわけだ。

追記

って書いてたけど、5月7日放送のワイドナショーで、この歌はベッキーに捧げた歌であることを匂わせるようなコメントしてましたね。

本人の口からそういう言葉が出たのだから、そうなのだと思います笑

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