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ドラマ「砂の塔~知りすぎた隣人」の主題歌でもある15年ぶりのTHE YELLOW MONKEYの新曲「砂の塔」。

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今回のその曲の歌詞について考えてみたい。

ただし、その前にひとつだけ書いておきたい。

というのも、ドラマの書き下ろしの楽曲における歌詞解釈ってパターンがあって、よくあるのは「このフレーズはドラマの○○の部分をなぞらえたものである」としたり顔で考察するものである。

僕もそういう考察をしている記事をあげているし、書いている本人だってそのドラマとリンクさせながら歌詞を書いているわけだから、その指摘はもっともではあるのだが、それはあまりに自明すぎるので少しつまらないといえばつまらない。

何より、アーティストはドラマの書き下ろしの場合、別のことも考えながら歌詞を書いていることが多い。

ドラマの雰囲気にあった歌詞にさせるという「ビジネス」をうまく汲み取りつつも、こっそりと自分の伝えたいメッセージなり想いなりをその中に散りばめるような書き方をするというわけだ。

表向きには単なるタイアップソングだけど、内実は「本音」も混ぜたゴリゴリのメッセージソングでもあるわけだ。

吉井和哉ともなれば、そのあたりのことも考えながら歌詞を書いているはずで、ドラマの書き下ろしというタテマエと、結成後初のシングルゆえの「今だからこそ伝えたいメッセージ」の両面を絶妙に織り込んでいるはずだと思うわけだ。

というわけで、きっと吉井和哉はこんな想いを詰め込んで歌詞を書いたはずだ、みたいな妄想を織り交ぜながら、「砂の塔」の歌詞について考えてみたい。(ただ単に原作にもドラマにもノータッチだからそういう読み方ができない、という逃げでありません、たぶん)

では、みていこう。

作詞:吉井和哉
作曲:吉井和哉

そこに住めばどんな願いも叶うと言われる愛の城
だけどなぜかみんな笑顔はハロウィンのパンプキン

早く寝なさいとママの爪が光る
あなたは今どこにいて私を見ているの

探しても 探しても 目の前は砂嵐
積み上げた 喜びもすぐにうずもれた
幸せも裏切りもいつもそばにあるよ
上に行くほど傾いた塔

安定はしない

南向きの大きな窓のガラスはハメ殺されている
北から来る神のヒントに振り向くこともない

下から還って 上から召されてく
甘い匂い染み込ませたパーティー始めよう

誰よりも高い場所から 誰かにこっそり見られたい
雲に太陽のナイフが刺さって

教えてよ コウノトリ 私はどこへ行くの?
ボ口ボ口の未来図の毛布に包まれ

探しても 探しても すぐにまた砂嵐
暖かい母の手を いつか握りしめ
オレンジの馬車に積んだ黄色い力ーネーション
上に行くほど傾いた塔

安定はしない
太陽に近い

天国に近い

以上である。

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冒頭「そこに住めば~」のフレーズに関してだが、これはドラマの内容が<ある家族がタワーマンションに引っ越してきたが、そこに住んでいる住人に翻弄される>というものであり、そことリンクしたフレーズであるように思われる。

あこがれのタワーマンションに住んでみたけど、そこにいる住人たちの笑顔はまるでハロフィンのパンプキンのように不気味だったというわけだろう。

けれど、ここに出てくる「愛の城」というのは、タワーマンションだけに集約される言葉ではないように思う。

例えば、人生に置き換えてみたら、≪みんなあこれがの大企業に就職したけれど、そこにいる社員のダークな笑顔で笑い、パワハラ・セクハラまみれで、むしろメンタルやられる一歩手前≫みたいな意味にもとれる(まるでどこかの電通みたいな話だ)。

あるいは、イエモンというバンドに置き換えてみたら、≪周りからはチヤホヤされる名誉と地位を手に入れたけれど、なぜかバンドメンバーの笑顔は心の底からの笑顔ではなくうわべのものになっている≫みたいな意味にもとれる(売れたけれど、満たされなかったからこそイエモンは一時休止の道を選んだわけだ)

ちなみに、個人的には「愛の城」というフレーズはなんだかラブホテルをイメージしてしまう。

この考察とは関係ないけど。

閑話休題。次の「早く寝なさい~」のフレーズで気になるのは「ママ」というのが誰か?ということ。

ママ=あなただとして、あなたのことをママと呼ぶ私とは誰?となるわけだ。

ここに誰を代入するのかは、この歌詞をどう捉えるかによって、変わってくると思う。

ただひとついえるのは、ママという言葉は自分を生んでくれた親のことを指して使った言葉ではなく、自分の生活の主導権の握っている人物のことを指した比喩という捉え方ができるかと思う。

また、ママという言葉と、語尾に「~の」とつけることで、このフレーズは小さな子供の独白のような体裁をとることで、自身の内面の幼い部分が表出しているようなイメージを与える表現をしていることもわかるかと思う。

「探しても~」のフレーズであるが、「塔」という言葉は冒頭に出てきた愛の城とリンクしている言葉であるように思う。

また、塔というのは企業とか組織とか地位とかとも通ずる言葉であり、イエモンというバンドだってまさしく、日本のロックシーンを上り詰め、そして上り詰めた「上」が安定していなかったからこそ、長い活動休止に入ったという歴史ともリンクする。

誰だって組織に入れば、あるいは目標や夢が見つかれば、それに対する「上」を目指すわけだが、必ずしも上にいけば安定するわけではないよ苦悩だってたくさんあるよ、というのがこのフレーズから漂ってくるメッセージである。

上にいくまでの過程は苦難の連続で、積み上げたはずの喜びもすぐにうずもれてしまうし、探しても探してもその喜びはすぐに砂嵐に飲まれてしまうし、幸せだと思っていたことも簡単に裏切りに変わってしまうし、本当に一縄筋ではいかないよ、というわけである。

「誰よりも高い場所から誰かにこっそり見られたい」とは、休止前のイエモンの苦悩を的確に表現したフレーズであるように思われる。

成功したと思われている人ほど、どうしようもない苦悩を抱え、それを誰かが見てくれていれば少しは救われるのに、ということである。

フジロック2000が活動休止の大きなきっかけだったというふうに吉井は語っているのだが、その当時の感情が色濃く反映されているように思うわけだ。(フジロック2000の顛末を書くとまた長くなるが、簡単にいえば満を持してトリ前のステージに立ったのに、ブーイングの嵐になって、出鼻をくじかれてしまったのだった、ということだけここに記しておこう)(今年、復活して色んなフェスに出演したのに、フジロックにだけは、出演しなかったのはそういう事情もあるのかもしれない)(ちなみに、今年フジロックの大トリだったのは、フジロック2000のイエモン出演時のときのトリと同じレッチリである)

結果、コウノトリにどうすればいいのか、尋ねたくなるほど路頭に迷うことになるのである。

それでも、踏み出さなくてはならないから、ボロボロの未来図の毛布に包まりながらまた歩こうとしたのである。(もしかしたら、それはソロ活動とか含めた休止から再結成までの道のりのことを指しているのかもしれない)

こんなことを書いてしまうと、この歌はネガティブな歌なのではないか、と捉えられてしまいそうになるが、単にネガティブのままでいたならば、イエモンがわざわざ今年「復活」をすることなどなかったことであろう。

ネガティブの中から、ポジティブを発見したから、再結成をしたのだ。

その通り、この歌は最終的にポジティブを歌うのだ。

実際、吉井和哉は「今が一番楽しい」と公言している。

50代になって張っていた見栄を張る必要もなくなり、純粋な気持ちで音楽と向き合えるようになったからなのかもしれない。

歌詞をみてみよう。

2番のフレーズにある「下から還って、上から召されていく」というのは、そのことを象徴したようなフレーズに感じる。

理由はともかくとして、「今一番楽しいと感じてまたバンドを始められたのは、あのとき苦しみながらも上を目指していたからだ」というのが、この歌の本当のメッセージに近いものだと思うわけだ。

最後のサビのフレーズが、象徴的にそれを伝えている。

「安定しない」のあとに続くふたつのフレーズ。

「太陽に近い」と「天国に近い」。

上はたしかに安定はしないけれど、本当の栄光である「太陽」には近くなるし、(上を目指さなければ太陽に触れるチャンスすらないわけだ)、本当の幸福感に包まれる「天国」にも近くなるというわけだ(これまた上を目指さなければ天国に行くチャンスすらないわけだ)。

もちろん、聴き手によって、「太陽」「天国」の言葉に代入される意味合いは変わるだろう。

ミュージシャンならば、武道館みたいな大きなステージとか、大観衆の声援とかを指すのかもしれない。

そういうことが経験できるのは上にいけた人間だけである。

確かに嫌なこともたくさん経験したけれど、それ以上に良い経験もできたというわけだ。

そして、上にいく過程で苦しみながらも、確かに手に入れたものがあって、それをきっかけにしてまた上を目指し始めるわけだ。

ママだった言葉が、母という言葉に変わるのは、この主人公の成長の証を明確にするためであろう。

確かに今自分が上を目指している塔は砂の塔のようにもろくて、また崩れる可能性だってあるし、どんどんと傾いてはいるけれど、(実際音楽業界はいま傾き続けている)上に行かないと「太陽」や「天国」には近づくことはできないわけだ。

タイトルがそのまま「砂の塔」というドラマと同タイトルの言葉を採用したのは、そういうイメージとぴったりとリンクしたからであろう。

わざわざ「天国」という終わりをイメージさせる言葉を使ったのも、最後は良いことあるよ、というニュアンスを強めるためであろう。

あの時はつかみ損ねた「太陽」と「天国」を今度こそ、手にするために、イエモンはまた動き出したのかもしれない。

そんな決意を込めて、この歌は作られたのかもしれない。

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