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前作「世界観」がすごく良いアルバムだなーって思って、よく聴いていた。

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2016年の話。

まだ、自分のあそこの毛が薄かった頃の話である。

自分のブログの記事にある、当時のベストディスクにもクリープハイプの「世界観」は、かなり上の方にランクインさせたりもした。少なくとも、そのくらいには大好きなアルバムだった。

ただ、それほどまでに「世界観」のアルバムにハマってしまったからか、自分の中ではその後の反動が大きかった。

クリープハイプが「世界観」リリースを期に、意図的にリリースペースを落としたこともあって、自分の中でのクリープハイプ熱は急速に冷めてしまったのだ。

そんな気分だったからか、2017年にリリースされた「イト」も「もうすぐ着くから待っててね」も、自分の中ではあまりピンとこなかったし、SNSでクリープハイプの名前をみたら、<なんだかんだで夏のせいにしてしまっている感じのMC>か「HE IS MINE」のコールアンドレスポンスのくだりばかりが目についてしまって、勝手ながらに辟易してこんなことを思ってしまうのだった。

また、同じことをやっているのか、と。

そんな僕が尾崎世界観のことを改めて「おっ」と思うようになったのは、尾崎世界観がFM802のキャンペーンソングの作詞・作曲に抜擢されて作った「栞」という歌を聴いたことである。

この「栞」という歌に、すごくハマったのだ。

歌詞もメロもすごく良いなーって思った。

きっとこの歌は気合い入れて作ったんだろうな、フレーズひとつひとつに拘って作ったんだろうな、そんなことを思ったのだ。

程なくして、その「栞」のクリープハイプ版が公開されることになる。

この歌も、聴いたことを後悔させないような、ちゃんと「栞」という楽曲の良さを抑えながらも、クリープハイプの良さもきっちりと出した作品になっていて、これまた大好きな一曲になった。

そんな「栞」も収録されるニューアルバム。

2年越しに、クリープハイプに関心を持った瞬間だった。そして、その期待はあっさり予想の斜め上をいくのであった。

ただただ、エモい

心の空白みたいなものを、他のモチーフで表現させることにおいて、尾崎世界観の右に出るものはいないなーとつくづく思う、そんな楽曲群。

もちろん、初期のアルバムのようなドロドロさというか、絶望さというか、良い子には聴かせられないフレーズはほとんど出てこなくて、随分とマイルドになった感はある。

けれど、ひとつのモチーフを使って巧みな心理描写をしてみせたり、他のアーティストにはないトリッキーな言葉使いやダジャレ(あえてこういう言い方をしてみる)を使うセンスはピカイチであり、今作も尾崎世界観だからこそ描ける切なさがたくさん表現されていた。

トップにある「蛍の光」から、いきなりそうである。

「いつかのさようならの前に」というフレーズから始まるこの歌は、明確にある種の別れを歌った歌である。

元々、この歌は私立恵比寿中学に提供した歌であり、(エビ中の)ファンの人たちのサイリウムを蛍の光に見立てつつ、そこから蛍の光=閉店に流れる曲=卒業式という連想をすることで、別れを想起させるフレーズで固めたこの歌は、メンバーが卒業式で合唱するイメージで作ったということが、尾崎からも語られている。

つまり、このアルバムはド頭から「別れ」を歌った歌を持ってきているのである。

アルバムは、ここから先もしばらくは、色んなモチーフを使って別れを歌った歌が続く。

「栞」は本をモチーフにして別れの切なさを歌った歌だし、「お引っ越し」は引っ越しにまつわる色んなモチーフを使いながら二人の心がすれ違っていくサマを描いた切ない歌だし、「禁煙」はタバコというモチーフを使うことで、二人の心の距離を丁寧に表現した歌である。

「陽」も失恋して心に穴が開きそうになるなかで、それでも希望を探すような切ない歌になっている。

歌を聴いて切なく感じるということは、本質的にその歌はバッドエンドということであり、独特のヒリヒリ感みたいなものを感じる流れになっている。

また、前半の歌の多くは「人との別れは突然訪れるものである」ということを予感させるかのように、アウトロが突然終わったり、そもそもアウトロがない歌も多い。

そうなのだ。

今作のクリープハイプのアルバムも容赦なくエモい気持ちにさせる歌が怒涛の勢いで展開されていくのである。

心の乱れを表現するかのような歪んだギターサウンド。

ドラマティックな歌詞世界に彩りを与えるような一縄筋ではいかないリズムで展開される楽器隊。

「禁煙」のストリングスは、普通のストリングスとは対極にあるような、何かを差し迫ってくるような、恐怖と焦燥を煽るようなサウンドとして組み込まれている。

やはり、クリープハイプの歌は、ネガティブで心に闇を抱えたような歌ばかりなんだ。

そんなことを考えてしまいそうになる。

が、あるタイミングでアルバムの流れは大きく変わる。

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「嬉しい」を歌うクリープハイプ

クリープハイプってバットエンドの歌を歌うことが多いし、心の空白を表現するかのように、フレーズに隙間のある歌が多い。

けれど、今回のクリープハイプはそこで終わらない。

もう一歩踏み込んだところで、歌を歌うようになるのだ。

「泣き笑い」「一生のお願い」で、モードが変わるのがその表れである。

この2曲は、二人の関係の「終わり」を歌うのではなく、「続いていくこと」を歌う。

だから、歌われる内容は自然と心の空洞ではなく、心の中に “ある”ものになってくるのだ。

そして「燃えるゴミの日」では、そのモードが頂点を迎えることになる。

色んなことに踏み込んで作ったからこそ、今回のアルバムは、悲しさや切なさを感じたあとにいつかやって来るはずの、喜びという感情もきちんと歌われるのである。

今という時間に対する意識

今回のクリープのアルバムを聴いて感じたのは、今という時間に対する肯定感だったりする。

不幸というメンタルのベースにあるのは、今という時間に対する不満感である。

過去がどれだけ幸せでも、今という時間に不満があり、欠乏があると、自分は不幸だと考えてしまうわけだ。

けれど、今回のクリープの歌の多くは、今という時間に対して、なるべく肯定的であろうとしているように感じる。

今というワードが、最初に登場するのは、「今今ここに君とあたし」という歌である。

この歌は「いつだって今が面白い」と歌っている。

「栞」だって今という時間に対して決してネガティブに捉えているわけじゃないし、だからこそ、地面に落とした涙がやがて新たな種を育むことを予感させるような描写をしている。

「おばけでいいからはやくきて」も、今、迷子という恐怖を知ったからこそ、次は迷子になりませんという未来に向けて、良いアクションを生み出す予感をさせる終わり方をしている。

「陽」ですら、ネガティブ全開のフレーズがありながらも、最終的には「今を大好きになる」という言葉を使って、未来への希望の一歩を踏み出そうとしている。

未だ嘗て、こんなにも今という時間を肯定的に捉えることが、かつてのクリープハイプにあっただろうか?

「泣き笑い」「一生のお願い」に至っては、今という時間をすごく尊いものとして描いているし。

「燃えるごみの日」に至っては、何の記念日でもない今日という日を記念日にしようとするかのような勢いがあるし。

悲しいも切ないも踏み込んで言葉にしていけば「嬉しい日々」に繋がっていく。

そこに対して、きちんと踏み込んで向き合ったからこそ、今作はこんな風に「今」を描くことになったのかなーなんて思うわけだ。

でも、一縄筋で終わらないクリープハイプ

クリープハイプのアルバム史上、最大のハッピーが詰まったアルバムだと言えると思うし、喪失があるからこそ、やがてそれは「嬉しい」に繋がるということを一曲単位でも、アルバム単位でも表現していることがわかるアルバム。

別れで始まったこのアルバムは、「燃えるごみの日」という歌に至ることで、一生二人が結ばれる日々を歌うことになる。

こんなにも尊くて、ハッピーなことはないと思う。

でも、クリープハイプが面白いのは、バンドサウンド的にも幸せピーク的にも、アルバムのお尻で申し分なさそうなこの歌のあとにもう一曲、曲を加えたことである。

最後に、弾き語りで披露される「ゆっくり行こう」。

この歌の位置付けが、不思議だなーと個人的には感じるわけだ。

なぜ、最後に弾き語りで、こんな歌を最後に持ってきたのか(もちろん、弾き語りで終わるのはクリープハイプにはよくあることだが、それは基本ボーナストラックという位置付けで収録されることが多いし)

この歌は、夏休みに茶髪に染めたイキった子どもが、先生に注意されて黒染めするまでの1〜2日間のイキってる感じを曲にしたものだと尾崎は語っている。

そして、大人になったら髪を染めるくらいはできるんだから、そんな焦らずにゆっくり行こう、と歌っている。

なぜ、色んな出会いと別れを繰り返しながら「一生一緒にいること」を約束して、結婚するまでを描いたこのアルバムの最後が、こんな学園モノの一幕みたいな歌になるのか、個人的には違和感を覚えた。

もしかすると、クリープハイプのリスナーには、結婚適齢期の大人だけでなく、学生も多いから、そういうノリの歌も歌おうとしただけなのかもしれない。

その時ふと、冒頭の「蛍の光」を思い出した。

この歌は、私立恵比寿中学のメンバーが卒業式で歌うことをイメージして作った歌だと尾崎は語っていた。

つまり、この2曲は、ある種表裏一体の「学園モノソング」なのではないか?と感じたのだ。

「栞」の歌詞において、クリープハイプ版でひとつだけ描き直しをして、「後ろ前逆の優しさは、すこしだけ本当だった」というフレーズに、わざわざ句点を追記した尾崎である。

そんな聡明な尾崎のことだから、きっと「大人になったら髪を染めるくらい自由にできるんだ」ってことを考えたとき、絶対にあることを頭に思い浮かべたはずなのだ。

それは、大人になれずにその一生に幕を閉じた、エビ中メンバーの一人のこと。

というのも、エビ中のメンバーの一人だった松野莉奈は、18歳という若さで亡くなったのだ。

嬉しさと悲しさは表裏一体であることを考えたからこそ、「蛍の光」がこのアルバムの冒頭になったのではないだろうか?

なぜ、このアルバムのタイトルの「嬉しい日々」に対する修飾語が「泣きたくなるほどに」だったのか?

それは「嬉しい」という感情にたどり着くには、泣きたくなるほどの、とてもとても辛い別れがないと、たどり着けないものだからであると尾崎が感じ、それをアルバム全体のメッセージの一つにしようとしたからではないか?

そんなことを僕は思った。

そこまで踏まえて考えたとき、このアルバムは確かにクリープハイプにとって最大なまでにハッピーを描いた作品であると言えるけれど、その一方で、どこまでも「泣きたくなるほどに」という感情とも誠実に向き合った作品であると言えるのではないか?と思ったのだ。

むしろ、嬉しいという感情に踏み込んで描けるようになったからこそ、悲しいや切ないやその他諸々の色んな感情、それは他のバンドだったら素通りするような感情を描いてみせたのではないか?と思うわけだ。(だからこそ、怒りの感情を屈託なく表現した「金魚(とその糞)」なんかの曲も並列して収録したのかなーなんて思ったりして)

そういう意味で、クリープハイプは今も昔も「表現しているもの」は何も変わっていないなーと感じたし、初期の楽曲のような荒々しいバンドサウンドも、ストリングスの入った壮大な歌も「同じノリ」で聴くことができたのは、根底に宿る想いのようなものが同じだからこそなのかなーなんて、そんなことを思った次第。

もろちん、ここに書いた見方そのものは穿った見方なのだとしても、色んな気持ちを喚起させるこのアルバムは、間違いなく2018年の音楽シーンにおいても、燦然と輝く名盤であると言える。それだけは断言できる。

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