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会社で昇進できない奴の最大の理由ってなんだろうか?

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仕事ができない?
勤務態度が悪い?
能力がない?
成果が出せてない?

解答は色々とあると思うけど、一番の理由は「評価をする上司への印象を良くできない奴」なのだと思う。

もちろん、仕事内容にもよるとは思うが、ある程度人数のいる会社なら、社員を評価する上司がいるはずで、その上司がどういう評価を下すかによって「昇進」ができるかどうかが決まってくる。

仕事をしていくなかで、上司に「こいつはしっかりやってるな」と思わせるような仕掛けを作ることが、速やかな昇進に繋がるわけだ。

で、その時の評価軸って「態度」に偏りがちだし、自分の指示したことがその態度に反映してるとポイントは高くなりやすい。

少なくとも、上司はその後輩のことを好意的に見るようなる。

これって、わりとバンドと客の関係でも似ている気がするのだ。

え?ライブハウスは社会とは別の空間だよ?非日常な空間だよ?遊び場なんだよ?ってか全然違うし!

みたいな声も聞こえてくるが、まあ順を追って話そう。

会社や学校と、ライブハウスではもちろん価値基準が違う。

会社でダイブなんてしたら「昇進できない」どころの話じゃなくなるが、ライブハウスならそれを許してくれる。

ただ、その一方で、近年のライブハウスは「学校化」しているフシがある。

痴漢はあかんとか、マナーとモラルをもって他人と接しましょう、みたいな人間として当たり前なことを諭すのは当然だと思うが、その「諭す」が加熱しすぎているというか「出る杭は打つ」的な同調圧力が支配的になっている場合がある印象。

歌うな。髪しばれ。ベルトは外せ。メガネも外せ。棒立ちするな。アンコールはこれが正しい。○○も知らないなんて非常識奴〜。サビでは手を上げて曲にノッてる感出せ。サークル作ったんやから空気読め。

みたいな〜。

全員が快適に見れるようにしていくなかで最適な解答を出しているのだと思うが、それをやりすぎると「学校」と一緒じゃん!って思ってしまうのだ。

そんななかで、特に思うこと。

なぜ「前の方での大人見」への反応。

最前は憧れの場であり、そんな憧れにいる人がぼーとしていると、盛り上がれと思う人も多いし、興味ないなら後ろに下がれと思う人もいるのではないかと思う。

けど、(仮に)最前で腕組みしてライブを見ることがそんなにいけないことなのだろうか?

最前にきたのにスマホばかりみてライブはみないような「地蔵」は糾弾してしかるべきだが、必死にライブの様子をみて脳内にその様子を焼き付けようとしている人間すら「良くない」という烙印を押されている気がする。

少なくとも、サビでは両手をあげたり、ボーカルが指示するコール&レスポンス通りに動いたりして、「盛り上がってる」感じを身体で表現することが「基本の作法」という空気が支配的になっている気がする。

動く=盛り上がってる
動かない=盛り上がってない

みたいな価値が出来上がっているというか。

ここまできて、上司が評価する後輩とは?の話と繋がる。

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ステージの上に立つバンドマンも人である。

自分にとって「可愛いファン」もいれば「可愛くないファン」もいる。

そりゃあ自分の音楽で自分の思い通りに動いてくれるファンが一番「可愛い」に決まっている。

上から見る景色も「反応ある」方がみていて気持ちいいし、やったった感は満たされる。

だから、バンドマンはあの手この手を使って「動くこと」を強要し「大人見」はさせないようにするわけだ。

バンドマンが上司であり、客は後輩であり、客はバンドマンから「高い評価を求め」知らず知らずのうちにバンドマンの指示通りの動きだけをするようになる。

会社的価値観と学校的マナーの支配化。

僕たちはいつしか、ライブハウスを「社会」に似た場所に仕立てあげてしまったのではないかと、ふと思うのである。

まあもちろん、上記が僕の総意というわけではない。

BRAHMANのTOSHI-LOWはMCでこんなことを言っていた。

「鼻は曲げても信念は曲げるな。最前は覚悟をもってこい」

八方美人になって全員に媚びてるような物言いをするんじゃなくて、俺のライブの最前はケガすることもあるし、だから、ケガさせることに躊躇するようなこともしなくてもいい。そのくらいの覚悟で最前には来い、っていうメッセージ。

潔くて、ぐっとくる。

また、BRAHMANは自分の言葉で動きを強要するようなことは基本しない。

途中で煽るようなMCをするわけでもない。

ただ「覚悟をもてこい」というだけであり、極端なことを言えば大人見でもいいわけだ(おそらくその後、土台になるとは思われるが)

最前大人見というスタイルを否定する言葉とはまた違うわけだ。(まあ、僕はブラフのライブなら、常にうおおおおってしてますけどね)

話は変わるが、バンドは命がけでライブをやってる。

これは、わりと本当である。

たった30分のライブやるために、機材を車に載せて、徹夜で車を走らせたりする。

地方のライブなら、交通費とか食費とか色んなものがかさんで、正味わりには合わない仕事だったりもするけど、それでも呼ばれたら車を走らせる。

前の日に色々あってあんまり睡眠が取れなくても、自分たちで車を運転して現場に駆けつけてライブをする。

その地方でしかライブが観れない(と思われる)奴らのために、ライブがしたいから。だから車を走らせる。

2時間のフルセットだろうが、30分しか時間が与えられてなかろうが、そこに対する「全力」の姿勢は変わらないわけだ。

ただ、ライブで「俺はこのライブに命をかけてやってる」とMCをしてるときには、案外その「命」はもう「今」のライブではなく「次」に向いていたりするんだろなあ、と思うことはある。

というより、次に繋ぐためにライブやることに価値の趣きを置いているというか。

当然ながら、どのバンドだって、そのライブに全身全霊を尽くす一方、そのライブを最後にさせたくないと思ってるわけだ。

命をかけると言いながら、次のことが既に頭にはあるという、そんなダブルバインドのなかで生きているわけだ。

浮気をしているのに純愛を歌ったりすることもあるわけで、たくさんのダブルバインドの中でバンドマンは生きているわけだ。

「次」に焦点を当てがちだから、どうしてもMCは八方美人になるし、「盛り上がる」ことを優先したライブ運びをしてしまうのである。

でも、脳内スクショは「今」という光景に全振りにして、サビで手を上げる余裕なんてなくて、傍目からみれば盛り上がっているようには見えない状態でステージを観てるけれど、だけど本当はすごく必死で、それこそ命をかけてライブを観ている、そんなスタンスだってあってもいいのではないか、と思うわけだ。

笑ったり身体を動かして楽しむのも「正義」なら、腕組んでマジメにステージ見るのも「正義」だし「全力」なわけだ。

正しいとか正しくないとかいう話ではなくて、ライブハウスという空間においても、マイノリティーが駆逐されつつある空気のなかで、仮に最前大人見みたいなスタイルがあったとしても、それはひとつの「全力」であり、カッコいいスタイルなんじゃないかなーと思ったのでそれを記述してみたという、そんな記事。

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