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ライブにおけるダイブ論争をする場合、最近の若い人は昔のダイバーと違い、音楽のテンションが上がったその衝動でダイブをしてるのではなく、遊園地のアトラクション乗るような感覚でダイブしているという指摘が多いように感じる。

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そして、それはまるでファッションのようにダイブをしているようなものだ、と文句を言いがちである。

さらに、そのことはダイブしている人の顔を見ればすぐにわかるとも指摘されがちである。

衝動でダイブをした人は目をキラキラさせているが、ダイブがしたくてただダイブをしているだけの人は顔がヘラヘラしているというのだ。

いずれにせよ、やりたがりが増えたからこそダイバーが大量発生しているのであり、それ故ライブのマナーも色々と言われがちな事態が発生しているのだというわけである。

で、こういう話をすると、だから近頃の若者は〜みたいな説教臭い文章になってしまうわけだが、この記事では別にそういう話がしたいわけではない。

じゃあ何がしたいのかというと、仮に昔のライブキッズと若いライブキッズのダイブのあり方が変わったのだとして、なぜそういう変化が起こったのかについて考えたいわけだ。

この記事では二つの言葉をキーワードにして考えてみたい。

その言葉とは「SNS社会」「ゾンビ化」である。

この言葉が何を意味するのか。

ひとつずつ考えてみたい。

SNS社会

話をわかりやすくするため、あえてライブに通うキッズたちを「ハイスタ世代」「エルレ世代」「WANIMA世代」と区分けしたい。

ハイスタ世代はアラフォー、エルレ世代はアラサー、WANIMA世代は10代〜20代前半という捉え方をしておく。

もちろん、その世代だからハイスタにお熱だったわけではないとか、アラサーだけどWANIMAをきっかけにライブに行くようになったなど、色々とツッコミどころのある区分けであることは承知だが、今回はあくまでも話を捉えやすくするための便宜だと思って頂ければ幸いである。

さて、各々の世代間における一番の変化はケータイ(スマホ)の関わり方だと思われる。

ハイスタ世代が10代の頃、まだケータイはそこまで定着していなかったと思われる。

つまり、青春時代にSNSで「繋がる」という文化がなかったことを意味するわけだ。

エルレ世代が10代の頃、ケータイは普及していたが、スマホはまだなかった。(この世代は就活のタイミングでスマホに乗り換えた人が多い)

SNSも存在はしていたが、元々の知り合いとしか繋がらない人の方が多かったし、少なくともリア垢と趣味垢と裏垢で棲み分けるみたいな人はほとんどいなかった(ネットで悪口を書く場合は2ちゃんねるなどの掲示板に流れていた)。

それ故、ネットを通じて知り合った人と会うという文化はまだそこまで根付いていなかったように思われる。

WANIMA世代はスマホ全盛期であり、TwitterをはじめありゆるSNSとの関わりがもっとも高い世代である。

もちろん、ライブにいく人間全員がSNSをやっているわけではないと思うが、下の世代に降りれば降りるほどSNS利用者は増えてくると思う。

SNSの利用スタイルは人によって様々だと思うが、リアル以外と「繋がる」人の数は多いと思う。

ただ、音楽好きと「繋がる」と言っても、SNS上の音楽好きは、かなり細分化している。

邦ロック好きという枠組みだけでみても色々と分けられる。

例えば、楽曲志向派とライブ厨に分けることができる。

音楽は好きだが、あくまでも「聴く専」であり、ライブに行くことはあまりしないという人は「楽曲志向派」になる。

音楽は聴くけども、それ以上にライブが命である、という人はライブ厨と言えるだろう。

また「聴く専」と一口に言っても、一部のアーティストのみを傾聴する信者系タイプと、自分が生まれる前の音楽ばかりを聴くリバイバルタイプと、インディーズばかりを掘るのが好きなマニアックタイプと、売れてる音楽であればアイドルもポップスもロックも関係なく聴く「広くて浅い奴」タイプなど、幾つかもの種類に大別することができると思われる。

また「聴く専」でも、ライブハウス厨と、フェス厨、そのアーティストであれば遠征も厭わない外交派もいれば、あくまでも出会いが優先の「会いたがり派」など色々といるわけだ。

つまり、SNS上に色んな人がいるわけだが、ほとんどの人はおそらく、SNSにおける無数の「音楽好き」の中でも、自分と同じ趣向を持った人間のみと「繋がっていく」傾向があるように思われる。

すると、より居心地の良い「繋がり」を求めていくことになるわけだ。

こうなると、SNS発信のコミュニティは、すごく限定的なものになるというわけである。

そして、その「限定的なノリ」は、そのままライブハウスというリアルな場にも持ち込まれていき、同じ音楽が好きな人間が集まるはずのライブという現場でも、なぜか「分断」した空気を作りがちになってしまうのである。

というか「分断」することが当たり前になっているから「分断」していることにすら気づかないことも多いように感じる。

この「気づかなくなる」ということが意味するのは、言い換えれば、他人に対する想像力が欠如していくということに繋がると思う。

SNSで骨折したという人が意見を表明したときに賛否が溢れてしまうのも、おそらくは「他人に対する想像力」が偏った方向に流れがちだからなのだろうし、骨折した本人もその後の様子をみてると、なんだかただ単に自己顕示欲を満たすための道具として「骨折したツイート」を使っているだけのように見えてしまうのも、そこが発端だと思われる。

つまり本質として、自分の「身内」以外の他人はどうでもよくて、自分の「身内」にさえ自慢できたらいいわけだ。

だから、自分の言葉が他人に与える影響力という想像は少しずつ欠如されていき、自分のツイートの「いいねの数」と「リツイートの数」を自分の「身内」に自慢するためだけの道具に成り下げてしまうのだと思われる。

自分の「身内」以外は無関係であり見えないものにさせてしまうのは、SNS社会の功罪なのかもしれないというわけだ。

この、SNS社会に毒された想像力をダイブの話に置き換えてみると、ダイブをするとき下の人に迷惑をかけてしまうという視点も、自分がこんな動きをしてしまうとケガさせてしまうかもしれないという視点も抜け落ちて、自分と自分の友達が楽しければそれでいい、という想像力に流れがちになってしまうわけである。

当然ながら、これはSNSをやっている人間は全員思いやりがない、ということが言いたいわけではないし、そうじゃないことも知っている。

ただ、SNSにより、自分の視点が凝り固まったものにさせがちであり、自分の身内の「外」があるということを忘れさせがちにしてしまう、ということはあると思う、という話である。

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ゾンビ化

人間は「ゾンビ化」してしまっている、というのがこのパースペクティブの話なのだが、いきなりそんな話をしても、は?ってなるかもしれないので、そもそも「ゾンビ化」とはどういうことなのか、もう少し話していきたい。

そもそも、あなたにとってゾンビとは、どんな存在だろうか。

ゾンビと言えば、バイオハザード辺りをイメージするかもしれない。

が、ゾンビが登場する最近のエンタメ作品をつぶさに見ていけば、その描き方が変容していることがよくわかる。

「まどか☆マギカ」でもいいし「アイアムアヒーロー」でもいいし「屍者の帝国」でもいいが、最近のゾンビは身体能力も高ければ、頭脳もあるし、腐らないこともあれば感染しないこともある。

少なくとも「バイオハザード」のゾンビ像とは違うゾンビがたくさん出てくるわけだ。

じゃあ何をもって「ゾンビ」というのかと言えば、①死なない②自分の意思が希薄③反応に対して本能的

みたいなことが挙げられると思う。(いや、本当は違うかもしれないが)

音楽が鳴れば、ひたすらダイブやリフトやサークルを繰り返す人たちは、音楽に対して「ゾンビのような反応」を繰り返しているとも取られるわけで(そして、そのことを指摘しても変化しない=死なないという意味も含め)彼らは「ゾンビ化」したと言えるのではないかと思う。

そんな彼らがなんでダイブをするのかといえば、それが楽しいから、というのが答えになると思うのだが、じゃあなんでダイブをするのが楽しいの?と掘り下げていけば、もっと色んなことが見えてくるのと思う。

例えば、身体を動かす楽しさ=スポーツ的楽しさがあるとか。

もしそうだとすれば、社会的な背景も繋がってくる。

つまり、昔なら野球とかサッカーをして遊ぶことができたが、最近の子供たちは無料で運動する場所がなく、意識的であれ無意識であれ、身体を動かすことに対するフラストレーションが溜まりがちなので、オナラをするかの如く、そのフラストレーションを抜くのがライブハウスという空間であり、ダイブをすることでそれを処理しているのではないかというわけだ。

さらに、スポーツをしないからケガをする経験も少なくなり、故にダイブによるケガの想像も上手くできないということがあるのかもしれない。

つまり、彼らがダイブのゾンビになるのは、社会的背景も関係しているのではないか、という話だ。

また、人によってはダイブすることそのものが承認欲求を満たしていることもあるかもしれない。

つまり、ダイブすることは、自分の身体そこにあることを確認する作業なのではないかということだ。

自分の身体性を確認する=今自分が生きてることを再認識できるからこそ、ダイブをすることに楽しさを感じ、過剰なまでにダイブをするのではないか。

例えば、メンヘラ女子がやたらと男と寝たり自傷行為をするのは、自分の身体を傷つけることで自分が生きていることを再認識して、安心するからなわけだ。

ダイブ厨のダイブも、実はそういう要素が孕んでいるのではないか、というわけだ。

ダイブした。転がった。俺の身体ここにある。ああ、おれ生きてる。ああ、楽しい!みたいな感じ。

つまり、ダイブ厨=メンヘラ女子なのである!

ただし、メンヘラ女子は自分を傷つけるだけだから(彼氏ができて依存してストーカー化することはあるのかもしれないが)ひとまずは周りに迷惑はかからないわけだが、ダイバー中毒は他の人を傷つけたり、事故を起こしてライブ文化そのものを萎縮させる危険性があるため、厄介なわけだ。

もちろん、この指摘は仮説でしかないわけだが、言いたいのは、単に「若者はけしからん」と線を引くのではなく、ではなぜ「違うのか」を掘り下げていき、考えていくことがわりと重要なのではないかということである。

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