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ちょっと前にTwitterで、こんな内容のニュアンスのツイートを見つけた。

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「アンコールを当たり前だと勘違いしてる人が多すぎる<中略>あくまでセトリの内容で代金分は終わってる。そこからはあくまでご好意でアーティストさん達がやってくれてるということを知ってほしい」

若干文言は変わってると思うが、ニュアンスとしてはこんな内容だったと思う。

引用しといて言うのもアレだが、別にこの発言に甲乙をつけようなんて気はないし、賛同はすれども否定をするようなの物言いではないと僕は思う。

だって、アンコールをお願いするときの最低限の態度ってもんがあるんじゃないか?と疑問を呈する気持ちはすごくよくわかるし、アンコールというのは本来「本編じゃ足りないからもっと観せてくれよ」という観客の興奮を、手拍子なり叫び声なりでアーティストにメッセージとして伝え、アーティストはそのメッセージを受け止めた上で「そこまで言うならやってやろう」と気持ちを固めてステージにもどるという、ある種の「会話」みたいなものだと僕は思ったりするわけだ。

アンコールがあるんだあ、じゃあせっかくだし待っとくか、みたいな感じでテキトーに座りながらケータイいじって待ってる奴を見たら、本気でアンコールを求めてる奴からすれば「イラっとする気持ち」はよくわかる。

とはいえ、ライブハウス系のバンドならともかく、ホールでライブをやるアーティストの場合は、アンコールをする予定でしっかりとした仕込みしているのもまた事実なわけだ。

どっかのNICOなんかは本編が終わってステージがはけても、5分ほどすればまたステージに上がったりするので、アンコールまでの流れがどうにも「茶番」に見えてしまう、というのもあったりする。

まあ、アンコールを巡る客ごとの思いのズレ、というのは難しい話なのだ。

同じライブでもホールのライブばかりに慣れてる人と、ライブハウスのライブひ慣れてる人ではこの辺の感覚も違ってくるだろうし、アンコールをしないバンドのライブに慣れている人は、本編が終わるとすぐに「この後どこで飲みに行こうかな」というふうに頭を切り替えてしまいがちであるし。

ところで、先ほどのツイートで個人的に気になったのは本編のセトリ=料金という考えの部分である。

ライブにおける料金って、そもそも皆様、どういうふうに捉えているだろうか?

もちろん、そのライブが観たいからお金を払っているわけだが、本編のセトリに対してお金を払うという認識なのだろうか?

例えば、カラオケなら時間単価に対してお金を払うわけだが、ライブの場合、そういう概念は出てこないと思う。

じゃあ曲数に対してか?と言われたらあんまりそんな考えもないと思う(対バンだから、7+17でたぶん24曲聴ける!ラッキー!みたいな思考はあんまりしないと思う)

なんとなく、3500円ですって言われたら、とりあえずそれを払う、みたいな感覚だと思うのだ。

そして、これだけの料金払ってるんだから、元をとらせてもらうためにも最低○○曲は歌えよ?と(内心は思ってるかもしれないが)文句を垂れる人もいないと思う。

アーティストごとに、バンドごとにライブの料金は違うわけだが、金額があがれば曲数が増えるかというと別にそんなこともないし、ライブ時間によってライブの料金に違いが出ているわけでもない。

この辺りがライブ料金の不思議なところだったりするわけだが。

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話は少し変わるが、2017年の京都大作戦の三日目の途中、落雷の危険が生じたため、一時、アーティストの演奏が中断された。

その後、ライブは再開されたのだが、京都大作戦が開催される太陽が丘という場所は、20時を回ったら音を鳴らしてはならないという鉄の掟があるため、中断はあったにも関わらず、お尻の時間はずらすことなく、閉幕された。

対応としては、残りの出演バンドは大幅に出演時間を削り、その中でライブを披露することになった。

メインの10-FEETも通常なら10曲以上披露するのだが、この日は3曲のみの披露となった。

もちろん、予定曲数は減ったが、その分のお金が返金されたりはしない。

もし、本編内容=料金という考えが支配的であれば、間違いなくクレームものになるような話である。

が、大作戦ではそんなクレームは一切なく、(おそらくは)みんな笑顔で太陽が丘を後にした。

もし大作戦に来ている人たちが、料金=本編のセトリという考え方ならば、文句が起きていただろう。

が、大作戦に参加する人がチケットとして支払うお金というのは、曲数という問題ではないことがここで証明されたわけだ。(もちろん、ある程度観たいバンドが観れたから納得したのであって、かなり序盤の段階で中断になり、それが長時間続いた場合ならば、話は変わったのかもしれないが)

曲数とかセトリとかそんなんじゃなくて、単純に「ライブという現場のドキュメント」を観たい。

そんな思いが強くて、お客さんはお金を払っているのではないかと思うわけだ。

極端なことを言えば、曲数というのは副次的なもので、そこにある「ドラマ」がなによりも大事というわけだ。

そうなのだ。

ライブってドラマだと思うのだ。

だから、わざわざお金を払って生で5感を使ってアーティストの音楽を堪能しにいくのだ。

でね、そのドラマを劇的にさせるのって何なのかを突き詰めていくと、それはアーティストではなく、むしろ観客自身だと思うのだ。

観客自身のフィルターがどう反応するのかで、そのライブというドラマの見え方は大きく変わるわけだ。

だからこそ、アーティストの音に対して全身全霊で挑む方が、そのドラマは劇的になるわけだ。

ということまで考えてみたとき、アンコールを待つときにケータイをいじるというのは、アーティストに対して失礼とかそういうことよりも、ライブというドラマの面白さを削いでいると言えるのではないかと思うのだ。

言ってしまえば、お金をドブに捨ててるようなもの。

もっとライブに介入する姿勢をみせた方が純粋にそのライブに感動できるよ、という話である。

払ったお金以上の価値をライブに見つけたいならば、アンコールも必死に待ち望むくらいにそのライブに「没入」した方がいいよ、そっちの方がもとを取れるよ、という話である。

ライブってアーティストのパフォーマンスだけで完結するものじゃない。

アーティストと客(そしてスタッフも含め)のやり取りを含め、初めて完結するものなのである。

ちなみに、この歯車が見事なまでにハマっているのが京都大作戦である。

だから、京都大作戦は素晴らしいと感じてしまうのだ。

そんな話。

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